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春秋左氏伝 / 僖公三年 蔡姫、舟を蕩かす

三年春,不雨。夏,六月,雨。自十月不雨,至于五月,不曰旱,不為災也。秋,會于陽穀,謀伐楚也。齊侯為陽穀之會,來尋盟。冬,公子友如齊蒞盟。楚人伐鄭,鄭伯欲成。孔叔不可,曰:「齊方勤我,棄德不祥。」齊侯與蔡姬乘舟于囿,蕩公。公懼,變色。禁之,不可。公怒,歸之,未之絕也。蔡人嫁之。

新字:三年春,不雨。夏,六月,雨。自十月不雨,至于五月,不曰旱,不為災也。秋,会于陽穀,謀伐楚也。斉侯為陽穀之会,来尋盟。冬,公子友如斉莅盟。楚人伐鄭,鄭伯欲成。孔叔不可,曰:「斉方勤我,棄徳不祥。」斉侯与蔡姫乗舟于囿,蕩公。公懼,変色。禁之,不可。公怒,帰之,未之絶也。蔡人嫁之。

書き下し

三年春、雨ふらず。夏、六月、雨ふる。十月より雨ふらずして、五月に至る。旱と曰はざるは、災を爲さざればなり。秋、陽穀に會す、楚を伐たんことを謀るなり。齊侯陽穀の會の爲に、來たりて盟を尋む。冬、公子友齊に如きて盟に蒞む。楚人鄭を伐つ。鄭伯成がんと欲す。孔叔可かずして、曰く、「齊方に我に勤む。德を棄つるは祥ならず」と。齊侯蔡姬と舟に囿に乘り、公を蕩かす。公懼れて、色を變ず。之を禁ずれども、可かず。公怒りて、之を歸す。未だ之を絕たざるなり。蔡人之を嫁す。

現代語訳

僖公三年の春、雨が降らなかった。夏六月に雨が降った。前年の十月から雨が降らず、この年の五月まで続いた。それでも『春秋』が「旱」と記さないのは、災害とはならなかったからである。秋、陽穀で会合した。楚を討つことを謀るためである。斉侯(桓公)は陽穀の会合のために、魯に来て盟約を確かめ直そうとした。冬、公子友(季友)が斉に行って盟約に立ち会った。楚が鄭を攻めた。鄭伯(文公)は楚と講和しようとした。孔叔は反対して言った。「斉はいまちょうど我が国のために力を尽くしてくれています。その恩徳を裏切るのは不吉です」。斉侯は夫人の蔡姫と、庭園の池で舟遊びをした。蔡姫は舟を揺らして桓公を驚かせた。桓公は怖がって顔色を変えた。やめるよう言ったが、蔡姫はやめなかった。桓公は怒って、蔡姫を実家の蔡に帰した。離縁したわけではなかった。ところが蔡の人々は蔡姫を別の人に嫁がせてしまった。

解説

この年の記事は、日照りの書法から始まる。十月から翌年五月まで雨がなくても、実害がなければ「旱」とは書かない。記録は現象ではなく災害の有無を基準にするという、前にも見た左伝の原則である。鄭では、楚に攻められて講和に傾く君主を、孔叔が斉への恩義を理由に止めている。そして末尾に、一見たわいない夫婦の話が置かれる。斉の桓公は夫人の蔡姫と舟遊びをしていて、舟を揺らされ怖がった。やめろと言ってもやめないので、怒って実家に帰した。懲らしめのつもりで離縁まではしていなかったが、蔡は彼女を別の家に嫁がせてしまう。蔡の側から見れば、面目をつぶされた仕返しであろう。ところが覇者の桓公はこれを許さず、翌年、蔡を攻め、そのまま楚への遠征に向かう。舟の上の戯れが、国際紛争の口実になるのである。小さな感情のもつれと、それへの過剰な応酬が、組織どうしの大きな対立に発展することがある。

この章句が説くこと

恩義面子書法感情紛争の火種

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