春秋左氏伝 / 隠公四年 大義、親を滅す
秋,諸侯復伐鄭。宋公使來乞師,公辭之。羽父請以師會之,公弗許,固請而行。故書曰「翬帥師」,疾之也。諸侯之師敗鄭徒兵,取其禾而還。州吁未能和其民,厚問定君於石子。石子曰:「王覲為可。」曰:「何以得覲?」曰:「陳桓公方有寵於王,陳、衛方睦,若朝陳使請,必可得也。」厚從州吁如陳。石碏使告于陳曰:「衛國褊小,老夫耄矣,無能為也。此二人者,實弒寡君,敢即圖之。」陳人執之,而請涖於衛。九月,衛人使右宰丑涖殺州吁于濮,石碏使其宰獳羊肩涖殺石厚于陳。君子曰:「石碏,純臣也,惡州吁而厚與焉。『大義滅親』,其是之謂乎!」衛人逆公子晉于邢。冬十二月,宣公即位。書曰「衛人立晉」,眾也。
新字:秋,諸侯復伐鄭。宋公使来乞師,公辞之。羽父請以師会之,公弗許,固請而行。故書曰「翬帥師」,疾之也。諸侯之師敗鄭徒兵,取其禾而還。州吁未能和其民,厚問定君於石子。石子曰:「王覲為可。」曰:「何以得覲?」曰:「陳桓公方有寵於王,陳、衛方睦,若朝陳使請,必可得也。」厚従州吁如陳。石碏使告于陳曰:「衛国褊小,老夫耄矣,無能為也。此二人者,実弒寡君,敢即図之。」陳人執之,而請涖於衛。九月,衛人使右宰丑涖殺州吁于濮,石碏使其宰獳羊肩涖殺石厚于陳。君子曰:「石碏,純臣也,悪州吁而厚与焉。『大義滅親』,其是之謂乎!」衛人逆公子晋于邢。冬十二月,宣公即位。書曰「衛人立晋」,衆也。
書き下し
秋、諸侯復た鄭を伐つ。宋公をして來りて師を乞はしむ、公之を辭す。羽父師を以って之に會せんと請ふ、公許さず。固く請ひて行く。故に書して「翬師を帥ゐる」と曰ふは、之を疾むなり。諸侯の師鄭の徒兵を敗り、其の禾を取りて還る。州吁未だ其の民を和すること能はず。厚君を定むるを石子に問ふ。石子曰く、「王に覲するを可と為す」と。曰く、「何を以ってか覲を得ん」と。曰く、「陳の桓公方に王に寵有り。陳・衛方に睦まじ。若し陳に朝して請はしめば、必ず得可きなり」と。厚州吁に從ひて陳に如く。石碏陳に告げしめて曰く、「衛國は褊小、老夫耄せり、能く為す無きなり。此の二人の者は、實に寡君を弒せり。敢へて即ち之を圖れ」と。陳人之を執へて、涖を衛に請ふ。九月、衛人右宰丑をして涖みて州吁を濮に殺さしむ。石碏其の宰獳羊肩をして涖みて石厚を陳に殺さしむ。君子曰く、「石碏は純臣なり。州吁を惡みて厚與る。『大義親を滅す』とは、其れ是を之れ謂ふか」と。衛人公子晉を邢に逆ふ。冬十二月、宣公即位す。書して「衛人晉を立つ」と曰ふは、眾なればなり。
現代語訳
秋、諸侯が再び鄭を攻めた。宋公が使者をよこして魯に援軍を求めたが、隠公は断った。羽父(公子翬)が軍を率いて諸侯に合流したいと願い出たが、隠公は許さなかった。羽父は強引に願い出て出陣した。そこで『春秋』が「公子」を付けずに「翬師を帥ゐる」と書いたのは、彼の専断を憎んだからである。諸侯の軍は鄭の歩兵を破り、その稲を刈り取って引き揚げた。州吁はまだ国内の民を和ませることができなかった。石厚は父の石子(石碏)に、州吁の君位を安定させる方法を尋ねた。石碏は言った。「周王に謁見して認めてもらえばよい」。石厚は言った。「どうすれば謁見できましょうか」。石碏は言った。「陳の桓公はいま王に目をかけられている。陳と衛はいま仲がよい。陳に参朝して、陳から王に頼んでもらえば、必ず謁見できるだろう」。石厚は州吁に付き従って陳へ行った。石碏は陳に使者を送って告げさせた。「衛の国は狭く小さく、この老いぼれはもう年を取って何もできません。この二人こそが、実に我が君を殺した者です。どうかすぐに処置してください」。陳の人は二人を捕らえ、衛から立会人を出すよう求めた。九月、衛の人は右宰の丑を遣わして立ち会わせ、州吁を濮で殺した。石碏は自分の家宰の獳羊肩を遣わして立ち会わせ、石厚を陳で殺した。君子は言った。「石碏は純粋な忠臣である。州吁を憎み、その悪事にわが子の石厚が加わっていたので、子もろともに除いた。『大義のためには肉親をも滅ぼす』とは、まさにこのことを言うのであろう」。