史記 / 楚世家
不如因賂之一名都,與之伐齊,是我亡於秦,取償於齊也,吾國尚可全。今王已絶於齊而責欺於秦,是吾合秦齊之交而來天下之兵也,國必大傷矣。」楚王不聽,遂絶和於秦,發兵西攻秦。秦亦發兵撃之。十七年春,與秦戰丹陽,秦大敗我軍,斬甲士八萬,虜我大將軍屈匄、裨將軍逢侯丑等七十餘人,遂取漢中之郡。楚懷王大怒,乃悉國兵復襲秦,戰於藍田,大敗楚軍。韓、魏聞楚之困,乃南襲楚,至於鄧。楚聞,乃引兵歸。十八年,秦使使約復與楚親,分漢中之半以和楚。楚王曰:「願得張儀,不願得地。」張儀聞之,請之楚。秦王曰:「楚且甘心於子,柰何?」張儀曰:「臣善其左右靳尚,靳尚又能得事於楚王幸姬鄭袖,袖所言無不從者。且儀以前使負楚以商於之約,今秦楚大戰,有惡,臣非面自謝楚不解。且大王在,楚不宜敢取儀。誠殺儀以便國,臣之願也。」儀遂使楚。至,懷王不見,因而囚張儀,欲殺之。儀私於靳尚,靳尚爲請懷王曰:「拘張儀,秦王必怒。天下見楚無秦,必輕王矣。」又謂夫人鄭袖曰:「秦王甚愛張儀,而王欲殺之,今將以上庸之地六縣賂楚,以美人聘楚王,以宮中善歌者爲之媵。楚王重地,秦女必貴,而夫人必斥矣。夫人不若言而出之。」
新字:不如因賂之一名都,与之伐斉,是我亡於秦,取償於斉也,吾国尚可全。今王已絶於斉而責欺於秦,是吾合秦斉之交而来天下之兵也,国必大傷矣。」楚王不聴,遂絶和於秦,発兵西攻秦。秦亦発兵撃之。十七年春,与秦戦丹陽,秦大敗我軍,斬甲士八万,虜我大将軍屈匄、裨将軍逢侯丑等七十余人,遂取漢中之郡。楚懐王大怒,乃悉国兵復襲秦,戦於藍田,大敗楚軍。韓、魏聞楚之困,乃南襲楚,至於鄧。楚聞,乃引兵帰。十八年,秦使使約復与楚親,分漢中之半以和楚。楚王曰:「願得張儀,不願得地。」張儀聞之,請之楚。秦王曰:「楚且甘心於子,柰何?」張儀曰:「臣善其左右靳尚,靳尚又能得事於楚王幸姫鄭袖,袖所言無不従者。且儀以前使負楚以商於之約,今秦楚大戦,有悪,臣非面自謝楚不解。且大王在,楚不宜敢取儀。誠殺儀以便国,臣之願也。」儀遂使楚。至,懐王不見,因而囚張儀,欲殺之。儀私於靳尚,靳尚為請懐王曰:「拘張儀,秦王必怒。天下見楚無秦,必軽王矣。」又謂夫人鄭袖曰:「秦王甚愛張儀,而王欲殺之,今将以上庸之地六県賂楚,以美人聘楚王,以宮中善歌者為之媵。楚王重地,秦女必貴,而夫人必斥矣。夫人不若言而出之。」
書き下し
因りて之に一名都を賂ひ、之と斉を伐つに如かず。是れ我秦に亡ひて、償ひを斉に取るなり。吾が国尚ほ全うすべし。今王已に斉に絶ちて欺きを秦に責む。是れ吾秦・斉の交はりを合はせて天下の兵を来たすなり。国必ず大いに傷つかん」と。楚王聴かず、遂に和を秦に絶ち、兵を発して西のかた秦を攻む。秦も亦た兵を発して之を撃つ。十七年春、秦と丹陽に戦ふ。秦大いに我が軍を敗り、甲士八万を斬り、我が大将軍屈匄・裨将軍逢侯丑等七十余人を虜にし、遂に漢中の郡を取る。楚の懐王大いに怒り、乃ち悉く国の兵もて復た秦を襲ひ、藍田に戦ふ。大いに楚の軍を敗る。韓・魏楚の困しむを聞き、乃ち南のかた楚を襲ひ、鄧に至る。楚聞きて、乃ち兵を引きて帰る。十八年、秦使ひをして約して復た楚と親しみ、漢中の半ばを分かちて以て楚に和せんとす。楚王曰く、「願はくは張儀を得ん。地を得んことを願はず」と。張儀之を聞き、楚に之かんことを請ふ。秦王曰く、「楚且に子に甘心せんとす。奈何」と。張儀曰く、「臣其の左右靳尚に善し。靳尚又能く楚王の幸姫鄭袖に事ふるを得たり。袖の言ふ所従はざる者無し。且つ儀前に使ひして楚に負くに商於の約を以てす。