論語 / 八佾篇
季氏旅於泰山。子謂冉有曰:『子不能止與?』曰:『不能。』子曰:『嗚呼!曾謂泰山不如林放乎?』
新字:季氏旅於泰山。子謂冉有曰:『子不能止与?』曰:『不能。』子曰:『嗚呼!曽謂泰山不如林放乎?』
書き下し
季氏、泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰く、『子、止むる能わざるか。』曰く、『能わず。』子曰く、『ああ!曾て泰山は林放に如かずと謂えりや。』
現代語訳
季氏が泰山に旅の祭りを行った。孔子は冉有に言った。「止められなかったのか。」冉有が「できませんでした」と答えると、孔子は言った。「ああ、泰山は林放に及ばないと言われるのももっともだ。」
解説
本来、泰山への旅の祭りは天子や諸侯だけが行えるもので、家臣である季氏が行うのは礼を外れた振る舞いでした。孔子は弟子の冉有に「止めることはできなかったのか」と尋ねますが、冉有は「できませんでした」と答えます。それを聞いた孔子は、泰山の神様でさえ礼を知らない林放より劣るはずがないと、皮肉を込めて嘆きました。上に立つ人が明らかに間違った行いをしようとするとき、それを諫めるのは近くにいる者の大切な役目です。しかし職場でも家庭でも、言い出しにくい空気があると、人は「できません」と諦めてしまいがちです。上の立場にある人ほど、間違いを間違いだと言ってもらえる雰囲気を自分から作れているか、常に振り返る必要があります。言いにくいことを言える関係こそ、後になって大きな失敗を防ぐ支えになるのです。
この章句が説くこと
名実祭祀権力
関連する章句
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呂氏春秋・審分⑤故に其の實を按じて其の名を審らかにして、以て其の情を求め、其の言を聽きて其の類を察し、放悖せしむる無し。夫れ名は其の實に當らざること多くして、事は其の用に當らざる者多し。故に人主は以て名分を審らかにせざる可からざるなり。名分を審らかにせざるは、是れ壅を惡みて愈々塞がるなり。壅塞の任は、臣下に在らず、人主に在り。堯・舜の臣、獨り義ならず、湯・禹の臣、獨り忠ならず、其の數を得ればなり。桀・紂の臣、獨り鄙ならず、幽・厲の臣、獨り辟ならず、其の理を失えばなり。
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論語・雍也篇子曰く、觚、觚ならず。觚ならんや、觚ならんや。
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説苑・雜言淳于髡、孟子に謂いて曰く、「名実を先んずる者は、人の為にする者なり。名実を後にする者は、自ら為にする者なり。夫子は三卿の中に在りて、名実未だ上下に加わらずして之を去る、仁者固より此くの如きか」と。孟子曰く、「下位に居りて、賢を以て不肖に事えざる者は、伯夷なり。五たび湯に就き、五たび桀に就く者は、伊尹なり。汙君を悪まず、小官を辞せざる者は、柳下惠なり。三子は道を同じくせざれども、其の趣くところは一なり。一とは何ぞや。曰く仁なり。君子も亦仁のみ、何ぞ必ずしも同じからん」と。曰く、「魯の穆公の時、公儀子政を為し、子思・子庚臣為り、魯の削らるるや滋々甚だし。是くの若きは、賢者の国に益無きなり」と。曰く、「虞は百里奚を用いずして亡び、秦の穆公は之を用いて霸たり。故に賢を用いざれば則ち亡ぶ、削らるる何ぞ得べけんや」と。曰く、「昔者、王豹淇に処りて、河西謳を善くす。綿駒高唐に処りて、齊右歌を善くす。華舟・杞梁の妻、善く其の夫を哭して国俗を変ず。諸を内に有すれば必ず外に形る。其の事を為して其の功無きは、髡未だ睹ざるなり。是の故に賢者無きなり、有らば則ち髡必ず之を識らん」と。曰く、「孔子魯の司寇と為りて用いられず、祭に従いて膰肉至らず、冕を脱がずして行く。其の不善なる者は以て肉の為なりと為し、其の善なる者は以て礼の為なりと為す。乃ち孔子は微罪を以て行かんと欲し、苟くも去るを為さんと欲せざるなり。故に君子の為す所は、衆人固より識る能わざるなり」と。