衛の人は公子晋を邢から迎えた。冬十二月、宣公が即位した。『春秋』が「衛人晉を立つ」と書くのは、国の人々の総意で立てたからである。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』隠公三年・四年 州吁、君を弑す其の子厚、州吁と游ぶ。之を禁ずれども、可かず。桓公立ちて、乃ち老す。四年春、衛の州吁桓公を弒して立つ。公宋公と會を為し、將に宿の盟を尋ねんとす。未だ期に及ばずして、衛人來りて亂を告ぐ。夏、公宋公と清に遇ふ。宋の殤公の即位するや、公子馮出でて鄭に奔る。鄭人之を納れんと欲す。衛の州吁立つに及び、將に先君の怨を鄭に修めて、寵を諸侯に求め、以って其の民を和せんとす。宋に告げしめて曰く、「君若し鄭を伐ちて、以って君の害を除かば、君を主と為し、敝邑賦を以って陳・蔡と從はん。則ち衛國の願ひなり」と。宋人之を許す。是に於いて陳・蔡方に衛に睦まじ。故に宋公・陳侯・蔡人・衛人鄭を伐ち、其の東門を圍み、五日にして還る。
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史記 衛康叔世家十六年、州吁衛の亡人を収聚して以て桓公を襲殺し、州吁自立して衛君と為る。鄭伯の弟段の為に鄭を伐たんと欲し、宋・陳・蔡に与に倶にせんことを請ふ。三国皆州吁に許す。州吁新たに立ち、兵を好み、桓公を弑す。衛人皆愛せず。石碏乃ち桓公の母家の陳に因りて、詳(いつは)りて州吁に善くすと為す。鄭の郊に至り、石碏陳侯と共に謀り、右宰丑をして食を進めしめ、因りて州吁を濮に殺し、而して桓公の弟晋を邢に迎へて之を立つ。是を宣公と為す。宣公の七年、魯其の君隠公を弑す。九年、宋の督其の君殤公及び孔父を弑す。十年、晋の曲沃の荘伯其の君哀侯を弑す。十八年、初め、宣公夫人夷姜を愛す。夷姜子伋を生み、以て太子と為し、右公子をして之に傅たらしむ。右公子太子の為に斉の女を取る。未だ室に入らざるに、宣公太子の婦と為さんと欲する所の者の好きを見て、説びて自ら之を取り、更に太子の為に他の女を取る。宣公斉の女を得て、子寿・子朔を生み、左公子をして之に傅たらしむ。太子伋の母死す。宣公の正夫人朔と共に太子伋を讒悪す。宣公自ら其の太子の妻を奪ひしを以て、心に太子を悪み、之を廃せんと欲す。其の悪を聞くに及びて、大いに怒り、乃ち太子伋を斉に使ひせしめて、盗をして界上に遮りて之を殺さしめんとす。太子に白旄を与へ、而して界の盗に告ぐらく、白旄を持つ者を見ば之を殺せと。且に行かんとす。子朔の兄寿は、太子の異母弟なり。朔の太子を悪みて君の殺さんと欲するを知り、乃ち太子に謂ひて曰く、「界の盗太子の白旄を見ば、即ち太子を殺さん。太子行くこと毋かるべし」と。太子曰く、「父の命に逆らひて生を求むるは、不可なり」と。遂に行く。寿太子の止まらざるを見て、乃ち其の白旄を盗みて先に馳せて界に至る。界の盗其の験を見て、即ち之を殺す。寿已に死して、太子伋又至り、盗に謂ひて曰く、「当に殺すべき所は乃ち我なり」と。
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『春秋左氏伝』桓公十六年 急子と寿、身代わりの死十六年春正月、曹に會す。鄭を伐たんことを謀るなり。夏、鄭を伐つ。秋七月、公鄭を伐つより至る。飲至の禮を以てするなり。冬、向に城く。書するは、時なればなり。初め、衛の宣公夷姜に烝し、急子を生む。諸を右公子に屬す。之が為に齊に娶る。而して美なり。公之を取り、壽及び朔を生む。壽を左公子に屬す。夷姜縊る。宣姜と公子朔と急子を構ふ。公諸を齊に使ひせしめ、盜をして諸を莘に待たしめ、將に之を殺さんとす。壽子之に告げ、行らしめんとす。可かず。曰く、「父の命を棄てば、惡んぞ子を用ゐん。父無きの國有らば則ち可なり」と。行くに及び、飲ましむるに酒を以てす。壽子其の旌を載せて以て先んず。盜之を殺す。急子至りて曰く、「我を之れ求むるなり。此何の罪かある。請ふ我を殺せ」と。又之を殺す。二公子故に惠公を怨む。十一月、左公子泄・右公子職、公子黔牟を立つ。惠公齊に奔る。
