春秋左氏伝 / 桓公十一年 祭仲、厲公を立つ
初,祭封人仲足有寵于莊公,莊公使為卿。為公娶鄧曼,生昭公,故祭仲立之。宋雍氏女于鄭莊公,曰雍姞,生厲公。雍氏宗有寵于宋莊公,故誘祭仲而執之,曰:「不立突,將死。」亦執厲公而求賂焉。祭仲與宋人盟,以厲公歸而立之。秋九月丁亥,昭公奔衛。己亥,厲公立。
新字:初,祭封人仲足有寵于荘公,荘公使為卿。為公娶鄧曼,生昭公,故祭仲立之。宋雍氏女于鄭荘公,曰雍姞,生厲公。雍氏宗有寵于宋荘公,故誘祭仲而執之,曰:「不立突,将死。」亦執厲公而求賂焉。祭仲与宋人盟,以厲公帰而立之。秋九月丁亥,昭公奔衛。己亥,厲公立。
書き下し
初め、祭の封人仲足莊公に寵有り。莊公卿と為さしむ。公の為に鄧曼を娶り、昭公を生む。故に祭仲之を立つ。宋の雍氏女を鄭の莊公に女(めあは)す、雍姞と曰ふ。厲公を生む。雍氏の宗宋の莊公に寵有り。故に祭仲を誘ひて之を執へて曰く、「突を立てずんば、將に死せんとす」と。亦た厲公を執へて賂を求む。祭仲宋人と盟ひ、厲公を以て歸りて之を立つ。秋九月丁亥、昭公衛に奔る。己亥、厲公立つ。
現代語訳
これより前、祭の地の国境守備役であった仲足(祭仲)は荘公に寵愛され、荘公は彼を卿に任じた。祭仲は荘公のために鄧曼を娶らせ、鄧曼が昭公(忽)を産んだ。だから祭仲は昭公を立てたのである。一方、宋の雍氏は娘を鄭の荘公に嫁がせていた。雍姞(ようきつ)といい、厲公(突)を産んだ。雍氏の一族は宋の荘公に寵愛されていた。そこで宋は祭仲をおびき寄せて捕らえ、「突を立てなければ殺す」と脅した。また厲公も捕らえて賄賂を要求した。祭仲は宋の人と盟約を結び、厲公を連れて帰国して君主に立てた。秋九月丁亥の日、昭公は衛に亡命した。己亥の日、厲公が即位した。
解説
この章句が説くこと
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史記 鄭世家二十四年、宋の繆公卒し、公子馮鄭に奔る。鄭、周の地を侵し、禾を取る。二十五年、衛の州吁其の君桓公を弑して自ら立ち、宋と鄭を伐つ。馮の故を以てなり。二十七年、始めて周の桓王に朝す。桓王其の禾を取りしを怒り、礼せず。二十九年、荘公、周の礼せざるを怒り、魯と祊・許田を易ふ。三十三年、宋孔父を殺す。三十七年、荘公周に朝せず。周の桓王、陳・蔡・虢・衛を率ゐて鄭を伐つ。荘公、祭仲・高渠弥と兵を発して自ら救ひ、王の師大いに敗る。祝聸、王の臂を射中つ。祝聸之を従はんことを請ふ。鄭伯之を止めて曰く、「長を犯すすら且つ之を難る、況んや敢へて天子を陵がんや」と。乃ち止む。夜、祭仲をして王の疾を問はしむ。三十八年、北戎斉を伐つ。斉、救ひを求めしむ。鄭、太子忽を遣はし兵を将ゐて斉を救はしむ。斉の釐公之に妻はせんと欲す。忽謝して曰く、「我は小国なり、斉の敵に非ざるなり」と。時に祭仲倶にし、勧めて之を取らしめて曰く、「君は内寵多し。太子大援無くんば将に立たざらんとす。三公子は皆君なり」と。所謂三公子とは、太子忽、其の弟突、次弟子亹なり。四十三年、鄭の荘公卒す。初め、祭仲甚だ荘公に寵有り、荘公使ひて卿と為す。公、鄧の女を娶らしむ。太子忽を生む。故に祭仲之を立つ、是を昭公と為す。荘公又宋の雍氏の女を娶り、厲公突を生む。雍氏宋に寵有り。宋の荘公、祭仲の忽を立つるを聞き、乃ち人をして祭仲を誘ひ召して之を執へしめて曰く、「突を立てずんば、将に死せんとす」と。亦突を執へて以て賂を求む。祭仲宋に許し、宋と盟ふ。突を以て帰り、之を立つ。昭公忽、祭仲の宋を以て要せられて其の弟突を立つるを聞き、九月丁亥、忽出でて衛に奔る。己亥、突鄭に至りて立つ、是を厲公と為す。厲公四年、祭仲国政を専らにす。厲公之を患へ、陰かに其の婿雍糾をして祭仲を殺さんと欲せしむ。
