春秋左氏伝 / 荘公三十二年 季友、叔牙を酖す
初,公築台臨黨氏,見孟任,從之。閟,而以夫人言,許之。割臂盟公,生子般焉。雩,講于梁氏,女公子觀之。圉人犖自牆外與之戲。子般怒,使鞭之。公曰:『不如殺之,是不可鞭。犖有力焉,能投蓋於稷門。』公疾,問後於叔牙。對曰:『慶父材。』問于季友,對曰:『臣以死奉般。』公曰:『鄉者牙曰慶父材。』成季使以君命命僖叔待于鍼巫氏,使鍼季酖之,曰:『飲此則有後於魯國,不然,死且無後。』飲之,歸,及逵泉而卒,立叔孫氏。八月癸亥,公薨于路寢。子般即位,次於黨氏。冬十月己未,共仲使圉人犖賊子般於黨氏。成季奔陳。立閔公。
新字:初,公築台臨党氏,見孟任,従之。閟,而以夫人言,許之。割臂盟公,生子般焉。雩,講于梁氏,女公子観之。圉人犖自牆外与之戯。子般怒,使鞭之。公曰:『不如殺之,是不可鞭。犖有力焉,能投蓋於稷門。』公疾,問後於叔牙。対曰:『慶父材。』問于季友,対曰:『臣以死奉般。』公曰:『郷者牙曰慶父材。』成季使以君命命僖叔待于鍼巫氏,使鍼季酖之,曰:『飲此則有後於魯国,不然,死且無後。』飲之,帰,及逵泉而卒,立叔孫氏。八月癸亥,公薨于路寝。子般即位,次於党氏。冬十月己未,共仲使圉人犖賊子般於党氏。成季奔陳。立閔公。
書き下し
初め、公台を築きて黨氏に臨み、孟任を見て、之に從ふ。閟づ。而して夫人を以って言ふ。之を許す。臂を割きて公に盟ひ、子般を生む。雩して、梁氏に講す。女公子之を觀る。圉人犖牆外より之と戲る。子般怒り、之を鞭たしむ。公曰く、「之を殺すに如かず。是れ鞭つ可からず。犖は力有り、能く蓋を稷門に投ず」と。公疾む。後を叔牙に問ふ。對へて曰く、「慶父材あり」と。季友に問ふ。對へて曰く、「臣死を以って般を奉ぜん」と。公曰く、「鄉者に牙慶父材ありと曰へり」と。成季君命を以って僖叔に命じて鍼巫氏に待たしめ、鍼季をして之を酖せしめて、曰く、「此を飲まば則ち魯國に後有らん。然らずんば、死して且つ後無からん」と。之を飲み、歸りて、逵泉に及びて卒す。叔孫氏を立つ。八月癸亥、公路寢に薨ず。子般即位し、黨氏に次る。冬十月己未、共仲圉人犖をして子般を黨氏に賊せしむ。成季陳に奔る。閔公を立つ。
現代語訳
これより前、荘公は高台を築いて党氏の家を見下ろせるようにし、そこで孟任を見かけて後を追った。孟任は門を閉ざして拒んだ。そこで荘公は、夫人にすると約束した。孟任はそれを受け入れた。孟任は自分の腕を切って血で荘公と誓いを立て、子般を生んだ。雨乞いの祭りの予行を梁氏の家で行ったとき、荘公の娘がそれを見物していた。馬飼いの犖が塀の外から娘をからかった。子般は怒って犖を鞭打たせた。荘公は言った。「いっそ殺してしまうほうがよい。あの男は鞭打ってすませてよい者ではない。犖は力が強く、車の覆いを稷門の上まで投げ上げることができるほどだ」。荘公が病に倒れた。後継ぎのことを弟の叔牙にたずねると、叔牙は答えた。「慶父(荘公の庶兄、共仲)に才があります」。季友(荘公の同母弟、成季)にたずねると、季友は答えた。「私は死をかけて子般をお奉りします」。荘公は言った。「さきほど叔牙は、慶父に才があると言ったぞ」。そこで成季(季友)は君命と称して僖叔(叔牙)に鍼巫氏の家で待つよう命じ、鍼季に毒酒を飲ませて言わせた。「これを飲めば、魯国にあなたの家の後継ぎが残ります。飲まなければ、死んだうえに後継ぎも絶えます」。叔牙はそれを飲み、帰る途中の逵泉まで来て死んだ。その子を立てて叔孫氏とした。