今秦・楚大いに戦ひ、悪有り。臣面自ら楚に謝するに非ずんば解けず。且つ大王在り。楚宜しく敢て儀を取らざるべし。誠に儀を殺して以て国に便ならば、臣の願ひなり」と。儀遂に楚に使ひす。至る。懐王見えず。因りて張儀を囚へ、之を殺さんと欲す。儀靳尚に私す。靳尚為に懐王に請ひて曰く、「張儀を拘へば、秦王必ず怒らん。天下楚の秦無きを見て、必ず王を軽んぜん」と。又夫人鄭袖に謂ひて曰く、「秦王甚だ張儀を愛す。而して王之を殺さんと欲す。今将に上庸の地六県を以て楚に賂ひ、美人を以て楚王に聘し、宮中の善く歌ふ者を以て之が媵と為さんとす。楚王地を重んじ、秦の女必ず貴ばれん。而して夫人必ず斥けられん。夫人言ひて之を出だすに若かず」と。
現代語訳
それよりは、秦に名のある都市を一つ贈って秦と手を組み、一緒に斉を攻めるほうがよい。そうすれば秦に失ったものを、斉から取り返すことになる。わが国はまだ無事でいられる。いま王はすでに斉と絶交し、しかも秦にだまされたと責めている。これでは、わが国が秦と斉を結びつけて、天下の兵を呼び込むことになる。国は必ず大きな痛手を受けるだろう」。楚王は聞き入れず、ついに秦との和睦を断ち、兵を出して西の秦を攻めた。秦も兵を出してこれを迎え撃った。十七年の春、楚は秦と丹陽で戦った。秦は楚軍を大いに破り、甲冑をつけた兵士八万人を斬り、楚の大将軍の屈匄や副将軍の逢侯丑ら七十余人を捕らえ、そのまま漢中の郡を奪った。楚の懐王は大いに怒り、国じゅうの兵を集めて再び秦を攻め、藍田で戦ったが、秦は楚軍を大いに破った。韓と魏は楚が苦境にあると聞いて、南から楚を襲い、鄧まで攻め込んだ。楚はこれを聞いて兵を引き揚げた。十八年、秦は使者を送り、再び楚と親しくすることを約束し、漢中の半分を分けて楚と和睦しようとした。楚王は言った。「張儀を手に入れたい。土地はいらない」。張儀はこれを聞いて、楚へ行かせてほしいと願い出た。秦王は言った。「楚はおまえを殺して恨みを晴らそうとしている。どうするつもりか」。張儀は言った。「私は楚王の側近の靳尚と親しい。靳尚はまた楚王の寵姫の鄭袖にうまく取り入っていて、鄭袖の言うことなら王は何でも聞く。それに私は以前、使者として楚に行き、商於の約束で楚を裏切った。いま秦と楚が大戦をして恨みがある。私が自ら楚へ出向いて謝らなければ、この恨みは解けない。しかも大王がおられる以上、楚もまさか私を殺しはしないだろう。もし私を殺すことで国のためになるのなら、それこそ私の願いだ」。張儀はこうして楚へ使いに行った。楚に着くと、懐王は会おうともせず、張儀を捕らえて殺そうとした。張儀はひそかに靳尚に頼んだ。靳尚は張儀のために懐王に願い出て言った。「張儀を捕らえておけば、秦王は必ず怒るだろう。天下は楚が秦の後ろ盾を失ったと見て、必ず王を軽んじるだろう」。さらに夫人の鄭袖に言った。「秦王は張儀をたいへん大事にしているのに、王は彼を殺そうとしている。秦は上庸の地の六県を楚に贈り、美女を楚王に嫁がせ、宮中の歌の上手な者をそのお付きにしようとしている。楚王は土地を重んじるから、秦の女はきっと大事にされ、夫人は必ず退けられるだろう。夫人は王に口添えして、張儀を釈放させたほうがよい」。
解説
