春秋左氏伝 / 閔公元年 閔公、即位を書せず
元年春,不書即位,亂故也。
新字:元年春,不書即位,乱故也。
書き下し
元年春、即位を書せざるは、亂の故なり。
現代語訳
閔公元年の春、『春秋』が閔公の「即位」を記さないのは、国が乱れていて、即位の儀礼を正式に行えなかったからである。
解説
わずか十三字の句だが、魯の混乱をよく表している。前年、荘公が亡くなると後継ぎの子般が慶父に殺され、季友は陳に亡命し、幼い閔公が立てられた。こうした事情で、新君が正月に宗廟に告げて即位する正式の儀礼は行われなかった。『春秋』は魯の君主が代わると、その元年の春に「公即位」と記すのが通例である。それを書かないことには理由がある、というのが左伝の立場で、隠公では「攝」、つまり仮の君主であったから、この閔公では「亂」のためだと説明する。記録の空白そのものが一つの記録になっているのである。即位を書かれない君主は、正統性を完全には認められていない君主でもある。実際、閔公は二年もたたないうちに慶父によって殺される。形式が整わないまま始まった体制がどれほど脆いか。儀礼を軽んじてよいかどうかを考えるとき、この短い一行が手がかりになる。
この章句が説くこと
正統性書法記録混乱形式
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