呻吟語 / 内篇・修身・能く愧ぢ能く奮へば聖人に至る可し
士君子作人不長進,只是不用心、不著力。其所以不用心、不著力者,只是不愧不奮。能愧能奮,聖人可至。
書き下し
士君子人と作りて長進せざるは、只だ是れ心を用ひず、力を著けざればなり。其の心を用ひず力を著けざる所以は、只だ是れ愧ぢず奮はざればなり。能く愧ぢ能く奮はば、聖人にも至る可し。
現代語訳
士君子が人として伸びないのは、ただ心を用いず、力を入れていないからです。心を用いず力を入れない理由は、ただ恥じず奮い立たないからです。恥じることができ、奮い立つことができれば、聖人にまで至れます。
解説
伸びない理由を二段さかのぼります。心を用いないからだ、ではなぜ用いないのか、恥じないからだ、と。恥と奮いという二つの感情を、努力の燃料として置いているのが特徴です。方法論ではなく、動き出す前の感情を問題にしている。裏を返せば、方法をいくら学んでも、恥じる気持ちが無ければ動かないということになります。最後の一句が、そこまで行けば聖人にも届くと持ち上げています。
この章句が説くこと
向上恥奮起努力動機
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