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史記 張儀列伝大いに戦ひ、楚大いに敗る、是に於いて楚両城を割きて以て秦と平らぐ。秦楚に要めて黔中の地を得んと欲し、武関の外を以て之に易へんと欲す。楚王曰く、「地を易ふるを願はず、張儀を得て黔中の地を献ぜんことを願ふ」と。秦王之を遣らんと欲するも、口言ふに忍びず。張儀乃ち行かんことを請ふ。恵王曰く、「彼の楚王子の負くに商於の地を以てせしを怒る、是れ且に心を子に甘んぜんとす」と。張儀曰く、「秦彊く楚弱し、臣靳尚に善し、尚楚の夫人鄭袖に事ふるを得、袖の言ふ所は皆従はる。且つ臣王の節を奉じて楚に使ひす、楚何ぞ敢へて誅を加へん。仮令臣を誅して秦の為に黔中の地を得ば、臣の上願なり」と。遂に楚に使ひす。楚の懐王至れば則ち張儀を囚へ、将に之を殺さんとす。靳尚鄭袖に謂ひて曰く、「子も亦子の王に賤しまれんことを知るか」と。鄭袖曰く、「何ぞや」と。靳尚曰く、「秦王甚だ張儀を愛して之を出だすを欲せず、今将に上庸の地六県を以て楚に賂ひ、美人を楚に聘し、宮中の善く歌謳する者を以て媵と為さんとす。楚王地を重んじ秦を尊ばば、秦の女必ず貴くして夫人斥けられん。為に言ひて之を出だすに若かず」と。是に於いて鄭袖日夜懐王に言ひて曰く、「人臣は各々其の主の為に用ひらる。今地未だ秦に入らざるに、秦張儀をして来たらしむ、至りて王を重んずるなり。王未だ礼有らずして張儀を殺さば、秦必ず大いに怒りて楚を攻めん。妾請ふ子母倶に江南に遷り、秦の魚肉とする所と為る毋からん」と。懐王後に悔い、張儀を赦し、厚く之を礼すること故の如し。張儀既に出で、未だ去らざるに、蘇秦の死するを聞き、乃ち楚王に説きて曰く、「秦の地は天下の半ばにして、兵は四国に敵し、険を被り河を帯び、四塞以て固めと為す。虎賁の士百余万、車千乗、騎万匹、粟を積むこと丘山の如し。法令既に明らかにして、士卒難に安んじ死を楽しみ、主は明にして以て厳、将は智にして以て武、甲を出だすこと無しと雖も、常山の険を席巻し、必ず天下の脊を折らん、天下に後れて服する者有らば先に亡びん。
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史記 屈原賈生列伝屈平既に絀けらる。其の後秦斉を伐たんと欲す。斉と楚と従親す。恵王之を患ふ。乃ち張儀をして詳りて秦を去り、厚幣もて質を委ねて楚に事へしめて曰く、「秦は甚だ斉を憎む。斉と楚と従親す。楚誠に能く斉と絶たば、秦は商・於の地六百里を献ぜんことを願ふ」と。楚の懐王貪りて張儀を信じ、遂に斉と絶ち、使をして秦に如きて地を受けしむ。張儀之を詐りて曰く、「儀は王と六里を約せり。六百里を聞かず」と。楚の使怒りて去り、帰りて懐王に告ぐ。懐王怒り、大いに師を興して秦を伐つ。秦兵を発して之を撃ち、大いに楚の師を丹・淅に破り、首を斬ること八万、楚将屈丐を虜にし、遂に楚の漢中の地を取る。懐王乃ち悉く国中の兵を発して以て深く入りて秦を撃ち、藍田に戦ふ。魏之を聞き、楚を襲ひて鄧に至る。楚兵懼れ、秦より帰る。而して斉竟に怒りて楚を救はず。楚大いに困しむ。明年、秦漢中の地を割きて楚に与へ以て和す。楚王曰く、「地を得るを願はず。張儀を得て心を甘んぜんことを願ふ」と。張儀聞き、乃ち曰く、「一儀を以て漢中の地に当つ。臣請ふ往きて楚に如かん」と。楚に如き、又因りて厚幣もて事を用ふる者の臣靳尚に用ひ、而して詭弁を懐王の寵姫鄭袖に設く。懐王竟に鄭袖に聴き、復た張儀を釈し去らしむ。是の時屈平既に疏んぜられ、復た位に在らず。斉に使ひし、顧反し、懐王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を殺さざる」と。