春秋左氏伝 / 隠公十一年 羽父、隠公を弑す
冬十月,鄭伯以虢師伐宋。壬戌,大敗宋師,以報其入鄭也。宋不告命,故不書。凡諸侯有命,告則書,不然則否。師出臧否,亦如之。雖及滅國,滅不告敗,勝不告克,不書于策。羽父請殺桓公,將以求大宰。公曰:「為其少故也,吾將授之矣。使營菟裘,吾將老焉。」羽父懼,反譖公于桓公,而請弒之。公之為公子也,與鄭人戰于狐壤,止焉。鄭人囚諸尹氏,賂尹氏,而禱於其主鍾巫,遂與尹氏歸,而立其主。十一月,公祭鍾巫,齊于社圃,館于寪氏。壬辰,羽父使賊弒公于寪氏,立桓公,而討寪氏,有死者。不書葬,不成喪也。
新字:冬十月,鄭伯以虢師伐宋。壬戌,大敗宋師,以報其入鄭也。宋不告命,故不書。凡諸侯有命,告則書,不然則否。師出臧否,亦如之。雖及滅国,滅不告敗,勝不告克,不書于策。羽父請殺桓公,将以求大宰。公曰:「為其少故也,吾将授之矣。使営菟裘,吾将老焉。」羽父懼,反譖公于桓公,而請弒之。公之為公子也,与鄭人戦于狐壤,止焉。鄭人囚諸尹氏,賂尹氏,而祷於其主鍾巫,遂与尹氏帰,而立其主。十一月,公祭鍾巫,斉于社圃,館于寪氏。壬辰,羽父使賊弒公于寪氏,立桓公,而討寪氏,有死者。不書葬,不成喪也。
書き下し
冬十月、鄭伯虢の師を以って宋を伐つ。壬戌、大いに宋の師を敗り、以って其の鄭に入るに報ゆるなり。宋命を告げず、故に書せず。凡そ諸侯命有り、告ぐれば則ち書し、然らざれば則ち否ず。師出でて臧否あるも、亦た之の如し。國を滅ぼすに及ぶと雖も、滅ぼさるるも敗るるを告げず、勝つも克つを告げざれば、策に書せず。羽父桓公を殺さんと請ふ、將に以って大宰を求めんとす。公曰く、「其の少きが故の為なり、吾將に之に授けんとす。菟裘を營ましめよ、吾將に老いんとす」と。羽父懼れ、反りて公を桓公に譖して、之を弒せんと請ふ。公の公子為るや、鄭人と狐壤に戰ひて、止めらる。鄭人諸を尹氏に囚ふ。尹氏に賂ひて、其の主鍾巫に禱り、遂に尹氏と歸りて、其の主を立つ。十一月、公鍾巫を祭らんとし、社圃に齊し、寪氏に館す。壬辰、羽父賊をして公を寪氏に弒せしめ、桓公を立てて、寪氏を討つ。死する者有り。葬を書せざるは、喪を成さざればなり。
現代語訳
冬十月、鄭伯は虢の軍を率いて宋を攻めた。壬戌の日、宋の軍を大いに破った。宋が鄭に攻め入ったことへの報復である。宋が魯に通告しなかったので、『春秋』は記さない。およそ諸侯に出来事があって、通告があれば記し、なければ記さない。軍を出して勝っても負けても同様である。たとえ国が滅びるほどのことでも、滅ぼされた側が敗北を告げず、勝った側が勝利を告げなければ、記録には書かない。羽父(公子翬)が隠公に、桓公を殺すよう願い出た。それによって大宰の地位を得ようとしたのである。隠公は言った。「私が位にあるのは、桓公が幼かったからだ。私はいずれ彼に位を譲るつもりだ。菟裘に隠居所を造らせておけ。私はそこで老いを養うつもりだ」。羽父は恐れて、逆に隠公のことを桓公に讒言し、隠公を殺させてほしいと願い出た。隠公が公子であったころ、鄭と狐壌で戦って捕らえられた。鄭の人は彼を大夫の尹氏のもとに監禁した。隠公は尹氏に賄賂を贈り、尹氏の祭る神である鍾巫に祈って、ついに尹氏とともに魯に逃げ帰り、魯にもその神を祭った。十一月、隠公は鍾巫を祭るため、社圃で斎戒し、寪氏の家に宿泊した。壬辰の日、羽父は刺客を送って寪氏の家で隠公を殺させ、桓公を立て、罪を寪氏にかぶせて討った。寪氏には死者が出た。『春秋』が隠公の葬儀を記さないのは、君としての正式な喪の礼を行わなかったからである。
解説
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