論語 / 八佾篇
季氏旅於泰山。子謂冉有曰:『子不能止與?』曰:『不能。』子曰:『嗚呼!曾謂泰山不如林放乎?』
新字:季氏旅於泰山。子謂冉有曰:『子不能止与?』曰:『不能。』子曰:『嗚呼!曽謂泰山不如林放乎?』
書き下し
季氏、泰山に旅す。子、冉有に謂いて曰く、『子、止むる能わざるか。』曰く、『能わず。』子曰く、『ああ!曾て泰山は林放に如かずと謂えりや。』
現代語訳
季氏が泰山に旅の祭りを行った。孔子は冉有に言った。「止められなかったのか。」冉有が「できませんでした」と答えると、孔子は言った。「ああ、泰山は林放に及ばないと言われるのももっともだ。」
解説
本来、泰山への旅の祭りは天子や諸侯だけが行えるもので、家臣である季氏が行うのは礼を外れた振る舞いでした。孔子は弟子の冉有に「止めることはできなかったのか」と尋ねますが、冉有は「できませんでした」と答えます。それを聞いた孔子は、泰山の神様でさえ礼を知らない林放より劣るはずがないと、皮肉を込めて嘆きました。上に立つ人が明らかに間違った行いをしようとするとき、それを諫めるのは近くにいる者の大切な役目です。しかし職場でも家庭でも、言い出しにくい空気があると、人は「できません」と諦めてしまいがちです。上の立場にある人ほど、間違いを間違いだと言ってもらえる雰囲気を自分から作れているか、常に振り返る必要があります。言いにくいことを言える関係こそ、後になって大きな失敗を防ぐ支えになるのです。
この章句が説くこと
名実祭祀権力
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