八月癸亥、荘公は正殿で亡くなった。子般が即位し、母の実家の党氏に仮住まいした。冬十月己未、共仲(慶父)は馬飼いの犖に命じて、子般を党氏で殺させた。成季は陳に亡命した。そして閔公が立てられた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 魯周公世家十五年、斉の桓公始めて覇たり。二十三年、荘公斉に如きて社を観る。三十二年、初め、荘公、台を築きて党氏に臨み、孟女を見て、説びて之を愛し、立てて夫人と為さんことを許し、臂を割きて以て盟ふ。孟女、子斑を生む。斑長じ、梁氏の女を説び、往きて観る。圉人犖、墻外より梁氏の女と戯る。斑怒りて、犖を鞭うつ。荘公之を聞きて、曰く、「犖は力有り。遂に之を殺せ。是れ未だ鞭うちて置く可からざるなり」と。斑未だ殺すを得ず。会々荘公疾有り。荘公に三弟有り。長を慶父と曰ひ、次を叔牙と曰ひ、次を季友と曰ふ。荘公、斉の女を取りて夫人と為し、哀姜と曰ふ。哀姜子無し。哀姜の娣を叔姜と曰ひ、子開を生む。荘公に適嗣無く、孟女を愛し、其の子斑を立てんと欲す。荘公病み、嗣を弟叔牙に問ふ。叔牙曰く、「一継一及は、魯の常なり。慶父在り、嗣と為す可し。君何ぞ憂へん」と。荘公、叔牙の慶父を立てんと欲するを患へ、退きて季友に問ふ。季友曰く、「請ふ死を以て斑を立てん」と。荘公曰く、「曩者、叔牙、慶父を立てんと欲す。柰何せん」と。季友、荘公の命を以て牙に命じて鍼巫氏に待たしめ、鍼季をして叔牙を劫かして飲ましむるに鴆を以てせしめて、曰く、「此を飲めば則ち後有りて祀を奉ぜん。然らずんば、死して且つ後無からん」と。牙遂に鴆を飲みて死す。魯、其の子を立てて叔孫氏と為す。八月癸亥、荘公卒す。季友竟に子斑を立てて君と為すこと、荘公の命の如し。喪に侍して、党氏に舎る。是より先、慶父、哀姜と私通し、哀姜の娣の子開を立てんと欲す。荘公卒して季友の斑を立つるに及び、十月己未、慶父、圉人犖をして魯の公子斑を党氏に殺さしむ。季友、陳に奔る。慶父竟に荘公の子開を立つ。是れを湣公と為す。湣公の二年、慶父、哀姜と通ずること益々甚だし。哀姜、慶父と謀りて湣公を殺して慶父を立てんとす。慶父、卜齮をして湣公を武闈に襲殺せしむ。
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『春秋左氏伝』閔公二年 慶父、自ら縊る二年春、虢公犬戎を渭汭に敗る。舟之僑曰く、「德無くして祿あるは、殃なり。殃將に至らんとす」と。遂に晉に奔る。夏、莊公に吉禘す、速やかなるなり。初め、公の傅卜齮の田を奪ふ。公禁ぜず。秋八月辛丑、共仲卜齮をして公を武闈に賊せしむ。成季僖公を以って邾に適く。共仲莒に奔る。乃ち入りて、之を立つ。賂を以って共仲を莒に求む。莒人之を歸す。密に及び、公子魚をして請はしむ。許さず。哭して往く。共仲曰く、「奚斯の聲なり」と。乃ち縊る。閔公は、哀姜の娣叔姜の子なり。故に齊人之を立つ。共仲哀姜に通ず。哀姜之を立てんと欲す。閔公の死するや、哀姜與り知る。故に邾に孫る。齊人取りて之を夷に殺し、其の尸を以って歸る。僖公請ひて之を葬る。成季の將に生まれんとするや、桓公卜楚丘の父をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を友と曰ひ、公の右に在らん。兩社に間はり、公室の輔と爲らん。季氏亡びなば、則ち魯昌えず」と。又之を筮し、《大有》の《乾》に之くに遇ふ。曰く、「同じく父に復り、敬すること君の所の如し」と。生まるるに及び、文の其の手に在る有りて「友」と曰ふ。遂に以って之に命く。