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呂氏春秋・正名①名正しければ則ち治まり、名喪わるれば則ち亂る。名をして喪わしむる者は、淫説なり。説くこと淫なれば、則ち可ならざるを可として、然らざるを然りとし、是ならざるを是として、非ならざるを非とす。故に君子の説くや、以て賢者の實、不肖者の充を言うに足るのみ。治の悖る所、亂の由りて起こる所を喩すに足るのみ。以て物の情、人の獲て以て生ずる所を知るに足るのみ。
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荀子・正名篇異形にして心を離れて交々喩り、異物にして名実玄紐たり、貴賤明らかならず、同異別たれず。是くの如くんば、則ち志に必ず喩らざるの患い有り、而して事に必ず困廃の禍い有り。故に知者は之が為に分別し名を制して以て実を指し、上は以て貴賤を明らかにし、下は以て同異を弁ず。貴賤明らかに、同異別たれ、是くの如くんば則ち志に喩らざるの患い無く、事に困廃の禍い無し。此れ名有る所以なり。
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呂氏春秋・審分⑥今、此に人有り、牛を求むるに則ち馬と名び、馬を求むるに則ち牛と名べば、求むる所必ず得ず。而るに因りて威怒を用うれば、有司必ず誹怨し、牛馬必ず擾亂す。百官は、衆有司なり。萬物は、群牛馬なり。其の名を正さず、其の職を分かたずして、數々刑罰を用うれば、亂焉より大なるは莫し。夫れ說くに智通を以てして實たすに遇悗を以てし、譽むるに高賢を以てして充つるに卑下を以てし、贊するに潔白を以てして隨うに汙德を以てし、任ずんるに公法を以てして處るに貪枉を以てし、用うるに勇敢を以てして堙つるに罷怯を以てす。此の五者は、皆牛を以て馬と為し、馬を以て牛と為す、名正しからざるなり。故に名正しからざれば、則ち人主、憂勞勤苦して、官職、煩亂悖逆す。國の亡ぶるや、名の傷わるるや、此れ從り生ず。之を白くせんとして顧って黑を益し、之を求めんとして愈々得ざるは、其れ此の義か。故に至治の務は、名を正すに在り。名正しければ則ち人主、憂勞せず。憂勞せざれば則ち其の耳目の主を傷わず。問いて詔げず、知りて為さず、和して矜らず、成して處らず。止まる者は行らしめず、行る者は止めず、形に因りて之に任ず。物に制せられず、肯て使と為ること無く、清靜にして以て公、神は六合に通じ、德は海外に耀き、意は無窮に觀れ、譽は無止に流る。此を之れ性を大湫に定むと謂う。之を命づけて無有と曰う。故に路を得て人を忘るれば、乃ち大いに人を得るなり、夫れ其れ道とするに非ずや。德を知り知を忘るれば、乃ち大いに知を得るなり。夫れ其れ德とするに非ずや。至知は幾せず、靜なれば乃ち幾を明らかにするなり。夫れ其れ明ならずや。大明は小事せず。假なれば乃ち事を理むるなり。夫れ其れ假ならずや。莫人は能くせず、全ければ乃ち能を備うるなり。夫れ其れ全からずや。是の故に全に於いては能を去り、假に於いては事を去り、知に於いては幾を去れば、知る所の者は妙たり。此くの若くなれば、則ち能く其の天に順い、意氣は寂寞の宇に游ぶことを得、形性は自然の所に安んずることを得。萬物を全くして宰せず、澤は天下を被いて、其の自りて始まる所を知ること莫し。五者を備えずと雖も、其の之を好む者は是なり。