懐王悔い、張儀を追へども及ばず。其の後諸侯共に楚を撃ち、大いに之を破り、其の将唐眛を殺す。時に秦の昭王楚と婚し、懐王と会せんと欲す。懐王行かんと欲す。屈平曰く、「秦は虎狼の国なり。信ずべからず。行くこと毋きに如かず」と。懐王の稚子子蘭、王に行くを勧む。「奈何ぞ秦の歓を絶たん」と。懐王卒に行く。武関に入る。秦伏兵もて其の後を絶ち、因りて懐王を留め、以て地を割かんことを求む。懐王怒り、聴かず。亡げて趙に走る。趙内れず。復た秦に之き、竟に秦に死して帰葬せらる。
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史記 張儀列伝楚王大いに説びて之を許す。群臣皆賀す、陳軫独り之を弔す。楚王怒りて曰く、「寡人師を興し兵を発せずして六百里の地を得たり、群臣皆賀す、子独り弔すは、何ぞや」と。陳軫対へて曰く、「然らず、臣を以て之を観るに、商於の地は得べからずして斉秦合し、斉秦合すれば則ち患ひ必ず至らん」と。楚王曰く、「説有るか」と。陳軫対へて曰く、「夫れ秦の楚を重んずる所以の者は、其の斉有るを以てなり。今関を閉ぢ約を斉に絶たば、則ち楚孤なり。秦奚ぞ夫の孤国を貪りて、之に商於の地六百里を与へんや。張儀秦に至らば、必ず王に負かん、是れ北のかた斉の交はりを絶ち、西のかた患ひを秦に生ずるなり、而して両国の兵必ず倶に至らん。善く王の為に計る者は、陰かに合して陽に斉に絶ち、人をして張儀に随はしむるに若かず。茍も吾に地を与へば、斉を絶つも未だ晩からず。吾に地を与へずんば、陰かに合して計を謀らん」と。楚王曰く、「願はくは陳子口を閉ぢて復た言ふ毋く、以て寡人の地を得るを待て」と。乃ち相印を以て張儀に授け、厚く之に賂す。是に於いて遂に関を閉ぢ約を斉に絶ち、一将軍をして張儀に随はしむ。張儀秦に至り、詳りて綏を失ひて車より墮ち、朝せざること三月。楚王之を聞きて、曰く、「儀寡人の斉を絶つを以て未だ甚だしからずと為すか」と。乃ち勇士をして宋に至らしめ、宋の符を借りて、北のかた斉王を罵らしむ。斉王大いに怒り、節を折りて秦に下る。秦斉の交はり合す、張儀乃ち朝し、楚の使者に謂ひて曰く、「臣に奉邑六里有り、願はくは以て大王の左右に献ぜん」と。楚の使者曰く、「臣令を王に受くるに、商於の地六百里を以てす、六里を聞かず」と。還りて楚王に報ず、楚王大いに怒り、兵を発して秦を攻む。陳軫曰く、「軫口を発して言ふべきか。之を攻むるは地を割きて反つて以て秦に賂ひ、之と兵を并せて斉を攻むるに如かず、是れ我地を秦に出だし、償ひを斉に取るなり、王の国尚ほ存すべし」と。楚王聴かず、卒に兵を発して将軍屈丐をして秦を撃たしむ。秦斉共に楚を攻め、首を斬ること八万、屈丐を殺し、遂に丹陽・漢中の地を取る。楚又復た益々兵を発して秦を襲ひ、藍田に至りて、
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史記 張儀列伝夫れ易危の功を守りて彊秦の心に逆ふ、臣竊かに大王の為に之を危ぶむ。且つ夫れ秦の兵を函谷より出だして以て斉・趙を攻めざること十五年なる所以の者は、陰かに天下を合するの心有るを謀ればなり。楚嘗て秦と難を構へ、漢中に戦ひ、楚人勝たず、列侯執珪の死する者七十余人、遂に漢中を亡ふ。楚王大いに怒り、兵を興して秦を襲ひ、藍田に戦ふ。此れ所謂両虎相搏つ者なり。夫れ秦楚相敝れて韓魏全きを以て其の後を制す、計此れより危ふき者無し。願はくは大王孰々之を計れ。