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『春秋左氏伝』閔公元年 慶父を去らずんば夏、六月、莊公を葬る。亂の故に、是を以って緩し。秋、八月、公齊侯と落姑に盟ふ、季友を復せんことを請ふなり。齊侯之を許し、諸を陳に召さしむ。公郎に次りて以って之を待つ。「季子來歸す」とは、之を嘉するなり。冬、齊の仲孫湫來りて難を省る。書して「仲孫」と曰ふは、亦た之を嘉するなり。仲孫歸りて曰く、「慶父を去らずんば、魯の難未だ已まじ」と。公曰く、「之を若何にして之を去らん」と。對へて曰く、「難已まずんば、將に自ら斃れんとす。君其れ之を待て」と。公曰く、「魯取る可きか」と。對へて曰く、「不可なり。猶ほ周禮を秉る。周禮は、本とする所以なり。臣之を聞く、『國將に亡びんとすれば、本必ず先づ顛れて、而る後に枝葉之に從ふ』と。魯周禮を棄てず、未だ動かす可からざるなり。君其れ務めて魯の難を寧んじて之に親しめ。有禮に親しみ、重固に因り、攜貳を間し、昬亂を覆すは、霸王の器なり」と。晉侯二軍を作る。公上軍に將たり、大子申生下軍に將たり。趙夙戎に御し、畢萬右と爲り、以って耿を滅ぼし、霍を滅ぼし、魏を滅ぼす。還りて、大子の爲に曲沃に城く。趙夙に耿を賜ひ、畢萬に魏を賜ひ、以って大夫と爲す。
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史記 魯周公世家請ふ子の為に隠公を殺さん」と。子允許諾す。十一月、隠公、鍾巫を祭り、社圃に斉し、蒍氏に館す。揮、人をして隠公を蒍氏に殺さしめ、而して子允を立てて君と為す。是れを桓公と為す。桓公の元年、鄭、璧を以て天子の許田に易ふ。二年、宋の賂鼎を以て太廟に入る。君子之を譏る。三年、揮をして婦を斉に迎へて夫人と為さしむ。六年、夫人子を生む。桓公と日を同じくす。故に名づけて同と曰ふ。同長じ、太子と為る。十六年、曹に会し、鄭を伐ち、厲公を入る。十八年春、公将に行くこと有らんとし、遂に夫人と斉に如く。申繻諫めて止むるも、公聴かず、遂に斉に如く。斉の襄公、桓公の夫人に通ず。公、夫人を怒る。夫人以て斉侯に告ぐ。夏四月丙子、斉の襄公、公を饗す。公酔ふ。公子彭生をして魯の桓公を抱かしめ、因りて彭生に命じて其の脅を摺かしむ。公、車に死す。魯人、斉に告げて曰く、「寡君、君の威を畏れ、敢て寧居せず、来りて好礼を修む。礼成りて反らず。咎を帰する所無し。請ふ彭生を得て丑を諸侯に除かん」と。斉人、彭生を殺して以て魯に説く。太子同を立つ。是れを荘公と為す。荘公の母夫人、因りて斉に留まり、敢て魯に帰らず。荘公の五年冬、衛を伐ち、衛の恵公を内る。八年、斉の公子糾来奔す。九年、魯、子糾を斉に内れんと欲するも、桓公に後る。桓公、兵を発して魯を撃つ。魯急にして、子糾を殺す。召忽死す。斉、魯に告げて生きながら管仲を致さしむ。魯人施伯曰く、「斉の管仲を得んと欲するは、之を殺すに非ず、将に之を用ひんとするなり。之を用ひば則ち魯の患と為らん。殺して其の尸を以て之に与ふるに如かず」と。荘公聴かず、遂に管仲を囚にして斉に与ふ。斉人、管仲を相とす。十三年、魯の荘公、曹沬と斉の桓公に柯に会す。曹沬、斉の桓公を劫かし、魯の侵地を求め、已に盟ひて桓公を釈く。桓公約に背かんと欲す。管仲諫め、卒に魯の侵地を帰す。
