春秋左氏伝 / 桓公元年 目逆えて之を送る
元年春,公即位,修好于鄭。鄭人請復祀周公,卒易祊田。公許之。三月,鄭伯以璧假許田,為周公、祊故也。夏,四月,丁未,公及鄭伯盟于越,結祊成也。盟曰:「渝盟,無享國。」秋,大水。凡平原出水為大水。冬,鄭伯拜盟。宋華父督見孔父之妻于路,目逆而送之,曰:「美而艷。」
新字:元年春,公即位,修好于鄭。鄭人請復祀周公,卒易祊田。公許之。三月,鄭伯以璧仮許田,為周公、祊故也。夏,四月,丁未,公及鄭伯盟于越,結祊成也。盟曰:「渝盟,無享国。」秋,大水。凡平原出水為大水。冬,鄭伯拝盟。宋華父督見孔父之妻于路,目逆而送之,曰:「美而艶。」
書き下し
元年春、公即位し、好を鄭に修む。鄭人復た周公を祀らんことを請ひ、祊田を易ふるを卒ふ。公之を許す。三月、鄭伯璧を以って許田を假る、周公・祊の故の為なり。夏、四月、丁未、公鄭伯と越に盟ふ、祊の成を結ぶなり。盟に曰く、「盟を渝へば、國を享くること無からん」と。秋、大水あり。凡そ平原水を出だすを大水と為す。冬、鄭伯盟を拜す。宋の華父督孔父の妻を路に見る。目逆へて之を送りて曰く、「美にして艷なり」と。
現代語訳
桓公元年の春、桓公が即位し、鄭との友好を修めた。鄭の人は改めて周公を祭りたいと申し出て、祊の田と許田の交換を完了させた。桓公はこれを許した。三月、鄭伯は璧を添えて許田を借り受けた。周公の祭祀と祊の邑との交換のためである。夏四月丁未の日、桓公は鄭伯と越で盟約した。祊の交換の取り決めを固めるためである。盟約の文言は「この盟約に背けば、国を保つことはできない」であった。秋、大水があった。およそ平原に水があふれることを大水という。冬、鄭伯が魯に使者を送り、盟約に謝意を表した。宋の華父督(華督、宋の大宰)が、道で孔父(大司馬孔父嘉)の妻を見かけた。近づいてくるのを目で迎え、通り過ぎるのを目で見送って、「美しく、なまめかしい」と言った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』桓公二年 華督、殤公を弑す二年春、宋の督孔氏を攻め、孔父を殺して其の妻を取る。公怒る。督懼れ、遂に殤公を弒す。君子督を以って君を無みするの心有りて、而る後に惡に動くと為す、故に先づ其の君を弒すと書す。稷に會して、以って宋の亂を成す、賂の故の為に、華氏を立つるなり。宋の殤公立ちて、十年に十一戰す。民命に堪へず。孔父嘉司馬為り、督大宰為り。故に民の命に堪へざるに因りて、先づ宣言して曰く、「司馬則ち然り」と。已に孔父を殺して殤公を弒し、莊公を鄭に召して之を立て、以って鄭に親しむ。郜の大鼎を以って公に賂ふ。齊・陳・鄭皆賂有り。故に遂に宋公に相たり。
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『春秋左氏伝』荘公元年・三年 夫人、斉に孫る元年春、即位を稱せざるは、文姜出づるが故なり。三月、夫人齊に孫る。姜氏と稱せざるは、絕ちて親と爲さざればなり、禮なり。秋、王姬の館を外に築く。外に爲るは、禮なり。二年冬、夫人姜氏齊侯に禚に會す。姦を書すなり。三年春、溺齊の師に會して衛を伐つ。之を疾めばなり。夏五月、桓王を葬る。緩きなり。秋、紀季酅を以て齊に入る。紀是に於てか始めて判る。冬、公滑に次す。將に鄭伯に會して、紀の故を謀らんとす。鄭伯辭するに難を以てす。凡そ師、一宿を舍と爲し、再宿を信と爲し、信を過ぐるを次と爲す。
