武士道 / 第二章 武士道の淵源・十六世紀に最高度に発展した
慧眼なる佛國碩學マエル氏は、其の『日本史論』中、第十六世紀史に就いて感想せる意見を總說して日はく、第十六世紀の中葉まで、日本は、政治も、社會も、宗教も共に混亂の狀態に陷りたり。然りと雖、爭亂紛擾止む時なく、社會の情態は蠻野に復し、人民自から義法を行ふの要ありたるよりして彼等はテーヌが、『勇敢なる起手、决意斷行の習性、堅忍敢爲の襟度』と賛せる、第十六世紀の以太利人に髣髴たるの人格を形成したり。然るに以太利に於けるが如く、日本に於て亦た、テーヌの云へる如く、「中世紀の粗野なる狀勢の、人をして武力的、反抗的なる、卓絕非凡の動物たらしむる』ものありたるが故に、日本民族の資質は、第十六世紀に於て、最高度に發展し、其性情、心念亦た同時に頗る多方に伸張したり。
新字:慧眼なる仏国碩学マエル氏は、其の『日本史論』中、第十六世紀史に就いて感想せる意見を総説して日はく、第十六世紀の中葉まで、日本は、政治も、社会も、宗教も共に混乱の状態に陥りたり。然りと雖、争乱紛擾止む時なく、社会の情態は蠻野に復し、人民自から義法を行ふの要ありたるよりして彼等はテーヌが、『勇敢なる起手、決意断行の習性、堅忍敢為の襟度』と賛せる、第十六世紀の以太利人に髣髴たるの人格を形成したり。然るに以太利に於けるが如く、日本に於て亦た、テーヌの云へる如く、「中世紀の粗野なる状勢の、人をして武力的、反抗的なる、卓絶非凡の動物たらしむる』ものありたるが故に、日本民族の資質は、第十六世紀に於て、最高度に発展し、其性情、心念亦た同時に頗る多方に伸張したり。
書き下し
慧眼なる仏国碩学メール氏は、其の『日本史論』中、第十六世紀史に就いて感想せる意見を総説して曰はく、第十六世紀の中葉まで、日本は、政治も、社会も、宗教も共に混乱の状態に陥りたり。然りと雖、争乱紛擾止む時なく、社会の情態は蛮野に復し、人民自から義法を行ふの要ありたるよりして、彼等はテーヌが『勇敢なる起手、決意断行の習性、堅忍敢為の襟度』と賛せる、第十六世紀の伊太利人に髣髴たるの人格を形成したり。然るに伊太利に於けるが如く、日本に於て亦た、テーヌの云へる如く、『中世紀の粗野なる状勢の、人をして武力的、反抗的なる、卓絶非凡の動物たらしむる』ものありたるが故に、日本民族の資質は、第十六世紀に於て、最高度に発展し、其性情、心念亦た同時にすこぶる多方に伸張したり。
現代語訳
眼の利くフランスの学者メール氏は、その『日本史論』の中で、十六世紀史について述べた意見を総括してこう言います。十六世紀の半ばまで、日本は政治も社会も宗教もともに混乱の状態に陥っていた。とはいえ、争乱が止む時なく、社会の状態は野蛮に戻り、人民が自ら義と法を行う必要があったため、彼らはテーヌが、勇敢な着手、決意して断行する習性、堅く忍んで敢えて為す度量、と讃えた十六世紀のイタリア人に似た人格を形成した。ところがイタリアと同じように日本においても、テーヌの言うように、中世の粗野な状勢が人を武力的で反抗的な、際立って非凡な動物にするものがあったので、日本民族の資質は十六世紀に最高度に発展し、その性情と心の働きも同時にかなり多方面へ伸びた、と。
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