春秋左氏伝 / 桓公六年・七年 名に五有り
九月,丁卯,子同生。以大子生之禮舉之,接以大牢。卜士負之,士妻食之,公與文姜宗婦命之。公問名於申繻,對曰:「名有五:有信,有義,有象,有假,有類。以名生為信,以德名為義,以類命為象,取於物為假,取於父為類。不以國,不以官,不以山川,不以隱疾,不以畜牲,不以器幣。周人以諱事神,名,終將諱之。故以國則廢名,以官則廢職,以山川則廢主,以畜牲則廢祀,以器幣則廢禮。晉以僖侯廢司徒,宋以武公廢司空,先君獻武廢二山。是以大物不可以命。」公曰:「是其生也,與吾同物,命之曰同。」冬,紀侯來朝。請王命以求成于齊,公告不能。七年春,穀伯、鄧侯來朝。名,賤之也。夏,盟、向求成于鄭,既而背之。秋,鄭人、齊人、衛人伐盟、向。王遷盟、向之民于郟。冬,曲沃伯誘晉小子侯,殺之。
新字:九月,丁卯,子同生。以大子生之礼舉之,接以大牢。卜士負之,士妻食之,公与文姜宗婦命之。公問名於申繻,対曰:「名有五:有信,有義,有象,有仮,有類。以名生為信,以徳名為義,以類命為象,取於物為仮,取於父為類。不以国,不以官,不以山川,不以隠疾,不以畜牲,不以器幣。周人以諱事神,名,終将諱之。故以国則廃名,以官則廃職,以山川則廃主,以畜牲則廃祀,以器幣則廃礼。晋以僖侯廃司徒,宋以武公廃司空,先君献武廃二山。是以大物不可以命。」公曰:「是其生也,与吾同物,命之曰同。」冬,紀侯来朝。請王命以求成于斉,公告不能。七年春,穀伯、鄧侯来朝。名,賤之也。夏,盟、向求成于鄭,既而背之。秋,鄭人、斉人、衛人伐盟、向。王遷盟、向之民于郟。冬,曲沃伯誘晋小子侯,殺之。
書き下し
九月丁卯、子同生まる。大子生まるるの禮を以て之を舉げ、接するに大牢を以てす。士を卜して之を負はしめ、士の妻之に食せしめ、公と文姜・宗婦と之に命く。公名を申繻に問ふ。對へて曰く、「名に五有り。信有り、義有り、象有り、假有り、類有り。生を以て名づくるを信と為し、德を以て名づくるを義と為し、類を以て命くるを象と為し、物に取るを假と為し、父に取るを類と為す。國を以てせず、官を以てせず、山川を以てせず、隱疾を以てせず、畜牲を以てせず、器幣を以てせず。周人は諱を以て神に事ふ。名は、終に將に之を諱まんとす。故に國を以てすれば則ち名を廢し、官を以てすれば則ち職を廢し、山川を以てすれば則ち主を廢し、畜牲を以てすれば則ち祀を廢し、器幣を以てすれば則ち禮を廢す。晉は僖侯を以て司徒を廢し、宋は武公を以て司空を廢し、先君獻・武は二山を廢す。是を以て大物は以て命くべからず」と。公曰く、「是れ其の生まるるや、吾と物を同じうす。之に命けて同と曰はん」と。冬、紀侯來朝す。王命を請ひて以て成を齊に求めんとす。公能はずと告ぐ。七年春、穀伯・鄧侯來朝す。名いふは、之を賤しむなり。夏、盟・向成を鄭に求め、既にして之に背く。秋、鄭人・齊人・衛人盟・向を伐つ。王盟・向の民を郟に遷す。冬、曲沃伯晉の小子侯を誘ひて、之を殺す。
現代語訳
九月丁卯の日、子の同(のちの荘公)が生まれた。太子誕生の礼をもって取り上げ、牛・羊・豚をそろえた大牢の供え物で迎えた。占いで選んだ士に子を背負わせ、士の妻に乳を与えさせ、桓公と文姜、一族の婦人たちが名を付けた。公が名の付け方を申繻(しんじゅ、魯の大夫)に尋ねると、申繻は答えた。「名には五つの付け方があります。信、義、象、仮、類です。生まれたときの様子によって名付けるのを信、徳にちなむのを義、姿形の似たものにちなむのを象、物の名を借りるのを仮、父との共通点から取るのを類といいます。国名を用いず、官名を用いず、山川の名を用いず、身体の隠れた病を用いず、家畜の名を用いず、祭器や礼物の名を用いません。周の人は、死者の名を口にしない諱(いみな)の習わしによって神に仕えます。名は、死後には口にするのを避けることになるのです。ですから国名を名にすればその国名を使えなくなり、官名を用いればその官職名を廃することになり、山川の名を用いればその山川の祭りの名を廃することになり、家畜の名を用いればその家畜を供える祭祀を廃することになり、器や礼物の名を用いれば礼を廃することになります。晋は僖侯の名(司徒)のために司徒の官名を廃し、宋は武公の名(司空)のために司空の官名を廃し、わが先君の献公と武公は(名が山の名と同じだったため)二つの山の名を改めました。だから大事な物の名は名付けに使えないのです」。公は言った。「この子は私と誕生日が同じだ。同と名付けよう」。冬、紀侯が来朝した。(魯を通じて)周王の命令をもらい、斉との和解を求めようとしたが、公はできないと告げた。七年春、穀伯と鄧侯が来朝した。『春秋』が二人の名を記したのは、(国を失いかけた身として)低く扱ったからである。夏、盟と向(周の邑)が鄭に和睦を求め、まもなく背いた。秋、鄭・斉・衛の人が盟と向を攻めた。周王は盟と向の民を郟に移した。冬、曲沃伯(武公)が晋の小子侯を誘い出して殺した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
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論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
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論語・学而篇有子曰く、「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為す。小大之に由れども、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行う可からざるなり。」
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論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
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論語・八佾篇子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
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論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
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