人物志 / 八觀
故聽言信貌,或失其真;詭情御反,或失其賢;賢否之察,實在所依。是故,觀其所依,而似類之質,可知也。何謂觀其愛敬,以知通塞?
新字:故聴言信貌,或失其真;詭情御反,或失其賢;賢否之察,実在所依。是故,観其所依,而似類之質,可知也。何謂観其愛敬,以知通塞?
書き下し
故に言を聴き貌を信ずれば、或いは其の真を失ひ、情を詭り反を御すれば、或いは其の賢を失ふ。賢否の察は、実に依る所に在り。是の故に、其の依る所を観て、似類の質、知るべきなり。何をか其の愛敬を観て、以て通塞を知ると謂ふ。
現代語訳
だから、言葉を聴いて外見を信じれば、その人の本当の姿を見失うことがあり、本心と反対に装われた情に振り回されれば、賢い人を見失うことがある。賢いか否かを見極める鍵は、実にその人の行いが何に依っているかにある。それゆえ、その人の依りどころを観れば、本物に似たものの資質を知ることができる。では、その人の愛と敬のあり方を観て、人との関係が通じるか塞がるかを知るとは、どういうことか。
解説
八観の第四「所由」を締めくくり、第五「愛敬」へ移る一節である。言葉と外見を信じれば真実を見失い、装われた情に振り回されれば賢者を見失う。だから賢否を見極める鍵は、その人の行いが何に依っているか、つまり動機や拠りどころにある、と劉劭は結論する。直言が正しさから出るのか攻撃性から出るのか、施しが恵みから出るのか見栄から出るのかを見分けるのが「所由」の眼目だった。劉劭の時代には、清談の弁舌や名士の評判が人物評価を大きく左右しており、言葉と外見への警戒はとくに切実だった。現代でも、プレゼンが上手な人や感じのよい人が高く評価されやすい。その行いを支えているものが何かを観ることで、見かけに惑わされない人物評価ができる。
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