春秋左氏伝 / 荘公四年・五年 余が心蕩く
四年春,王三月,楚武王荊屍,授師孑焉,以伐隨,將齊,入告夫人鄧曼曰:『余心蕩。』鄧曼歎曰:『王祿盡矣。盈而蕩,天之道也。先君其知之矣,故臨武事,將發大命,而蕩王心焉。若師徒無虧,王薨于行,國之福也。』王遂行,卒於樠木之下。令尹鬥祁、莫敖屈重除道、梁溠,營軍臨隨。隨人懼,行成。莫敖以王命入盟隨侯,且請爲會於漢汭,而還。濟漢而後發喪。紀侯不能下齊,以與紀季。夏,紀侯大去其國,違齊難也。五年秋,郳犁來來朝,名,未王命也。冬,伐衛納惠公也。
新字:四年春,王三月,楚武王荊屍,授師孑焉,以伐随,将斉,入告夫人鄧曼曰:『余心蕩。』鄧曼嘆曰:『王禄尽矣。盈而蕩,天之道也。先君其知之矣,故臨武事,将発大命,而蕩王心焉。若師徒無虧,王薨于行,国之福也。』王遂行,卒於樠木之下。令尹鬥祁、莫敖屈重除道、梁溠,営軍臨随。随人懼,行成。莫敖以王命入盟随侯,且請為会於漢汭,而還。済漢而後発喪。紀侯不能下斉,以与紀季。夏,紀侯大去其国,違斉難也。五年秋,郳犁来来朝,名,未王命也。冬,伐衛納恵公也。
書き下し
四年春、王の三月、楚の武王荊屍し、師に孑を授け、以て隨を伐たんとす。將に齊せんとし、入りて夫人鄧曼に告げて曰く、「余が心蕩(うご)く」と。鄧曼歎じて曰く、「王の祿盡きたり。盈ちて蕩くは、天の道なり。先君其れ之を知れり。故に武事に臨み、將に大命を發せんとして、王の心を蕩かす。若し師徒虧くること無くして、王行に薨ぜば、國の福なり」と。王遂に行き、樠木の下に卒す。令尹鬥祁・莫敖屈重道を除き、溠に梁し、軍を營みて隨に臨む。隨人懼れて、成を行ふ。莫敖王命を以て入りて隨侯と盟ひ、且つ會を漢汭に爲さんことを請ひて、還る。漢を濟りて後に喪を發す。紀侯齊に下る能はず。以て紀季に與ふ。夏、紀侯大いに其の國を去る。齊の難を違くるなり。五年秋、郳の犁來來朝す。名いふは、未だ王命あらざればなり。冬、衛を伐つ。惠公を納るるなり。
現代語訳
四年春、周王の暦の三月、楚の武王は荊尸(けいし、楚独自の軍の陣法)を定め、兵に戟を授けて隨を攻めようとした。出陣前の斎戒をしようとして奥に入り、夫人の鄧曼に告げた。「私の心が揺れ動く」。鄧曼はため息をついて言った。「王の寿命が尽きたのです。満ちれば揺らぐのが天の道です。先君の霊はそれをご存じなのでしょう。だから戦いに臨み、大命を発しようとするときに、王の心を揺るがしたのです。もし軍に損失がなく、王が陣中で亡くなるだけですむなら、それは国の福です」。王はそのまま出陣し、樠(まん)の木の下で亡くなった。令尹の鬥祁(とうき)と莫敖の屈重は(王の死を伏せたまま)道を切り開き、溠水に橋を架け、陣を築いて隨に迫った。隨の人は恐れて和睦を申し入れた。莫敖は王命と称して隨に入り、隨侯と盟約し、さらに漢水のほとりで会見することを求めてから引き揚げた。漢水を渡りきってから、初めて王の喪を発表した。紀侯は斉に屈服することができず、国を弟の紀季に譲った。夏、紀侯は永久に国を去った。斉による難を避けたのである。五年秋、郳(げい)の犁来が来朝した。『春秋』が名を記したのは、まだ周王から諸侯としての任命を受けていなかったからである。冬、(魯が斉などと)衛を攻めた。恵公を衛に戻すためである。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公九年 宋の大火と天道九年春、宋災あり。樂喜、司城と為り、以て政を為す。伯氏をして里を司らしむ。火の未だ至らざる所は、小屋を徹し、大屋を塗り、畚挶(ほんきょく)を陳ね、綆缶(かうふ)を具へ、水器を備へ、輕重を量り、水潦を蓄へ、土塗を積み、丈城を巡り、守備を繕ひ、火道を表す。華臣をして正徒を具へしめ、隧正に令して郊保を納れ、火所に奔らしむ。華閱をして右官を討めしめ、官ごとに其の司を庀(をさ)めしむ。向戌をして左を討めしむること、亦た之の如し。樂遄をして刑器を庀めしむること、亦た之の如し。皇鄖をして校正に命じて馬を出さしめ、工正に車を出さしめ、甲兵を備へ、武守を庀めしむ。