春秋左氏伝 / 閔公二年 衛の遺民、曹に廬す
初,惠公之即位也少,齊人使昭伯烝於宣姜,不可,強之。生齊子、戴公、文公、宋桓夫人、許穆夫人。文公為衛之多患也,先適齊。及敗,宋桓公逆諸河,宵濟。衛之遺民男女七百有三十人,益之以共、滕之民為五千人,立戴公以廬于曹。許穆夫人賦《載馳》。齊侯使公子無虧帥車三百乘、甲士三千人以戍曹。歸公乘馬,祭服五稱,牛羊豕雞狗皆三百與門材。歸夫人魚軒,重錦三十兩。鄭人惡高克,使帥師次于河上,久而弗召。師潰而歸,高克奔陳。鄭人為之賦《清人》。
新字:初,恵公之即位也少,斉人使昭伯烝於宣姜,不可,強之。生斉子、戴公、文公、宋桓夫人、許穆夫人。文公為衛之多患也,先適斉。及敗,宋桓公逆諸河,宵済。衛之遺民男女七百有三十人,益之以共、滕之民為五千人,立戴公以廬于曹。許穆夫人賦《載馳》。斉侯使公子無虧帥車三百乗、甲士三千人以戍曹。帰公乗馬,祭服五称,牛羊豕鶏狗皆三百与門材。帰夫人魚軒,重錦三十両。鄭人悪高克,使帥師次于河上,久而弗召。師潰而帰,高克奔陳。鄭人為之賦《清人》。
書き下し
初め、惠公の即位するや少し。齊人昭伯をして宣姜に烝せしむ。可かず、之を強ふ。齊子・戴公・文公・宋の桓夫人・許の穆夫人を生む。文公衛の患ひ多きが爲に、先づ齊に適く。敗るるに及び、宋の桓公諸を河に逆へ、宵に濟る。衛の遺民男女七百有三十人、之に益すに共・滕の民を以ってして五千人と爲し、戴公を立てて以って曹に廬す。許の穆夫人《載馳》を賦す。齊侯公子無虧をして車三百乘・甲士三千人を帥ゐて以って曹を戍らしむ。公に乘馬、祭服五稱、牛・羊・豕・雞・狗皆三百と門材とを歸る。夫人に魚軒、重錦三十兩を歸る。鄭人高克を惡み、師を帥ゐて河上に次らしめ、久しくして召さず。師潰えて歸り、高克陳に奔る。鄭人之が爲に《清人》を賦す。
現代語訳
これより前、衛の恵公が即位したときはまだ幼かった。斉の人々は、恵公の庶兄の昭伯(公子頑)に、恵公の母である宣姜と通じさせようとした。昭伯は承知しなかったが、無理強いした。こうして斉子、戴公、文公、宋の桓公夫人、許の穆公夫人が生まれた。文公は衛に禍が多いのを見て、先に斉へ移っていた。衛が狄に敗れると、宋の桓公が黄河のほとりで衛の人々を迎え、夜のうちに河を渡らせた。衛の生き残りの民は男女あわせて七百三十人であった。これに共と滕の民を加えて五千人とし、戴公を立てて曹の地に仮住まいした。許の穆公夫人は(祖国の滅亡を悲しんで)「載馳」の詩を作った。斉侯(桓公)は公子無虧に戦車三百乗と甲士三千人を率いさせて曹を守らせた。戴公には乗馬用の四頭立ての馬、祭服五揃い、牛・羊・豚・鶏・犬をそれぞれ三百頭、それに門を造る材木を贈った。夫人には魚の皮で飾った車と、厚手の錦三十匹を贈った。鄭の人々は高克を憎み、軍を率いて黄河のほとりに駐屯させ、長い間呼び戻さなかった。軍は崩れて兵は勝手に帰り、高克は陳に亡命した。鄭の人々は彼のために「清人」の詩を作った。
解説
この章句が説くこと
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