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史記 鄭世家糾の妻は祭仲の女なり。之を知り、其の母に謂ひて曰く、「父と夫と孰れか親しき」と。母曰く、「父は一のみ、人は尽く夫なり」と。女乃ち祭仲に告ぐ。祭仲反りて雍糾を殺し、之を市に戮す。厲公、祭仲を奈何ともする無く、糾を怒りて曰く、「謀婦人に及ぶ、死は固より宜なるかな」と。夏、厲公出でて辺邑の櫟に居る。祭仲、昭公忽を迎へ、六月乙亥、復た鄭に入りて位に即く。秋、鄭の厲公突、櫟人に因りて其の大夫単伯を殺し、遂に之に居る。諸侯、厲公の出奔せるを聞き、鄭を伐つも、克たずして去る。宋頗る厲公に兵を予へ、自ら櫟に守る。鄭故を以て亦櫟を伐たず。昭公二年、昭公の太子為りし時より、父荘公、高渠弥を以て卿と為さんと欲す。太子忽之を悪む。荘公聴かず、卒に渠弥を用ひて卿と為す。昭公位に即くに及び、其の己を殺さんことを懼る。冬十月辛卯、渠弥、昭公と出でて猟し、昭公を野に射殺す。祭仲と渠弥と敢へて厲公を入れず、乃ち更に昭公の弟子亹を立てて君と為す、是を子亹と為す、謚号無し。子亹元年七月、斉の襄公諸侯に首止に会す。鄭の子亹往きて会す。高渠弥相として従ふ。祭仲疾と称して行かず。然る所以の者は、子亹、斉の襄公の公子為りし時より、嘗て会して闘ひ、相仇たり。諸侯に会するに及び、祭仲、子亹に行く無からんことを請ふ。子亹曰く、「斉は彊にして、厲公櫟に居る。即し往かずんば、是れ諸侯を率ゐて我を伐ち、厲公を内れん。我往くに如かず。往くとも何ぞ遽かに必ずしも辱められん。且つ又何ぞ是に至らん」と。卒に行く。是に於て祭仲、斉の并せて之を殺さんことを恐る。故に疾と称す。子亹至り、斉侯に謝せず。斉侯怒り、遂に甲を伏せて子亹を殺す。高渠弥亡げ帰り、帰りて祭仲と謀り、子亹の弟公子嬰を陳より召して之を立つ、是を鄭子と為す。是の歳、斉の襄公、彭生をして魯の桓公を酔はせ拉殺せしむ。
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『春秋左氏伝』桓公十五年 父と夫と孰れか親しき十五年春、天王家父をして來りて車を求めしむ、禮に非ざるなり。諸侯は車・服を貢せず、天子は私に財を求めず。祭仲專らにす。鄭伯之を患へ、其の婿雍糾をして之を殺さしめんとす。將に諸を郊に享せんとす。雍姬之を知り、其の母に謂ひて曰く、「父と夫と孰れか親しき」と。其の母曰く、「人盡く夫なり、父は一のみ。胡ぞ比ぶべけんや」と。遂に祭仲に告げて曰く、「雍氏其の室を舍てて將に子を郊に享せんとす。吾之に惑ふ、以て告ぐ」と。祭仲雍糾を殺し、諸を周氏の汪に屍す。公載せて以て出で、曰く、「謀婦人に及ぶ、其の死するや宜なり」と。夏、厲公蔡に出奔す。六月乙亥、昭公入る。許叔許に入る。公齊侯に艾に會す。許を定めんことを謀るなり。秋、鄭伯櫟人に因りて檀伯を殺し、遂に櫟に居る。冬、袲に會す。鄭を伐たんことを謀る。將に厲公を納れんとするなり。克たずして還る。
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史記 宋微子世家十九年、宣公病み、其の弟和に譲りて曰く、「父死して子継ぎ、兄死して弟及ぶは、天下の通義なり。我其れ和を立てん」と。和も亦た三たび譲りて之を受く。宣公卒し、弟の和立つ。是を穆公と為す。穆公の九年、病み、大司馬孔父を召して謂ひて曰く、「先君宣公太子与夷を捨てて我を立つ。我敢て忘れず。我死せば、必ず与夷を立てよ」と。孔父曰く、「群臣皆公子馮を立てんことを願ふ」と。穆公曰く、「馮を立つること毋かれ。吾以て宣公に負くべからず」と。