司馬法 / 仁本
爭義不爭利,是以明其義也;
新字:争義不争利,是以明其義也;
書き下し
義を争いて利を争わず、是を以てその義を明らかにするなり。
現代語訳
利益ではなく道義を争う、そうすることでその義が明らかになるのである。
解説
利益ではなく道義のために争ってこそ、その争いの正しさが明らかになるという一句である。何かを主張したり競い合ったりする場面で、動機が私利にあるのか筋の通った理由にあるのかによって、その行為の意味は大きく変わってくる。勝ち負け以前に、自分が何のために争っているのかを見つめ直すことを促す教えとして、仕事や人間関係の摩擦にも応用できる。
この章句が説くこと
義利動機
関連する章句
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呂氏春秋・無義①先王の論に於けるや之を極せり。故に義は百事の始めなり、萬利の本なり、中智の及ばざる所なり。及ばざれば則ち知らず、知らざれば利に趨る。利に趨れば固より必す可からざるなり。公孫鞅・鄭平・續經・公孫竭は是れのみ。義を以て動けば則ち曠事無し。人臣、人臣と謀りて姦を為せば、猶ほ之に與するもの或り。又況んや人主、其の臣と謀りて義を為すをや。其れ孰か與せざる者あらんや。獨り其の臣のみに非ざるなり。天下皆且に之に與せんとす。
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呂氏春秋・愼行①行は孰せざる可からず。孰せざれば、深谿に赴くが如く、悔ゆと雖も及ぶ無し。君子は行を計りて義を慮り、小人は行を計りて利を其するも、乃ち利ならず。不利の利を知る者有れば、則ち與に理を言う可し。
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『墨子』經上故は、得て而る後に成る所なり。止は、久を以てなり。體は、兼に分かるるなり。必は、已まざるなり。知は、材なり。平は、髙さを同じくするなり。慮は、求むるなり。同は、長さ、缶を以て相い盡くすなり。知は、接するなり。中は、長さを同じくするなり。眀なり。厚は、大なる所有るなり。仁は、體として愛するなり。日中は、缶南なり。義は、利なり。直は、參なり。禮は、敬なり。圜は、一中にして長さを同じくするなり。行は、為すなり。方は、柱隅、四つながら讙しきなり。實は、榮なり。倍は、二と為すなり。忠は、以て利を為して强く低るるなり。端は、體の序無くして最も前なる者なり。孝は、親を利するなり。問有るは、中なり。
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呂氏春秋・召類②凡そ兵の用うるや、利に用い、義に用う。亂を攻むれば則ち服し、服すれば則ち攻むる者利あり。亂を攻むるは則ち義なり。義なれば則ち攻むる者榮あり。榮にして且つ利なれば、中主猶ほ且つ之を為す。有た況んや賢主に於いてをや。故に割地、寶器戈劍、卑辭屈服は、以て攻を止むるに足らず、唯だ治のみ足れりと為す。治まれば則ち利の為にする者は攻めず、名の為にする者は伐たず。凡そ人の攻伐するや、利の為に非ざれば則ち固より名の為なり。名實得ざれば、,國彊大なりと雖も、則ち攻むるを為すこと無し。
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『墨子』公孟子墨子の門に游ぶ者有り。子墨子曰く、「盍ぞ學ばざる」と。對えて曰く、「吾が族人に學ぶ者無し」と。子墨子曰く、「然らず。天に美を好む者、豈に吾が族人、之を好むこと莫し、故に好まずと曰わんや。夫れ富貴を欲する者、豈に吾が族人、之を欲すること莫し、故に欲せずと曰わんや。美を好み富貴を欲する者は、人を視ずして猶お強いて之を為す。夫れ義は天下の大器なり。何を以て人を視ん。必ず強いて之を為せ」と。
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『墨子』公孟子墨子の門に游ぶ者有り、子墨子に謂いて曰く、「先生、鬼を以て神眀にして知り、能く人に禍いを為すと為すか」と。子墨子の門に游ぶ者有り、身體强良、思慮狥通なり。隨いて學ばしめんと欲す。子墨子曰く、「姑く學べ。吾れ将に子を仕えしめん」と。善言に勸められて學ぶ。其の年にして、仕えんことを子墨子に責む。子曰く、「子を仕えしめず。子も亦た夫の魯の語を聞かんか。昆弟五人なる者有り。其の父死して、其の長子、酒を嗜みて葬らず。其の四弟曰く、『子、我と葬らば、當に子の為に酒を沽うべし』と。善言に勸められて葬る。已に葬りて、酒を其の四弟に責む。四弟曰く、『吾れ未だ子に酒を予えず。子は子の父を葬り、我れは吾が父を葬る。豈に獨り吾が父ならんや。子、葬らずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に葬るを勸めしなり』と。今、子は義を為し、我も亦た義を為す。豈に獨り我が義ならんや。子、學ばずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に學を勸めしなり」と。