春秋左氏伝 / 隠公三年・四年 州吁、君を弑す
其子厚與州吁游,禁之,不可。桓公立,乃老。四年春,衛州吁弒桓公而立。公與宋公為會,將尋宿之盟。未及期,衛人來告亂。夏,公及宋公遇于清。宋殤公之即位也,公子馮出奔鄭,鄭人欲納之。及衛州吁立,將修先君之怨于鄭,而求寵於諸侯,以和其民,使告於宋曰:「君若伐鄭,以除君害,君為主,敝邑以賦與陳、蔡從,則衛國之願也。」宋人許之。於是陳、蔡方睦於衛,故宋公、陳侯、蔡人、衛人伐鄭,圍其東門,五日而還。
新字:其子厚与州吁游,禁之,不可。桓公立,乃老。四年春,衛州吁弒桓公而立。公与宋公為会,将尋宿之盟。未及期,衛人来告乱。夏,公及宋公遇于清。宋殤公之即位也,公子馮出奔鄭,鄭人欲納之。及衛州吁立,将修先君之怨于鄭,而求寵於諸侯,以和其民,使告於宋曰:「君若伐鄭,以除君害,君為主,敝邑以賦与陳、蔡従,則衛国之願也。」宋人許之。於是陳、蔡方睦於衛,故宋公、陳侯、蔡人、衛人伐鄭,囲其東門,五日而還。
書き下し
其の子厚、州吁と游ぶ。之を禁ずれども、可かず。桓公立ちて、乃ち老す。四年春、衛の州吁桓公を弒して立つ。公宋公と會を為し、將に宿の盟を尋ねんとす。未だ期に及ばずして、衛人來りて亂を告ぐ。夏、公宋公と清に遇ふ。宋の殤公の即位するや、公子馮出でて鄭に奔る。鄭人之を納れんと欲す。衛の州吁立つに及び、將に先君の怨を鄭に修めて、寵を諸侯に求め、以って其の民を和せんとす。宋に告げしめて曰く、「君若し鄭を伐ちて、以って君の害を除かば、君を主と為し、敝邑賦を以って陳・蔡と從はん。則ち衛國の願ひなり」と。宋人之を許す。是に於いて陳・蔡方に衛に睦まじ。故に宋公・陳侯・蔡人・衛人鄭を伐ち、其の東門を圍み、五日にして還る。
現代語訳
石碏(衛の老臣)の子の石厚は、州吁(衛の荘公の寵愛された庶子)と親しく交わっていた。石碏はそれを禁じたが、聞き入れなかった。桓公が即位すると、石碏は引退した。隠公四年の春、衛の州吁が桓公を殺して自ら君位に就いた。隠公は宋公と会見し、宿の盟約を確かめ直そうとしていた。その期日が来ないうちに、衛の人が来て内乱を告げた。夏、隠公は宋公と清で略式に会見した。宋の殤公が即位したとき、公子馮は国を出て鄭に亡命していた。鄭の人は彼を宋の君位に据えようとしていた。衛の州吁は即位すると、先君の代からの鄭への怨みを晴らして、諸侯の歓心を買い、それによって国内の民を和ませようとした。そこで宋に使者を送って言わせた。「君がもし鄭を討って、君にとっての害(公子馮)を除こうとなさるなら、君を盟主とし、我が国は兵と軍資を出して陳・蔡とともにお従いします。それが衛国の願いです」。宋はこれを承知した。このとき陳と蔡はちょうど衛と親密であった。そこで宋公・陳侯・蔡人・衛人が鄭を攻め、その東門を包囲し、五日で引き揚げた。
解説
この章句が説くこと
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史記 衛康叔世家十六年、州吁衛の亡人を収聚して以て桓公を襲殺し、州吁自立して衛君と為る。鄭伯の弟段の為に鄭を伐たんと欲し、宋・陳・蔡に与に倶にせんことを請ふ。三国皆州吁に許す。州吁新たに立ち、兵を好み、桓公を弑す。衛人皆愛せず。石碏乃ち桓公の母家の陳に因りて、詳(いつは)りて州吁に善くすと為す。鄭の郊に至り、石碏陳侯と共に謀り、右宰丑をして食を進めしめ、因りて州吁を濮に殺し、而して桓公の弟晋を邢に迎へて之を立つ。是を宣公と為す。宣公の七年、魯其の君隠公を弑す。九年、宋の督其の君殤公及び孔父を弑す。十年、晋の曲沃の荘伯其の君哀侯を弑す。十八年、初め、宣公夫人夷姜を愛す。夷姜子伋を生み、以て太子と為し、右公子をして之に傅たらしむ。右公子太子の為に斉の女を取る。未だ室に入らざるに、宣公太子の婦と為さんと欲する所の者の好きを見て、説びて自ら之を取り、更に太子の為に他の女を取る。宣公斉の女を得て、子寿・子朔を生み、左公子をして之に傅たらしむ。太子伋の母死す。宣公の正夫人朔と共に太子伋を讒悪す。宣公自ら其の太子の妻を奪ひしを以て、心に太子を悪み、之を廃せんと欲す。其の悪を聞くに及びて、大いに怒り、乃ち太子伋を斉に使ひせしめて、盗をして界上に遮りて之を殺さしめんとす。太子に白旄を与へ、而して界の盗に告ぐらく、白旄を持つ者を見ば之を殺せと。且に行かんとす。子朔の兄寿は、太子の異母弟なり。朔の太子を悪みて君の殺さんと欲するを知り、乃ち太子に謂ひて曰く、「界の盗太子の白旄を見ば、即ち太子を殺さん。太子行くこと毋かるべし」と。太子曰く、「父の命に逆らひて生を求むるは、不可なり」と。遂に行く。寿太子の止まらざるを見て、乃ち其の白旄を盗みて先に馳せて界に至る。界の盗其の験を見て、即ち之を殺す。寿已に死して、太子伋又至り、盗に謂ひて曰く、「当に殺すべき所は乃ち我なり」と。
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