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春秋左氏伝 / 隠公三年 宋の穆公、位を譲る

宋穆公疾,召大司馬孔父而屬殤公焉,曰:「先君舍與夷而立寡人,寡人弗敢忘。若以大夫之靈,得保首領以沒,先君若問與夷,其將何辭以對?請子奉之,以主社稷,寡人雖死,亦無悔焉。」對曰:「羣臣願奉馮也。」公曰:「不可。先君以寡人為賢,使主社稷,若棄德不讓,是廢先君之舉也。豈曰能賢?光昭先君之令德,可不務乎?吾子其無廢先君之功。」使公子馮出居於鄭。八月庚辰,宋穆公卒。殤公即位。君子曰:「宋宣公可謂知人矣。立穆公,其子饗之,命以義夫。《商頌》曰:『殷受命咸宜,百祿是荷。』其是之謂乎!」冬,齊、鄭盟于石門,尋盧之盟也。庚戌,鄭伯之車僨于濟。衛莊公娶于齊東宮得臣之妹,曰莊姜,美而無子,衛人所為賦《碩人》也。又娶于陳,曰厲媯,生孝伯,蚤死。其娣戴媯,生桓公,莊姜以為己子。

新字:宋穆公疾,召大司馬孔父而属殤公焉,曰:「先君舎与夷而立寡人,寡人弗敢忘。若以大夫之霊,得保首領以没,先君若問与夷,其将何辞以対?請子奉之,以主社稷,寡人雖死,亦無悔焉。」対曰:「羣臣願奉馮也。」公曰:「不可。先君以寡人為賢,使主社稷,若棄徳不譲,是廃先君之舉也。豈曰能賢?光昭先君之令徳,可不務乎?吾子其無廃先君之功。」使公子馮出居於鄭。八月庚辰,宋穆公卒。殤公即位。君子曰:「宋宣公可謂知人矣。立穆公,其子饗之,命以義夫。《商頌》曰:『殷受命咸宜,百禄是荷。』其是之謂乎!」冬,斉、鄭盟于石門,尋盧之盟也。庚戌,鄭伯之車僨于済。衛荘公娶于斉東宮得臣之妹,曰荘姜,美而無子,衛人所為賦《碩人》也。又娶于陳,曰厲媯,生孝伯,蚤死。其娣戴媯,生桓公,荘姜以為己子。

書き下し

宋の穆公疾む。大司馬孔父を召して殤公を屬して曰く、「先君與夷を舍てて寡人を立つ、寡人敢へて忘れず。若し大夫の靈を以って、首領を保ちて以って沒するを得ば、先君若し與夷を問はば、其れ將に何の辭を以って對へんとする。請ふ子之を奉じて、以って社稷を主らしめよ。寡人死すと雖も、亦た悔無からん」と。對へて曰く、「羣臣馮を奉ぜんと願ふなり」と。公曰く、「不可なり。先君寡人を以って賢と為し、社稷を主らしむ。若し德を棄てて讓らずんば、是れ先君の舉を廢するなり。豈に能く賢なりと曰はんや。先君の令德を光昭すること、務めざる可けんや。吾子其れ先君の功を廢すること無かれ」と。公子馮をして出でて鄭に居らしむ。八月庚辰、宋の穆公卒す。殤公即位す。君子曰く、「宋の宣公は人を知ると謂ふ可し。穆公を立てて、其の子之を饗く、命ずるに義を以ってせるかな。商頌に曰く、『殷命を受くること咸宜し、百祿是れ荷ふ』と。其れ是を之れ謂ふか」と。冬、齊・鄭石門に盟ふ、盧の盟を尋ぬるなり。庚戌、鄭伯の車濟に僨る。衛の莊公齊の東宮得臣の妹に娶る、莊姜と曰ふ。美にして子無し。衛人の為に碩人を賦する所なり。又陳に娶る、厲媯と曰ふ。孝伯を生む、蚤く死す。其の娣戴媯、桓公を生む。莊姜以って己が子と為す。

現代語訳

宋の穆公が病に倒れた。大司馬の孔父(孔父嘉)を呼んで、兄の宣公の子である殤公(与夷)を託して言った。「先君(兄の宣公)は実子の与夷を差し置いて私を立てた。私はそれを忘れたことがない。もし大夫たちのおかげで首をつなげたまま天寿を全うできたとして、あの世で先君に『与夷はどうした』と問われたら、何と答えればよいのか。どうかあなたが与夷を奉じて、国の主としてほしい。そうすれば私は死んでも悔いはない」。孔父は答えた。「群臣は、あなたの御子の馮を奉じたいと願っております」。穆公は言った。「ならぬ。先君は私を賢いと考えて国を任せたのだ。もし徳を捨てて位を譲らなければ、先君の人選を無にすることになる。それでどうして賢いと言えようか。先君の美徳を輝かせることに、努めずにいられようか。あなたは先君の功業を無にしないでほしい」。そして公子馮を国外に出して鄭に住まわせた。八月庚辰の日、宋の穆公が亡くなり、殤公が即位した。君子は言った。「宋の宣公は人を見る目があったと言える。弟の穆公を立て、その結果、自分の子も位を受けることになった。その命令が義にかなっていたからであろう。『詩経』商頌に『殷が天命を受けたのはすべて道理にかない、多くの福禄を身に担った』とある。まさにこのことを言うのであろう」。冬、斉と鄭が石門で盟約した。以前の盧の盟約を確かめ直したのである。庚戌の日、鄭伯の車が済水で転覆した。衛の荘公は斉の太子得臣の妹を娶った。これを荘姜という。美しかったが子がなかった。衛の人が彼女のために『碩人』の詩を作ったのである。荘公はまた陳から妻を娶った。これを厲媯という。孝伯を生んだが、早く亡くなった。厲媯の妹の戴媯が桓公(完)を生み、荘姜はこれを自分の子として育てた。

解説

宋の宣公は実子の与夷ではなく弟の穆公に位を譲った。その穆公が死に臨み、今度は自分の子・馮ではなく、兄の子・与夷に位を返そうとする場面である。家臣たちは穆公の子を推すが、穆公は「若し德を棄てて讓らずんば、是れ先君の舉を廢するなり」と退ける。自分を選んでくれた人の判断を正しかったと証明するには、自分も同じように譲るしかない、という論理である。そのうえで我が子の馮を国外に出し、争いの芽を摘んでおく。君子は「宋の宣公は人を知る」と宣公を評し、美談として締めくくる。ただ、左伝を読み進めると、国外に出た公子馮は鄭に迎えられ、のちに殤公を殺した華督によって君位に就く。譲位の美徳が、次の代の争いの火種にもなった。後継を決めるときに、恩義や筋を通すことと、組織の安定をどう両立させるかは、今でも答えの出にくい問題である。

この章句が説くこと

譲位後継者恩義知人義

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