呻吟語 / 内篇・談道・過ちは已發の後に在らず
發不中節,過不在已發之後。
新字:発不中節,過不在已発之後。
書き下し
發して節に中たらざるは、過ち已發の後に在らず。
現代語訳
感情が表に出て、それが節度に合わなかったとしたら、過ちは表に出た後にあるのではありません。
解説
怒りが爆発してから反省しても遅い、という一行です。出方が乱れたのなら、乱れは出る前からすでにあった。つまり直すべきは表現の技術ではなく、出てくる前の心の平生だという指摘になります。中庸の未発已発の議論を、たった十数字で実践に引き戻しました。人前で失言した後に言い方を悔やむより、静かなときの自分を整えよということです。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
感情節度未発平生修養
関連する章句
-
『春秋左氏伝』昭公二十五年 礼は天地の経緯昏媾・姻亞を為りて、以って天明に象る。政事・庸力・行務を為りて、以って四時に從ふ。刑罰・威獄を為りて、民をして畏忌せしめ、以って其の震曜殺戮に類す。溫・慈・惠・和を為りて、以って天の生殖長育に效ふ。民に好惡喜怒哀樂有り、六气より生ず。是の故に審らかに宜しく類して、以って六志を制す。哀に哭泣有り、樂に謌舞有り、喜に施舍有り、怒に戰鬥有り。喜は好より生じ、怒は惡より生ず。是の故に行ひを審らかにし令を信にし、禍福賞罰、以って死生を制す。生は好む物なり。死は惡む物なり。好む物は樂なり、惡む物は哀なり。哀樂失はざれば、乃ち能く天地の性に協ふ。是を以って長久なり」と。簡子曰く、「甚だしいかな禮の大なるや」と。對へて曰く、「禮は上下の紀、天地の經緯なり、民の生くる所以なり。是を以って先王之を尚ぶ。故に人の能く自ら曲直して以って禮に赴く者、之を成人と謂ふ。大なること亦た宜ならずや」と。簡子曰く、「鞅や、請ふ身を終ふるまで此の言を守らん」と。
-
『呻吟語』内篇・修身・聖賢の怒は自ら別なり淫怒は是れ大惡なり。裡面は氣を御し住めず、外面は人を顧み得ず。甚の涵養をか成さん。或るひと曰く、「涵養には獨り怒無きか」と。曰く、「聖賢の怒は自ら別なり」と。
-
論語・先進篇顔淵死す。子之を哭して慟す。従者曰く、「子慟せり。」曰く、「慟すること有るか。夫の人の為に慟するに非ずして誰が為にせん。」
-
五行大義・第十四論雑配・第四論配蔵府『河図』に云う、仁慈恵施する者は、肝の精なり。悲哀過度なれば、則ち肝を傷る。肝傷るれば、則ち目をして視ること芒芒(ぼうぼう)たらしむ。礼操列真なるは、心の精なり。喜怒激切なれば、心を傷る。心傷るれば、則ち衄(じく)を疾(や)み吐逆す。和厚篤信なる者は、脾の精なり。縦逸貪嗜なれば、則ち脾を傷る。脾傷るれば、則ち畜積化せず、否結(ひけつ)の疾を致す。義恵剛断なるは、肺の精なり。患憂憤勃なれば、則ち肺を傷る。肺傷るれば、則ち欬逆(がいぎゃく)失音を致す。智弁謀略なるは、腎の精なり。労欲憤満なれば、則ち腎を傷る。腎傷るれば、則ち精を喪い命を損なう、と。此れ豈に直(ただ)に五常に違いて年命を損なうのみならんや、亦六情を破りて以て国家を亡ぼすなり。桀・紂の両帝の如きに至りては、並びに貪縦にしてその邦を喪い、梁・竇の二臣も、亦皆奢逸にしてその家を傾く。彭子は色を以て命を延べ、斉王は怒りに因りて病を袪(はら)うと雖も、此の如きは轍を異にするも、皆調節の宜しき有り。これを節すれば則ち四大安きを獲、これを縦(ほしいまま)にすれば則ち五蔵患いを成す。『素問』に云う、肝は将軍の官たり、謀慮出づ。心は君主の官たり、神明出づ。脾は倉廩の官たり、五味出づ。肺は相傅(しょうふ)の官たり、治節出づ。腎は作強の官たり、伎巧出づ、と。肝は将軍の官たり、謀慮出づとは、木の性は仁なり。仁者は必ず能く深く思い遠く慮り、恒に万物を利安せんと欲す。将軍は兵を行うの主たり、必ず謀慮を以て先と為す。故に兵書に曰く、兵は仁を以て挙ぐれば、則ち従わざる無し。これを得るに仁を以て分かてば、則ち従い悦ばざる無し、と。又曰く、将に謀無ければ則ち士卒憂え、将に慮無ければ則ち士卒去る、と。故に肝は将軍たり、謀慮を出だすなり。
-
『長短経』定名淫すれば則ち昏乱し、民は其の性を失う〔滋味声色、過ぐれば則ち性を傷う〕。是の故に、礼を為りて以て之を奉ず〔礼を制して以て其の性を奉ずるなり〕。人に好悪・喜怒・哀楽有り、六気より生ず〔此の六者は、皆陰陽風雨晦明の気を禀くるなり〕。是の故に、審らかに則りて類を宜しくし、以て六志を制す〔礼を為りて以て好悪・喜怒・哀楽の六志を制し、節を過ぎざらしむるなり〕。哀しめば哭泣有り、楽しめば歌舞有り、喜べば施捨有り、怒れば戦闘有り。哀楽失わず、乃ち能く天地の性に協い、是を以て長久なり〔協は和なり〕。故に人能く曲直して以て礼に従う者、之を成人と謂う』と」と。或るひと曰く「然らば則ち何をか儀と為すと謂う」と。
-
『管子』心術下凡そ民の生くるや、必ず正平を以てす。之を失う所以の者は、必ず喜樂哀怒を以てす。怒を節するは樂に若くは莫く、樂を節するは禮に若くは莫く、禮を守るは敬に若くは莫し。外敬にして内静かなる者は、必ず其の性に反る。豈に利事無からんや、我に利心無し。豈に安處無からんや、我に安心無し。心の中に又た心有り、意は言に先んず。意ありて然る後に形あり、形ありて然る後に思あり、思ありて然る後に知あり。凡そ心の形、知に過ぐれば生を失う。是の故に内に聚めて以て原と為す。泉の竭きざれば、表裏遂に通ず。泉の涸れざれば、四支堅固なり。能く令して之を用うれば、四固を被服す。是の故に聖人は一言にして之を解き、上は天に察かに、下は地に察かなり。