秦甲を下して衛の陽晋を攻めば、必ず大いに天下の匈を関さん。大王悉く兵を起こして以て宋を攻めば、数月に至らずして宋挙ぐべし、宋を挙げて東に指さば、則ち泗上の十二諸侯尽く王の有なり。凡そ天下にして信約を以て従親し相堅むる者は蘇秦なり、武安君に封ぜられ、燕に相たり、即ち陰かに燕王と謀りて斉を伐破して其の地を分かたんとす。乃ち詳りて罪有りとして出で走りて斉に入る、斉王因りて受けて之を相とす。居ること二年にして覚る、斉王大いに怒り、蘇秦を市に車裂す。夫れ一詐偽の蘇秦を以て、天下を経営し、諸侯を混一せんと欲す、其の成るべからざるも亦明らかなり。今秦と楚とは境を接し界を壌にし、固より形親の国なり。大王誠に能く臣に聴かば、臣請ふ秦の太子をして入りて楚に質たらしめ、楚の太子をして入りて秦に質たらしめ、請ふ秦の女を以て大王の箕帚の妾と為し、万室の都を効して以て湯沐の邑と為し、長く昆弟の国と為り、終身相攻伐すること無からん。臣以為へらく計此れより便なる者無しと」と。是に於いて楚王已に張儀を得て、黔中の地を出だして秦に与ふるを重り、之を許さんと欲す。屈原曰く、「前に大王張儀に欺かる、張儀至らば、臣以為へらく大王之を烹んと。今縦ひ之を殺すに忍びずとも、又其の邪説を聴くは、不可なり」と。懐王曰く、「儀を許して黔中を得るは、美利なり。後にして之に倍くは、不可なり」と。故に卒に張儀を許し、秦と親しむ。張儀楚を去り、
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史記 楚世家鄭袖卒に張儀を王に言ひて之を出だす。儀出づ。懐王因りて善く儀を遇す。儀因りて楚王に説きて以て従約に叛きて秦と合親し、婚姻を約せしむ。張儀已に去る。屈原使ひして斉より来たり、王を諫めて曰く、「何ぞ張儀を誅せざる」と。懐王悔い、人をして儀を追はしむるも、及ばず。是の歳、秦の恵王卒す。二十年、斉の湣王従長と為らんと欲し、楚の秦と合するを悪み、乃ち使ひをして楚王に書を遺らしめて曰く、「寡人楚の尊名を察せざるを患ふ。今秦の恵王死し、武王立ち、張儀魏に走り、樗里疾・公孫衍用ひらる。而して楚秦に事ふ。夫れ樗里疾は韓に善く、而して公孫衍は魏に善し。楚必ず秦に事へば、韓・魏恐れ、必ず二人に因りて秦に合はんことを求めん。則ち燕・趙も亦た宜しく秦に事ふべし。四国争ひて秦に事へば、則ち楚は郡県と為らん。王何ぞ寡人と力を并せて韓・魏・燕・趙を収め、与に従を為して周室を尊び、以て兵を案じ民を息め、天下に令せざる。敢て楽しみて聴かざる莫くんば、則ち王の名成らん。王諸侯を率ゐて并せ伐たば、秦を破ること必せり。王武関・蜀・漢の地を取り、呉・越の富を私して江海の利を擅にし、韓・魏上党を割き、西のかた函谷に薄らば、則ち楚の彊百万ならん。且つ王張儀に欺かれ、地を漢中に亡ひ、兵を藍田に銼かる。天下王に代はりて怒りを懐かざる莫し。今乃ち先づ秦に事へんと欲す。願はくは大王之を孰計せよ」と。楚王業已に秦に和せんと欲す。斉王の書を見て、猶予して決せず、其の議を群臣に下す。群臣或いは秦に和せんと言ひ、或いは斉に聴かんと曰ふ。昭雎曰く、「王東のかた地を越に取ると雖も、以て恥を刷ふに足らず。必ず且に地を秦に取るべし。而る後に以て恥を諸侯に刷ふに足らん。王深く斉・韓に善くして以て樗里疾を重んずるに如かず。是の如くせば則ち王韓・斉の重きを得て以て地を求めん。
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