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『春秋左氏伝』僖公元年 師に私無し元年春、即位を稱せざるは、公出づるが故なり。公出でて復た入るを書せざるは、之を諱むなり。國の惡を諱むは、禮なり。諸侯邢を救ふ。邢人潰え、出でて師に奔る。師遂に狄人を逐ひ、邢の器用を具へて之を遷す。師私無し。夏、邢夷儀に遷る。諸侯之に城くは、患ひを救ふなり。凡そ侯伯、患ひを救ひ、災ひを分かち、罪を討つは、禮なり。秋、楚人鄭を伐つ、鄭齊に即くが故なり。犖に盟ふ、鄭を救はんことを謀るなり。九月、公邾の師を偃に敗る。虛丘の戍の將に歸らんとする者なり。冬、莒人來たりて賂を求む。公子友諸を酈に敗り、莒子の弟拏を獲。卿に非ざるなり、獲たるを嘉するなり。公季友に汶陽の田、及び費を賜ふ。夫人氏の喪齊より至る。君子以へらく、齊人の哀姜を殺すや、已甚しと爲すと。女子は人に從ふ者なり。
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『春秋左氏伝』隠公元年 隠公、位を摂す惠公の元妃は孟子なり。孟子卒し、繼室は聲子を以ってし、隱公を生む。宋の武公仲子を生む。仲子生まれて文の其の手に有り、「魯の夫人と爲らん」と曰ふ。故に仲子我に歸ぎ、桓公を生みて惠公薨ず。是を以って隱公立ちて之を奉ず。元年春、王の周正月。即位を書せざるは、攝なればなり。三月、公邾の儀父と蔑に盟ふ。邾子克なり。未だ王命あらず、故に爵を書せず。「儀父」と曰ふは、之を貴ぶなり。公位を攝して好を邾に求めんと欲す、故に蔑の盟を為す。夏四月、費伯師を帥ゐて郎に城く。書せざるは、公の命に非ざればなり。
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『春秋左氏伝』宣公元年 晋侯の侈り元年春王の正月、公子遂齊に如きて女を逆ふ、君命を尊ぶなり。三月、遂夫人婦姜を以って齊より至る、夫人を尊ぶなり。夏、季文子齊に如き、賂を納れて、以って會を請ふ。晉人命を用ゐざる者を討じ、胥甲父を衞に放ちて、胥克を立つ。先辛齊に奔る。平州に會し、以って公の位を定む。東門襄仲齊に如きて成を拜す。六月、齊人濟西の田を取る。公を立つるが為の故に、以って齊に賂するなり。宋人の昭公を弒するや、晉の荀林父諸侯の師を以って宋を伐つ。宋晉と平らぎ、宋の文公盟を晉に受く。又諸侯に扈に會し、將に魯の為に齊を討たんとす。皆賂を取りて還る。鄭の穆公曰く、「晉は與(くみ)するに足らず」と。遂に盟を楚に受く。陳の共公の卒するや、楚人禮せず。陳の靈公盟を晉に受く。秋、楚子陳を侵し、遂に宋を侵す。晉の趙盾師を帥ゐて陳・宋を救ひ、棐林に會し、以って鄭を伐つ。楚の蒍賈鄭を救ひ、北林に遇ひ、晉の解揚を囚ふ。晉人乃ち還る。晉秦に成を求めんと欲す。趙穿曰く、「我崇を侵さば、秦崇を急とし必ず之を救はん。吾以って成を求めん」と。冬、趙穿崇を侵す。秦成を與(ゆる)さず。晉人鄭を伐ち、以って北林の役に報ゆ。是に於いて晉侯侈り、趙宣子政を為し、驟(しばしば)諫むれども入れられず、故に楚に競はず。
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