春秋左氏伝 / 荘公二十二年 観国之光
初,懿氏卜妻敬仲,其妻占之,曰:『吉,是謂「鳳皇於飛,和鳴鏘鏘,有媯之後,將育于姜。五世其昌,並於正卿。八世之後,莫之與京。」』陳厲公,蔡出也。故蔡人殺五父而立之,生敬仲。其少也,周史有以《周易》見陳侯者,陳侯使筮之,遇《觀》之《否》。曰:『是謂「觀國之光,利用賓于王。」代陳有國乎。不在此,其在異國;非此其身,在其子孫。光,遠而自他有耀者也。《坤》,土也。《巽》,風也。《乾》,天也。風爲天於土上,山也。有山之材而照之以天光,於是乎居土上,故曰:「觀國之光,利用賓于王。」庭實旅百,奉之以玉帛,天地之美具焉,故曰:「利用賓于王。」猶有觀焉,故曰其在後乎。風行而著於土,故曰其在異國乎。若在異國,必姜姓也。姜,大嶽之後也。山嶽則配天,物莫能兩大。陳衰,此其昌乎。』及陳之初亡也,陳桓子始大於齊。其後亡也,成子得政。
新字:初,懿氏卜妻敬仲,其妻占之,曰:『吉,是謂「鳳皇於飛,和鳴鏘鏘,有媯之後,将育于姜。五世其昌,並於正卿。八世之後,莫之与京。」』陳厲公,蔡出也。故蔡人殺五父而立之,生敬仲。其少也,周史有以《周易》見陳侯者,陳侯使筮之,遇《観》之《否》。曰:『是謂「観国之光,利用賓于王。」代陳有国乎。不在此,其在異国;非此其身,在其子孫。光,遠而自他有耀者也。《坤》,土也。《巽》,風也。《乾》,天也。風為天於土上,山也。有山之材而照之以天光,於是乎居土上,故曰:「観国之光,利用賓于王。」庭実旅百,奉之以玉帛,天地之美具焉,故曰:「利用賓于王。」猶有観焉,故曰其在後乎。風行而著於土,故曰其在異国乎。若在異国,必姜姓也。姜,大嶽之後也。山嶽則配天,物莫能両大。陳衰,此其昌乎。』及陳之初亡也,陳桓子始大於斉。其後亡也,成子得政。
書き下し
初め、懿氏敬仲に妻はせんことを卜す。其の妻之を占ひて曰く、「吉なり。是を『鳳皇於に飛び、和鳴鏘鏘たり。有媯の後、將に姜に育たんとす。五世にして其れ昌え、正卿に並ばん。八世の後、之と京しきもの莫からん』と謂ふ」と。陳の厲公は、蔡の出なり。故に蔡人五父を殺して之を立て、敬仲を生む。其の少きや、周史に《周易》を以って陳侯に見ゆる者有り。陳侯之をして筮せしむるに、《觀》の《否》に之くに遇ふ。曰く、「是を『國の光を觀る、用って王に賓たるに利し』と謂ふ。陳に代はりて國を有たんか。此に在らずして、其れ異國に在らん。其の身に非ずして、其の子孫に在らん。光は、遠くして他よりして耀き有る者なり。《坤》は、土なり。《巽》は、風なり。《乾》は、天なり。風天と爲りて土の上に於いてするは、山なり。山の材有りて之を照らすに天光を以ってす、是に於いてか土の上に居る。故に曰く、『國の光を觀る、用って王に賓たるに利し』と。庭實旅百、之を奉ずるに玉帛を以ってし、天地の美具はる。故に曰く、『用って王に賓たるに利し』と。猶ほ觀ること有り、故に曰く其れ後に在らんかと。風行きて土に著く、故に曰く其れ異國に在らんかと。若し異國に在らば、必ず姜姓ならん。姜は、大嶽の後なり。山嶽は則ち天に配す。物能く兩つながら大なる莫し。陳衰へなば、此れ其れ昌えんか」と。陳の初めて亡ぶるに及びて、陳桓子始めて齊に大なり。其の後亡ぶるや、成子政を得たり。
現代語訳
これより前、懿氏は敬仲に娘を嫁がせてよいか亀卜で占った。懿氏の妻が卜兆を読んで言った。「吉です。これは『鳳凰がともに飛び、和して鳴く声は鏘々と響く。媯姓(陳の公室)の子孫が、姜姓(斉の公室)の国で育つ。五代ののちに栄え、正卿と肩を並べる。八代ののちには、これに並ぶ大いなる者はない』というものです」。陳の厲公は蔡の女性の生んだ子であった。そのため蔡の人々は五父(陳佗)を殺して厲公を立てた。厲公が敬仲を生んだ。敬仲が幼いころ、周の史官で『周易』を携えて陳侯に謁見した者がいた。陳侯が彼に筮で占わせると、観の卦が否の卦に変わるものを得た。史官は言った。「これは『国の光を観る。王の賓客となるによろしい』というものです。この子は陳に代わって国を持つのではないでしょうか。ただしそれはこの陳の国ではなく、よその国においてでしょう。この子自身ではなく、その子孫においてでしょう。光とは、遠くにあって他のものから照らされて輝くものです。坤は土、巽は風、乾は天です。風(巽)が天(乾)に変わって土(坤)の上にある。これは山の象です。山の産物があり、それを天の光が照らす。こうして土の上に居る。だから『国の光を観る、王の賓客となるによろしい』と言うのです。朝廷の庭に百品の貢ぎ物を並べ、玉と絹を捧げる。天地の美がそこに備わる。だから『王の賓客となるによろしい』と言うのです。なお『観る』という字が残っているのは、まだ待つということ。だから後の世のことだと申すのです。風が吹いて行って土に着く。だからよその国でのことだと申すのです。よその国であるなら、きっと姜姓の国でしょう。姜姓は四岳の子孫です。山岳は天に並ぶほど大きい。しかし物は二つながら大きくはなれません。陳が衰えれば、この子の家が栄えるのではないでしょうか」。のちに陳が初めて楚に滅ぼされたとき、陳桓子(敬仲の子孫、田無宇)が斉で初めて大きな勢力となった。陳がのちに再び滅んだとき、陳成子(田常)が斉の政権を握った。
解説
この章句が説くこと
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