春秋左氏伝 / 荘公二十八年 楚幕に烏あり
楚令尹子元欲蠱文夫人,爲館于其宮側,而振萬焉。夫人聞之,泣曰:『先君以是舞也,習戎備也。今令尹不尋諸仇讎,而於未亡人之側,不亦異乎!』禦人以告子元。子元曰:『婦人不忘襲仇,我反忘之!』秋,子元以車六百乘伐鄭,入於桔柣之門。子元、鬭禦疆、鬭梧、耿之不比爲旆,鬭班、王孫游、王孫喜殿。眾車入自純門,及逵市。縣門不發,楚言而出。子元曰:『鄭有人焉。』諸侯救鄭,楚師夜遁。鄭人將奔桐丘,諜告曰:『楚幕有烏。』乃止。冬,饑。臧孫辰告糴于齊,禮也。築郿,非都也。凡邑有宗廟先君之主曰都,無曰邑。邑曰築,都曰城。
新字:楚令尹子元欲蠱文夫人,為館于其宮側,而振万焉。夫人聞之,泣曰:『先君以是舞也,習戎備也。今令尹不尋諸仇讎,而於未亡人之側,不亦異乎!』禦人以告子元。子元曰:『婦人不忘襲仇,我反忘之!』秋,子元以車六百乗伐鄭,入於桔柣之門。子元、闘禦疆、闘梧、耿之不比為旆,闘班、王孫游、王孫喜殿。衆車入自純門,及逵市。県門不発,楚言而出。子元曰:『鄭有人焉。』諸侯救鄭,楚師夜遁。鄭人将奔桐丘,諜告曰:『楚幕有烏。』乃止。冬,饑。臧孫辰告糴于斉,礼也。築郿,非都也。凡邑有宗廟先君之主曰都,無曰邑。邑曰築,都曰城。
書き下し
楚の令尹子元文夫人を蠱せんと欲し、館を其の宮の側に爲りて、萬を振ふ。夫人之を聞き、泣きて曰く、「先君是の舞を以ってするや、戎備を習ふなり。今令尹諸を仇讎に尋ねずして、未亡人の側に於いてす。亦た異ならずや」と。禦人以って子元に告ぐ。子元曰く、「婦人すら仇を襲ふを忘れず、我反って之を忘る」と。秋、子元車六百乘を以って鄭を伐ち、桔柣の門に入る。子元・鬭禦疆・鬭梧・耿之不比旆と爲り、鬭班・王孫游・王孫喜殿す。眾車純門より入り、逵市に及ぶ。縣門發せず。楚言して出づ。子元曰く、「鄭に人有り」と。諸侯鄭を救ふ。楚の師夜遁る。鄭人將に桐丘に奔らんとす。諜告げて曰く、「楚の幕に烏有り」と。乃ち止む。冬、饑う。臧孫辰糴を齊に告ぐ、禮なり。郿に築く、都に非ざるなり。凡そ邑に宗廟先君の主有るを都と曰ひ、無きを邑と曰ふ。邑には築と曰ひ、都には城と曰ふ。
現代語訳
楚の令尹(宰相)子元は、亡き文王の夫人を誘惑しようと考え、夫人の宮殿のそばに館を建て、そこで万舞(武の舞)を盛大に舞わせた。夫人はこれを聞いて泣いて言った。「先君がこの舞を舞わせたのは、軍の備えを習うためでした。いま令尹はこれを仇敵に向けて用いず、未亡人の傍らで舞わせている。なんとおかしなことではありませんか」。侍者がこれを子元に告げた。子元は言った。「婦人でさえ仇を討つことを忘れていないのに、私はかえってそれを忘れていた」。秋、子元は戦車六百乗で鄭を討ち、桔柣の門から入った。子元・鬭禦疆・鬭梧・耿之不比が旗を掲げて先鋒となり、鬭班・王孫游・王孫喜がしんがりを務めた。多くの戦車は純門から入って大通りの市場に達した。ところが鄭の城の内門の吊り門は下ろされておらず開いたままであった。楚兵は罠を疑い、楚の言葉で何やら言い合って退いた。子元は言った。「鄭には人物がいる」。諸侯が鄭を救いに来たので、楚の軍は夜に逃げ去った。鄭の人々は桐丘に逃げようとしていたが、斥候が「楚の陣幕に烏が止まっています」と告げたので(陣営が空だと分かり)、逃げるのをやめた。冬、魯は飢饉となった。臧孫辰(臧文仲)が斉に穀物の買い入れを申し入れた。これは礼にかなっている。郿に城壁を築いたが、郿は都ではない。およそ邑のうち宗廟と先君の位牌のあるものを都と呼び、ないものを邑と呼ぶ。『春秋』は邑に城壁を造るのを「築」と書き、都の場合は「城」と書く。
解説
この章句が説くこと
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