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『春秋左氏伝』桓公十八年 魯の桓公、斉に死す十八年春、公將に行くこと有らんとし、遂に姜氏と齊に如かんとす。申繻曰く、「女に家有り、男に室有り、相瀆すこと無し、之を禮有りと謂ふ。此を易へば、必ず敗れん」と。公齊侯に濼に會し、遂に文姜と齊に如く。齊侯焉に通ず。公之を謫む。以て告ぐ。夏四月丙子、公を享す。公子彭生をして公を乘せしむ。公車に薨ず。魯人齊に告げて曰く、「寡君君の威を畏れ、敢へて甯居せず、來りて舊好を修む。禮成りて反らず、咎を歸する所無く、諸侯に惡し。請ふ彭生を以て之を除かん」と。齊人彭生を殺す。秋、齊侯首止に師す。子亹之に會し、高渠彌相たり。七月戊戌、齊人子亹を殺して高渠彌を轘す。祭仲鄭子を陳に逆へて之を立つ。是の行や、祭仲之を知る。故に疾と稱して往かず。人曰く、「祭仲知を以て免る」と。仲曰く、「信なり」と。周公莊王を弑して王子克を立てんと欲す。辛伯王に告げ、遂に王と周公黑肩を殺す。王子克燕に奔る。初め、子儀桓王に寵有り。桓王諸を周公に屬す。辛伯諫めて曰く、「后に並び、嫡に匹し、政を兩にし、國を耦にするは、亂の本なり」と。周公從はず。故に及ぶ。
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史記 魯周公世家季友之を聞き、陳より湣公の弟申と邾に如き、魯に之を内れんことを求めんと請ふ。魯人、慶父を誅せんと欲す。慶父恐れ、莒に奔る。是に於て季友、子申を奉じて入り、之を立つ。是れを釐公と為す。釐公も亦荘公の少子なり。哀姜恐れ、邾に奔る。季友、賂を以て莒に如きて慶父を求む。慶父帰る。人をして慶父を殺さしめんとす。慶父奔らんことを請ふも、聴かず。乃ち大夫奚斯をして行き哭して往かしむ。慶父、奚斯の音を聞き、乃ち自殺す。斉の桓公、哀姜と慶父と乱れて以て魯を危くせしを聞き、及ち之を邾より召して之を殺し、其の尸を以て帰り、之を魯に戮す。魯の釐公請ひて之を葬る。季友の母は陳の女なり。故に亡げて陳に在り。陳、故に季友及び子申を佐け送る。季友の将に生れんとするや、父魯の桓公、人をして之を卜せしむ。曰く、「男なり。其の名を『友』と曰ひ、両社に間はりて、公室の輔と為らん。季友亡びば、則ち魯昌えず」と。生るるに及び、文の掌に在る有りて『友』と曰ふ。遂に以て之に名づけ、号して成季と為す。其の後を季氏と為し、慶父の後を孟氏と為すなり。釐公の元年、汶陽の鄪を以て季友を封ず。季友相と為る。九年、晋の里克、其の君奚斉・卓子を殺す。斉の桓公、釐公を率ゐて晋の乱を討ち、高梁に至りて還り、晋の恵公を立つ。十七年、斉の桓公卒す。二十四年、晋の文公即位す。三十三年、釐公卒し、子の興立つ。是れを文公と為す。文公の元年、楚の太子商臣、其の父成王を弑して、代りて立つ。三年、文公、晋の襄公に朝す。十一年十月甲午、魯、翟を咸に敗り、長翟の喬如を獲たり。富父終甥、其の喉を舂き、戈を以て之を殺し、其の首を子駒の門に埋め、以て宣伯に命づく。初め、宋の武公の世、鄋瞞、宋を伐つ。司徒皇父、師を帥ゐて之を御ぎ、以て翟を長丘に敗り、長翟の縁斯を獲たり。晋の路を滅すや、喬如の弟棼如を獲たり。
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