墨子 / 貴義
子墨子曰:世俗之君子,視義士不若負粟者。今有人於此,負粟息於路側,欲起而不能,君子見之,無長少貴賤,必起之。何故也?曰:義也。今為義也君子,奉承先王之道以語之,縱不説而行,又從而非毁之。則是世俗之君子之視義士也,不若視負粟者也。
新字:子墨子曰:世俗之君子,視義士不若負粟者。今有人於此,負粟息於路側,欲起而不能,君子見之,無長少貴賤,必起之。何故也?曰:義也。今為義也君子,奉承先王之道以語之,縦不説而行,又従而非毁之。則是世俗之君子之視義士也,不若視負粟者也。
書き下し
子墨子曰く、世俗の君子、義士を視ること粟を負う者に若かず。今、人、此に有り。粟を負いて路側に息い、起たんと欲して能わず。君子、之を見れば、長少貴賤と無く、必ず之を起たしむ。何の故ぞや。曰く、義なり。今、義を為すの君子、先王の道を奉承して以て之に語るも、縱いて説ばずして行き、又た従いて之を非毁す。則ち是れ世俗の君子の義士を視るや、粟を負う者を視るに若かざるなり。
現代語訳
墨子が言った。世間の君子は、義を行う士を見るのに、米俵を担ぐ者を見るほどにも扱わない。いまここに人がいて、米俵を担いで道端で休み、立ち上がろうとして立てないでいる。君子がそれを見れば、年上でも年下でも貴くても賤しくても、必ず助け起こす。なぜか。義だからである。ところが義を行う君子が、先王の道を受け継いでそれを語っても、喜ばずに行き過ぎ、そのうえ後ろから謗る。とすれば世間の君子が義士を見るのは、米俵を担ぐ者を見るのに及ばない。
解説
目の前で困っている人には誰でも手を貸すのに、正しいことを説く人には冷たい。同じ義なのに扱いが違う、という指摘です。手を貸す義は分かりやすく、支持する義は分かりにくい。正論を言う人が孤立する構図を、二千年以上前に同じ形で見ていたことになります。分かりやすい善行だけが評価される場では、面倒な正しさは育ちません。
この章句が説くこと
義支援正論孤立扱い
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