導師導古典を学びたいすべての人に

春秋左氏伝 / 荘公元年・三年 夫人、斉に孫る

元年春,不稱即位,文姜出故也。三月,夫人孫于齊。不稱姜氏,絕不爲親,禮也。秋,築王姬之館於外。爲外,禮也。二年冬,夫人姜氏會齊侯於禚。書姦也。三年春,溺會齊師伐衛,疾之也。夏五月,葬桓王,緩也。秋,紀季以酅入于齊,紀於是乎始判。冬,公次於滑,將會鄭伯,謀紀故也。鄭伯辭以難。凡師,一宿爲舍,再宿爲信,過信爲次。

新字:元年春,不称即位,文姜出故也。三月,夫人孫于斉。不称姜氏,絶不為親,礼也。秋,築王姫之館於外。為外,礼也。二年冬,夫人姜氏会斉侯於禚。書姦也。三年春,溺会斉師伐衛,疾之也。夏五月,葬桓王,緩也。秋,紀季以酅入于斉,紀於是乎始判。冬,公次於滑,将会鄭伯,謀紀故也。鄭伯辞以難。凡師,一宿為舎,再宿為信,過信為次。

書き下し

元年春、即位を稱せざるは、文姜出づるが故なり。三月、夫人齊に孫る。姜氏と稱せざるは、絕ちて親と爲さざればなり、禮なり。秋、王姬の館を外に築く。外に爲るは、禮なり。二年冬、夫人姜氏齊侯に禚に會す。姦を書すなり。三年春、溺齊の師に會して衛を伐つ。之を疾めばなり。夏五月、桓王を葬る。緩きなり。秋、紀季酅を以て齊に入る。紀是に於てか始めて判る。冬、公滑に次す。將に鄭伯に會して、紀の故を謀らんとす。鄭伯辭するに難を以てす。凡そ師、一宿を舍と爲し、再宿を信と爲し、信を過ぐるを次と爲す。

現代語訳

(荘公の)元年春、『春秋』が「即位」と書かないのは、母の文姜が斉に出ていたためである。三月、夫人(文姜)が斉へ逃れ去った。『春秋』が「姜氏」と書かずに「夫人」とだけ書いたのは、魯が彼女との親族関係を絶ったことを示すためであり、礼にかなっている。秋、(周の王女である)王姫の宿舎を城外に築いた。城外に建てたのは礼にかなっている(斉に嫁ぐ王姫の婚礼を魯が取り仕切るが、父を殺した斉の君主の花嫁を宮中から送り出すのは忍びないからである)。二年冬、夫人姜氏が斉侯と禚で会った。『春秋』はこれを姦通として記したのである。三年春、溺(魯の大夫)が斉の軍と合流して衛を攻めた。『春秋』が氏を付けずに名だけを記したのは、この行いを憎んだからである。夏五月、桓王を葬った。(崩御から七年もたっており)遅すぎたのである。秋、紀季(紀侯の弟)が酅の地をもって斉に帰属した。紀はこのときから分裂し始めた。冬、荘公は滑に軍を留めた。鄭伯と会って紀のことを相談しようとしたのである。鄭伯は国内の難事を理由に断った。およそ軍が一晩宿るのを舎といい、二晩を信といい、それ以上を次という。

解説

父の桓公が斉で殺された後、魯の荘公が即位する。この句は『春秋』の書き方の説明、いわゆる書法がほとんどを占める。即位を書かないのは母の文姜が斉に去っていたから。「姜氏」と書かずに「夫人」とだけ書くのは、夫を死に追いやった母との親族関係を断ったことを表すから。王姫の宿舎を城外に築いたのは、父の仇である斉侯に嫁ぐ王女の婚礼を、宮中で執り行うのを避けたから。言葉を一つ省く、場所を一つずらすことで、感情ではなく礼として態度を示す。それが左伝の読み方である。翌年、文姜が再び斉侯と会ったことを「姦を書す」と明言するのは、書法のなかでもかなり直截だ。末尾の「一宿を舍と爲し、再宿を信と爲し、信を過ぐるを次と爲す」は、軍の滞在日数で用語を使い分ける規則で、記録の言葉の精密さを示す。公式文書で何を書き、何を書かないか。その選択自体が評価を伝えるという発想は、今の報告書にも通じる。

この章句が説くこと

書法礼名分記録公私

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る