是に於て穆公馮をして出でて鄭に居らしむ。八月庚辰、穆公卒し、兄宣公の子与夷立つ。是を殤公と為す。君子之を聞きて曰く、「宋の宣公は人を知ると謂ふべし。其の弟を立てて以て義を成し、然も卒に其の子復た之を享く。殤公の元年、衛の公子州吁其の君完を弑して自立し、諸侯を得んと欲し、宋に告げしめて曰く、「馮鄭に在り、必ず乱を為さん。我と与に之を伐つべし」と。宋之を許し、与に鄭を伐ち、東門に至りて還る。二年、鄭宋を伐ち、以て東門の役に報ゆ。其の後諸侯数々来たりて侵伐す。九年、大司馬孔父嘉の妻好し。出でて、道に太宰華督に遇ふ。督説び、目して之を観る。督孔父の妻を利とし、乃ち人をして国中に宣言せしめて曰く、「殤公即位して十年のみにして、十一たび戦ふ。民苦しみて堪へず。皆孔父之を為す。我且に孔父を殺して以て民を寧んぜんとす」と。是の歳、魯其の君隠公を弑す。十年、華督孔父を攻め殺し、其の妻を取る。殤公怒る。遂に殤公を弑して、穆公の子馮を鄭に迎へて之を立つ。是を荘公と為す。荘公の元年、華督相と為る。九年、鄭の祭仲を執へ、要して突を立てて鄭君と為さしむ。祭仲許し、竟に突を立つ。十九年、荘公卒し、子の湣公捷立つ。湣公の七年、斉の桓公即位す。九年、宋に水あり。魯臧文仲をして往きて水を弔はしむ。
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『春秋左氏伝』隠公三年 宋の穆公、位を譲る宋の穆公疾む。大司馬孔父を召して殤公を屬して曰く、「先君與夷を舍てて寡人を立つ、寡人敢へて忘れず。若し大夫の靈を以って、首領を保ちて以って沒するを得ば、先君若し與夷を問はば、其れ將に何の辭を以って對へんとする。請ふ子之を奉じて、以って社稷を主らしめよ。寡人死すと雖も、亦た悔無からん」と。對へて曰く、「羣臣馮を奉ぜんと願ふなり」と。公曰く、「不可なり。先君寡人を以って賢と為し、社稷を主らしむ。若し德を棄てて讓らずんば、是れ先君の舉を廢するなり。豈に能く賢なりと曰はんや。先君の令德を光昭すること、務めざる可けんや。吾子其れ先君の功を廢すること無かれ」と。公子馮をして出でて鄭に居らしむ。八月庚辰、宋の穆公卒す。殤公即位す。君子曰く、「宋の宣公は人を知ると謂ふ可し。穆公を立てて、其の子之を饗く、命ずるに義を以ってせるかな。商頌に曰く、『殷命を受くること咸宜し、百祿是れ荷ふ』と。其れ是を之れ謂ふか」と。冬、齊・鄭石門に盟ふ、盧の盟を尋ぬるなり。庚戌、鄭伯の車濟に僨る。衛の莊公齊の東宮得臣の妹に娶る、莊姜と曰ふ。美にして子無し。衛人の為に碩人を賦する所なり。又陳に娶る、厲媯と曰ふ。孝伯を生む、蚤く死す。其の娣戴媯、桓公を生む。莊姜以って己が子と為す。
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史記 鄭世家太子寤生を生む。之を生むこと難く、生まるるに及びて、夫人愛せず。後に少子叔段を生む。段の生まるること易く、夫人之を愛す。二十七年、武公疾む。夫人公に請ひ、段を立てて太子と為さんと欲す。公聴かず。是の歳、武公卒し、寤生立つ、是を荘公と為す。荘公元年、弟段を京に封じ、太叔と号す。祭仲曰く、「京は国より大なり。庶を封ずる所以に非ざるなり」と。荘公曰く、「武姜之を欲す。我敢へて奪はざるなり」と。段京に至り、甲兵を繕治し、其の母武姜と謀りて鄭を襲はんとす。二十二年、段果たして鄭を襲ひ、武姜内応を為す。荘公兵を発して段を伐つ。段走る。京を伐つ。京人段に畔く。段出でて鄢に走る。鄢潰え、段出でて共に奔る。
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