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史記 / 鄭世家

生太子寤生,生之難,及生,夫人弗愛。後生少子叔段,段生易,夫人愛之。二十七年,武公疾。夫人請公,欲立段爲太子,公弗聽。是歳,武公卒,寤生立,是爲莊公。莊公元年,封弟段於京,號太叔。祭仲曰:「京大於國,非所以封庶也。」莊公曰:「武姜欲之,我弗敢奪也。」段至京,繕治甲兵,與其母武姜謀襲鄭。二十二年,段果襲鄭,武姜爲内應。莊公發兵伐段,段走。伐京,京人畔段,段出走鄢。鄢潰,段出奔共。

新字:生太子寤生,生之難,及生,夫人弗愛。後生少子叔段,段生易,夫人愛之。二十七年,武公疾。夫人請公,欲立段為太子,公弗聴。是歳,武公卒,寤生立,是為荘公。荘公元年,封弟段於京,号太叔。祭仲曰:「京大於国,非所以封庶也。」荘公曰:「武姜欲之,我弗敢奪也。」段至京,繕治甲兵,与其母武姜謀襲鄭。二十二年,段果襲鄭,武姜為内応。荘公発兵伐段,段走。伐京,京人畔段,段出走鄢。鄢潰,段出奔共。

書き下し

太子寤生を生む。之を生むこと難く、生まるるに及びて、夫人愛せず。後に少子叔段を生む。段の生まるること易く、夫人之を愛す。二十七年、武公疾む。夫人公に請ひ、段を立てて太子と為さんと欲す。公聴かず。是の歳、武公卒し、寤生立つ、是を荘公と為す。荘公元年、弟段を京に封じ、太叔と号す。祭仲曰く、「京は国より大なり。庶を封ずる所以に非ざるなり」と。荘公曰く、「武姜之を欲す。我敢へて奪はざるなり」と。段京に至り、甲兵を繕治し、其の母武姜と謀りて鄭を襲はんとす。二十二年、段果たして鄭を襲ひ、武姜内応を為す。荘公兵を発して段を伐つ。段走る。京を伐つ。京人段に畔く。段出でて鄢に走る。鄢潰え、段出でて共に奔る。

現代語訳

(武姜は)太子寤生(ごせい)を産んだ。その出産は難産で、生まれてからも夫人は寤生を愛さなかった。後に末子の叔段(しゅくだん)を産んだ。段は安産だったので、夫人は段を可愛がった。二十七年、武公が病気になった。夫人は公に願って、段を太子に立てようとしたが、公は聞き入れなかった。この年、武公が死に、寤生が立った。これが荘公である。荘公の元年、弟の段を京(けい)に封じ、太叔(たいしゅく)と号させた。祭仲(さいちゅう)が言った。「京は国都よりも大きい。庶子を封じるべき所ではない」。荘公は言った。「母の武姜が望んだことだ。わたしには奪うことはできない」。段は京に行くと、武具と兵を整え、母の武姜と謀って鄭を襲おうとした。二十二年、段は果たして鄭を襲い、武姜が内応した。荘公は兵を出して段を討ち、段は逃げた。京を討つと、京の人々は段に背いた。段は京を出て鄢(えん)に逃げた。鄢が崩れると、段は国を出て共(きょう)に亡命した。

解説

『春秋左氏伝』の冒頭で名高い「鄭伯、段に鄢に克つ」の事件を、司馬遷が簡潔にまとめた段です。難産で生まれた寤生(逆子で生まれたとも解されます)を母の武姜は嫌い、弟の段を偏愛して太子に立てようとしました。荘公は即位後、母の求めに応じて段を国都より大きい京に封じ、祭仲の諫めにも耳を貸さず、段が挙兵するまで待ってから討ちます。左伝では、荘公が段の悪事が極まるのをわざと待ったと読む解釈が知られています。親の偏愛が兄弟の争いを生み、それが国の内乱にまで発展する構図は、家族経営の事業承継でも繰り返されてきました。後継者以外の身内にどこまで権限と資源を与えるかは、早い段階で線を引いておくべき問題です。

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