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『春秋左氏伝』隠公十一年 羽父、隠公を弑す冬十月、鄭伯虢の師を以って宋を伐つ。壬戌、大いに宋の師を敗り、以って其の鄭に入るに報ゆるなり。宋命を告げず、故に書せず。凡そ諸侯命有り、告ぐれば則ち書し、然らざれば則ち否ず。師出でて臧否あるも、亦た之の如し。國を滅ぼすに及ぶと雖も、滅ぼさるるも敗るるを告げず、勝つも克つを告げざれば、策に書せず。羽父桓公を殺さんと請ふ、將に以って大宰を求めんとす。公曰く、「其の少きが故の為なり、吾將に之に授けんとす。菟裘を營ましめよ、吾將に老いんとす」と。羽父懼れ、反りて公を桓公に譖して、之を弒せんと請ふ。公の公子為るや、鄭人と狐壤に戰ひて、止めらる。鄭人諸を尹氏に囚ふ。尹氏に賂ひて、其の主鍾巫に禱り、遂に尹氏と歸りて、其の主を立つ。十一月、公鍾巫を祭らんとし、社圃に齊し、寪氏に館す。壬辰、羽父賊をして公を寪氏に弒せしめ、桓公を立てて、寪氏を討つ。死する者有り。葬を書せざるは、喪を成さざればなり。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 進みては忠を尽くす是の役や、鄭の石制、實に楚の師を入れ、將に以て鄭を分ちて、公子魚臣を立てんとす。辛未、鄭僕叔及び子服を殺す。君子曰く、「史佚の所謂亂を怙むこと毋かれとは、是の類を謂ふなり。詩に曰く、『亂離瘼めり、爰に其れ適き歸せん』と。亂を怙む者に歸するかな」と。鄭伯・許男、楚に如く。秋、晉の師歸る。桓子死を請ふ、晉侯之を許さんと欲す。士貞子諫めて曰く、「不可なり。城濮の役、晉の師三日穀す、文公猶ほ憂色有り。左右曰く、『喜び有りて憂ふ、如し憂ひ有らば喜ばんか』と。公曰く、『得臣猶ほ在り、憂ひ未だ歇まざるなり』と。困獸すら猶ほ鬥ふ、況んや國相をや。楚の子玉を殺すに及びて、公喜びて而る後に知るべきなり、曰く、『余を毒する莫きのみ』と。是れ晉再び克ちて楚再び敗るるなり。楚是を以て再世競はず。今天或いは者大いに晉を警むるなり、而るに又林父を殺して以て楚の勝ちを重ねば、其れ乃ち久しく競はざること無からんや。林父の君に事ふるや、進みては忠を盡くさんことを思ひ、退きては過ちを補はんことを思ふ、社稷の衛なり、若之何ぞ之を殺さん。夫れ其の敗るるや、日月の食の如し、何ぞ明を損せん」と。晉侯其の位に復せしむ。
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『春秋左氏伝』哀公十六年 石乞、烹らる而るに長者、余をして言ふこと勿からしむ」と。曰く、「言はずんば將に烹んとす」と。乞曰く、「此の事、克たば則ち卿と為り、克たずんば則ち烹らる。固より其の所なり。何ぞ害あらん」と。乃ち石乞を烹る。王孫燕、頯黃氏に奔る。諸梁、二事を兼ぬ。國寧し。乃ち寧をして令尹為らしめ、寬をして司馬為らしめて、葉に老す。衛侯の占夢の嬖人、酒を大叔僖子に求めて得ず。卜人と比して、公に告げて曰く、「君に大臣の西南隅に在る有り。去らずんば、害あらんことを懼る」と。乃ち大叔遺を逐ふ。遺、晉に奔る。衛侯、渾良夫に謂ひて曰く、「吾、先君を繼げども、其の器を得ず。之を若何せん」と。良夫、火を執る者に代りて言ひて曰く、「疾と亡君とは、皆君の子なり。之を召して、材を擇ぶ、可なり。若し材あらずんば、器得可きなり」と。豎、大子に告ぐ。大子、五人をして豭を輿きて己に從はしめ、公を劫かして強ひて之と盟ひ、且つ良夫を殺さんと請ふ。公曰く、「其の盟は三死を免す」と。曰く、「請ふ、三の後、罪有らば之を殺さん」と。公曰く、「諾」と。
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