春秋左氏伝 / 荘公十六年・十七年 厲公の報復と赦し
十六年夏,諸侯伐鄭,宋故也。鄭伯自櫟入,緩告于楚。秋,楚伐鄭,及櫟,爲不禮故也。鄭伯治與于雍糾之亂者。九月,殺公子閼,刖強鉏。公父定叔出奔衛。三年而複之,曰:『不可使共叔無後於鄭。』使以十月入,曰:『良月也,就盈數焉。』君子謂:『強鉏不能衛其足。』冬,同盟于幽,鄭成也。王使虢公命曲沃伯以一軍爲晉侯。初,晉武公伐夷,執夷詭諸。蒍國請而免之。既而弗報。故子國作亂,謂晉人曰:『與我伐夷而取其地。』遂以晉師伐夷,殺夷詭諸。周公忌父出奔虢。惠王立而複之。十七年春,齊人執鄭詹,鄭不朝也。夏,遂因氏、頜氏、工婁氏、須遂氏饗齊戍,醉而殺之,齊人殲焉。
新字:十六年夏,諸侯伐鄭,宋故也。鄭伯自櫟入,緩告于楚。秋,楚伐鄭,及櫟,為不礼故也。鄭伯治与于雍糾之乱者。九月,殺公子閼,刖強鉏。公父定叔出奔衛。三年而複之,曰:『不可使共叔無後於鄭。』使以十月入,曰:『良月也,就盈数焉。』君子謂:『強鉏不能衛其足。』冬,同盟于幽,鄭成也。王使虢公命曲沃伯以一軍為晋侯。初,晋武公伐夷,執夷詭諸。蒍国請而免之。既而弗報。故子国作乱,謂晋人曰:『与我伐夷而取其地。』遂以晋師伐夷,殺夷詭諸。周公忌父出奔虢。恵王立而複之。十七年春,斉人執鄭詹,鄭不朝也。夏,遂因氏、頜氏、工婁氏、須遂氏饗斉戍,酔而殺之,斉人殲焉。
書き下し
十六年夏、諸侯鄭を伐つ。宋の故なり。鄭伯櫟より入り、楚に告ぐるを緩くす。秋、楚鄭を伐ち、櫟に及ぶ。不禮の爲の故なり。鄭伯雍糾の亂に與る者を治む。九月、公子閼を殺し、強鉏を刖る。公父定叔衛に出奔す。三年にして之を複して曰く、「共叔をして鄭に後無からしむべからず」と。十月を以て入らしめて曰く、「良月なり、盈數に就く」と。君子謂ふ、「強鉏は其の足を衛る能はず」と。冬、幽に同盟す。鄭成げばなり。王虢公をして曲沃伯に命じて一軍を以て晉侯と爲さしむ。初め、晉の武公夷を伐ち、夷詭諸を執ふ。蒍國請ひて之を免す。既にして報いず。故に子國亂を作し、晉人に謂ひて曰く、「我と夷を伐ちて其の地を取れ」と。遂に晉の師を以て夷を伐ち、夷詭諸を殺す。周公忌父虢に出奔す。惠王立ちて之を複す。十七年春、齊人鄭の詹を執ふ。鄭朝せざればなり。夏、遂の因氏・頜氏・工婁氏・須遂氏齊の戍を饗し、醉はしめて之を殺す。齊人焉に殲く。
現代語訳
十六年夏、諸侯が鄭を攻めた。宋の件(前年に鄭が宋を侵したこと)のためである。鄭伯(厲公)は櫟から都に入ったが、そのことを楚に知らせるのが遅れた。秋、楚が鄭を攻め、櫟まで来た。礼を欠いたからである。鄭伯は雍糾の乱(かつて祭仲を殺そうとして失敗した事件)に関わった者を処罰した。九月、公子閼(あつ)を殺し、強鉏(きょうしょ)を足切りの刑に処した。公父定叔は衛に亡命した。三年たってから厲公は定叔を呼び戻し、言った。「共叔段の家系を鄭で絶やしてはならない」。十月に帰国させ、「良い月だ。満ちた数(十)に合う」と言った。君子は言った。「強鉏は自分の足を守ることができなかった」。冬、(斉の桓公が諸侯と)幽で同盟した。鄭が和睦したからである。周王は虢公を遣わし、曲沃伯(武公)に一軍を持つ晋侯として命じさせた。これより前、晋の武公が夷を攻めて夷詭諸(いきしょ、周の大夫)を捕らえた。蒍国(いこく)が願い出て彼を釈放させた。ところがその後、夷詭諸は恩に報いなかった。そこで子国(蒍国)は乱を起こし、晋の人に言った。「私と一緒に夷を攻めて、その地を取りなさい」。こうして晋の軍を率いて夷を攻め、夷詭諸を殺した。周公忌父は虢に亡命した。恵王が即位すると、彼を呼び戻した。十七年春、斉の人が鄭の詹を捕らえた。鄭が斉に朝見しなかったからである。夏、遂の因氏・頜氏・工婁氏・須遂氏が斉の守備兵をもてなし、酔わせて殺した。斉の守備兵は皆殺しになった。
解説
この章句が説くこと
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『韓非子』難一第三十六今赫は僅かに驕侮せざるのみにして、襄子之を賞するは、是れ賞を失うなり。明主は賞を無功に加えず、罰を無罪に加えず。
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『韓非子』外儲説右下第三十五夫れ賞は之を勧むる所以にして、毀存す。罰は之を禁ずる所以にして、誉加はる。民中立して由る所を知らず、
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呂氏春秋・義賞①春氣至れば則ち草木産し、秋氣至れば則ち草木落つ。産と落とは之を使しむるもの或り。自ら然るに非ざるなり。故に之を使しむる者至れば、物為さざる無く、之を使しむる者至らざれば、物為す可き無し。古の人、其の使しむる所以を審らかにす、故に物、用を為さざる莫し。賞罰の柄、此れ上の使しむる所以なり。其の以て加うる所の者義なれば、則ち忠信親愛の道彰わる。久しく彰われて愈々長ずれば、民の之に安んずること性の若し。此を之れ教成ると謂う。教成れば則ち厚賞嚴威有りと雖も禁ずること能わず。故に善く教うる者は、義以て賞罰して教成り、教成りて賞罰禁ずること能わず。賞罰を用いて當らざるも亦た然り。姦偽賊亂貪戻の道興り、久しく興りて息まざれば、民の之を讎うること性の若し。戎夷胡貉巴越の民は、是を以て厚賞嚴罰有りと雖も、禁ずること能わず。郢人の兩版を以て垣するや、吳起之を變じて惡まる。賞罰易れば民安くんぞ樂しまん。氐羌の民、其れ虜となるや、其の係纍を憂えずして、其の死するに焚かれざるを憂うるは、皆、邪に成り、且つ成りて民を賊う。故に賞罰の加うる所は、慎まざる可からず。
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