西鉏吾をして府守を庀めしめ、司宮・巷伯に令して宮を儆めしむ。二師、四鄉の正に令して敬んで享せしむ。祝宗、馬を四墉に用ゐ、盤庚を西門の外に祀る。晉侯、士弱に問ひて曰く、「吾之を聞く、宋災あり、是に於てか天道有るを知ると。何の故ぞ」と。對へて曰く、「古の火正は、或いは心に食し、或いは咮(ちう)に食し、以て火を出內す。是の故に咮を鶉火と為し、心を大火と為す。陶唐氏の火正閼伯(あつはく)、商丘に居りて大火を祀り、而して火もて時を紀す。相土之に因る。故に商は大火を主とす。商人、其の禍敗の釁(きざし)を閱するに、必ず火に始まる。是を以て日に其の天道有るを知るなり」と。公曰く、「必すべきか」と。對へて曰く、「道に在り。國亂れて象無ければ、知るべからざるなり」と。
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『甲陽軍鑑』品第六能人の埋るゝも世のならひ、悪き者うゆるもならひ、善悪をまぜあはするは皆是天道なりと心得べし一丹波国赤井と云男、七歳にて人を伐、赤井悪右衛門と名をよばれ、五畿内におひて己が人数五百千はかりにて敵五千六千をも数度戦て悪右衛門かたずといふことなし一四国阿波の三善修理太夫殿は、
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説苑・說叢天與えて取らざれば、反って其の咎を受く。時至りて迎えざれば、反って其の殃を受く。天地親しむ無く、常に善人に與す。天道常有り、堯の為に存せず、桀の為に亡びず。善を積むの家には、必ず餘慶有り。惡を積むの家には、必ず餘殃有り。一噎の故に、穀を絕ちて食らわず。一蹶の故に、足を卻けて行かず。心天地の如き者は明らかに、行い繩墨の如き者は章らかなり。位高くして道大なる者は從い、事大にして道小なる者は凶なり。言疑わしき者は犯す無く、行い疑わしき者は從う無し。蠹蝝は柱梁を仆し、蚊虻は牛羊を走らす。
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史記 伯夷列伝或いは曰く、「天道は親無く、常に善人に与す」と。伯夷・叔斉の若きは、善人と謂ふ可き者か、非ざるか。仁を積み行ひを潔くすること此くの如くして餓死す。且つ七十子の徒、仲尼独り顔淵をのみ薦めて学を好むと為すも、然るに回や、屢々空しく、糟糠にだも厭かずして、卒に蚤夭す。天の善人に報施するは、其れ何如ぞや。盗跖は日々不辜を殺し、人の肉を肝し、暴戻恣睢にして、党を聚むること数千人、天下に横行するも、竟に寿を以て終はる。是れ何の徳に遵ふや。此れ其の尤も大いに彰明較著なる者なり。近世に至るが若きは、操行軌ならず、専ら忌諱を犯し、而も身を終ふるまで逸楽し、富厚にて世を累ぬるも絶えず。或いは地を択びて之を蹈み、時ありて然る後に言を出だし、行ひは径に由らず、公正に非ずんば憤りを発せず、而るに禍災に遇ふ者は、勝げて数ふ可からざるなり。余、甚だ惑ふ。儻くは所謂天道は、是か非か。
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孔子家語・大婚解公曰く、「君子何ぞ天道を貴ぶや。」孔子曰く、「其の已まざるを貴ぶなり。日月東西相従いて已まざるが如きなり。是れ天道なり。閉じずして能く久しき、是れ天道なり。無為にして物成る、是れ天道なり。已に成りて之を明らかにする、是れ天道なり。」公曰く、「寡人且つ愚冥なり、幸いに子の心を煩わさん。」孔子蹴然として席を避けて対えて曰く、「仁人は物に過ぎず、孝子は親に過ぎず。是の故に仁人の親に事うるや天に事うるが如く、天に事うるや親に事うるが如し。此を孝子の身を成すと謂う。」公曰く、「寡人既に此くの如き言を聞く、後の罪を如何せんこと無きか。」孔子対えて曰く、「君子此の言に及ぶは、是れ臣の福なり。」
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