春秋繁露 / 『春秋繁露』郊事對第七十一・名と実が合わない供え物
鶩非鳧、鳧非鶩也。臣聞孔子入太廟、每事問、慎之至也。陛下祭躬親、齋戒沐浴、以承宗廟、甚敬謹、奈何以鳧當鶩、鶩當鳧、名實不相應、以承太廟、不亦不稱乎!臣仲舒愚以為不可。
新字:鶩非鳧、鳧非鶩也。臣聞孔子入太廟、毎事問、慎之至也。陛下祭躬親、斎戒沐浴、以承宗廟、甚敬謹、奈何以鳧当鶩、鶩当鳧、名実不相応、以承太廟、不亦不称乎!臣仲舒愚以為不可。
書き下し
鶩は鳧に非ず、鳧は鶩に非ざるなり。臣聞く、孔子太廟に入りて、事毎に問うは、慎みの至りなりと。陛下祭に躬ら親しみ、斎戒沐浴して、以て宗廟を承け、甚だ敬い謹む。奈何ぞ鳧を以て鶩に当て、鶩を鳧に当て、名実相応ぜずして、以て太廟を承けんや。亦た称わざるならずや。臣仲舒愚かなれども以て不可と為す。
現代語訳
家鴨は野鴨ではなく、野鴨は家鴨ではありません。私は、孔子が太廟に入って事ごとに尋ねたのは、慎みの至りであったと聞いております。陛下は祭りに自ら臨み、斎戒沐浴して宗廟に仕えられ、たいへん敬い慎んでおられます。それなのに、どうして野鴨を家鴨に、家鴨を野鴨に当てて、名と実が合わないまま太廟にお供えになってよいでしょうか。ふさわしくないのではありませんか。私は愚かではございますが、してはならないと考えます。
解説
前漢の朝廷で、廷尉の湯の問いに董仲舒が答える場面です。野鴨と家鴨を取り違えて供えることの可否を問われ、名と実が一致しないものを捧げてはならないと答えます。『春秋繁露』は董仲舒に帰される書で、この篇は問答の記録として収められています。祭祀の具体は当時のものですが、名称と中身が食い違ったまま済ませない姿勢は、肩書や商品名、報告書の表現が実態と合っているかを点検する姿勢に通じます。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
名実鶩と鳧慎み太廟董仲舒
関連する章句
-
『新書』威不信古の正義、東西南北、苟しくも舟車の達する所、人迹の至る所、率服せざる莫く、而る後に天子と云う。徳厚く、沢湛えて、而る後に帝と称す。又た美を加えて、而る後に皇と称す。今称号甚だ美なれども、実は長城を出でず、彼特に服せざるのみに非ず、又た大いに不敬なり。辺長く寧からず、中長く静かならず、譬えば伏虎の如く、便を見れば必ず動く、将に何れの時にか已まん。昔高帝布衣より起こりて九州を服す、今陛下九州に杖りて凶奴に行われず、竊かに陛下の為に足らずとす。且つ事勢に甚だ逆なる者有り、其の義尤も要なり。天子とは、天下の首なり、何となれば、上なればなり。蛮夷とは、天下の足なり、何となれば、下なればなり。蛮夷の徴令は、是れ主上の操なり。天了の共貢は、是れ臣下の礼なり。足反って上に居り、首顧って下に居る、是れ倒植の勢いなり。天下の勢い倒植す、之を理むる能う莫し、猶お国に人有りと為さんや。徳は遠く施す可く、威は遠く加う可く、舟車の至る所、志の如くならしむ可し。而るに特だ捫然として数百里、威令信ならず、涕を流す可き者は此れなり。
-
『呻吟語』外篇・人情・何ぞ其の名を惡みて其の實を好むや人を稱するに顏子を以てせば、悅ばざる者無し。其の貧賤にして夭なるを忘る。人を稱するに桀・紂・盜跖を以てせば、怒らざる者無し。其の富貴にして壽なるを忘る。善を好み惡を惡むの同じく然ること此の如し。而るに人と作るは卻つて桀・紂・盜跖と同じく歸す。何ぞ其の名を惡みて其の實を好むや。
-
論語・八佾篇季氏、泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰く、『子、止むる能わざるか。』曰く、『能わず。』子曰く、『ああ!曾て泰山は林放に如かずと謂えりや。』
-
『洗心洞箚記』卷下・第六十六條韓昌黎曰く、名の存する所は、謗りの帰する所なりと。夫れ実徳有りて其の誉れ有り、実行有りて其の声有れば、則ち奚ぞ謗りを之れ招かん。如し爾云はば、則ち実徳無くして其の誉れ有り、実行無くして其の声有る者なり。謗りの至る、亦宜ならずや。故に許魯斎曰く、実無くして誉れを得、可ならんや。大誉は則ち大毀至り、小誉は則ち小毀至る、必然の理なり。惟だ聖賢誉れを得れば、則ち毀るべき所無し。大名の下処し難し、聖賢に在りては則ち是に異なり、処し難きこと無き者なり。実無くして名を得、故に処し難し。名は美器なり。造物者多く取ることを忌む。多く取ることを忌むに非ず、夫の実無くして名を得る者を忌むなりと。韓子は文を学びて道を窺ふ者、故に其の言彼の如し。許子は理学の名儒、故に其の言此の如し。虚名有る者は、宜しく韓子の言に鑑みて以て之を避くべし。実名無き者は、須らく許子の言に憤りて以て之を立つべし。
-
『慎思録』巻之一実無くして名を得る者は、恥づべきの甚だしきなり。偶然一時之を得ると雖も、終にも亦必ず亡びんのみ。喜ぶべき所に非ざるなり。聖人は陰陽徳を合はせ、剛柔兼ね備はる。故に仁義の徳全し。中人以下は、偏性無きこと能はず。故に彼に明らかなる者は此に暗く、此に長ずる者は彼に短し。中人以下の性は、往往此くの如し。天の物を生ずる、全功無し。是れ自然の理なり。性を治むるの道は、其の余り有る所を裁ち、其の足らざる所を補ひて、偏り無からんことを欲するのみ。
-
春秋繁露・『春秋繁露』深察名號第三十五・是非を測るものさしは名曲直を審らかにせんと欲すれば、縄を引くに如くは莫し。是非を審らかにせんと欲すれば、名を引くに如くは莫し。名の是非を審らかにするは、猶お縄の曲直を審らかにするがごとし。其の名実を詰り、其の離合を観れば、則ち是非の情は以て相讕るべからず。