春秋繁露 / 『春秋繁露』五行五事第六十四・見る、聴く、受け入れる
明作哲、哲者、知也、王者明、則賢者進、不肖者退、天下知善而勸之、知惡而恥之矣。聰作謀、謀者、謀事也、王者聰、則聞事與臣下謀之、故事無失謀矣。容作聖、聖者、設也、王者心寬大無不容、則聖能施設、事各得其宜也。
新字:明作哲、哲者、知也、王者明、則賢者進、不肖者退、天下知善而勧之、知悪而恥之矣。聰作謀、謀者、謀事也、王者聰、則聞事与臣下謀之、故事無失謀矣。容作聖、聖者、設也、王者心寛大無不容、則聖能施設、事各得其宜也。
書き下し
明は哲を作すとは、哲とは知なり。王者明らかなれば、則ち賢者は進み、不肖の者は退き、天下善を知りて之を勧み、悪を知りて之を恥ず。聡は謀を作すとは、謀とは事を謀るなり。王者聡ければ、則ち事を聞きて臣下と之を謀り、故に事に謀を失うこと無し。容は聖を作すとは、聖とは設なり。王者心寛大にして容れざる無ければ、則ち聖は能く施設し、事は各おの其の宜しきを得。
現代語訳
「明らかであれば哲となる」とは、哲とは知ることです。王が明らかであれば、賢者は進み、不肖の者は退き、天下の人は善を知って励み、悪を知って恥じます。「聡ければ謀となる」とは、謀とは事を謀ることです。王が聡ければ、事を聞いて臣下とともに謀るので、事に失策がありません。「受け入れれば聖となる」とは、聖とは設けることです。王の心が広く、何でも受け入れるなら、施策を整えることができ、物事はそれぞれふさわしい形に収まります。
解説
君主に求められる三つの資質を、見て分ける明、聞いて臣下と相談する聡、広く受け入れる容として述べます。『春秋繁露』は前漢の董仲舒に帰される書で、ここは五事という君主の修養項目を扱う部分です。天の異変との結びつきは当時の世界観ですが、人を見極めて登用し、報告をよく聞いて皆で計画し、異論も受け止めて仕組みを整えるという流れは、管理職の基本動作として読めます。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
明聡容人材の進退臣下と謀る五事
関連する章句
-
孫子・始計篇凡そ此の五者は、将は聞かざるは莫きも、之を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。
-
『智囊』通簡・高拱乃ち開くに五事を以てす。一に国亨に責めて撥置の人犯を献出せしめ、一に夷俗に照らして安信らの人命を賠償せしめ、一に地を分けて疏窮の母子を安插せしめ、一に宣慰の職銜を削奪して伊の男に権に替わらしめ、一に重きに従いて罰し以て其の悪を懲らしむ。而るに国亨は安智の省中に居るを見て益々疑い畏れ、軍門の誘いて之を殺さんことを恐れ、兵を擁すること故の如く、終に勘に赴かず、上疏して冤を弁ず。阮は浮議に狃れ、復た上疏して剿を請う。拱は剿せば則ち計に非ず、剿せざれば則ち威を損なうと念い、乃ち意を兵部に授け、題覆して請を得、吏科給事賈三近を以て往きて勘せしむ。国亨は科官の命を奉じて来り勘すと聞き、喜びて曰く、「吾は聴勘の人に係る、軍門は必ず敢えて我を殺さじ、我は乃ち以て自ら明らかにすべし」と。是に於いて群奸を出だして省に赴き審を聴き、五事は皆命の如くし、銀三万五千両を罰して以て自ら贖わんことを願う。安智は猶お従わざりしが、阮は其の事を用い撥置せし人を治め、始めて伏す。智も亦た管事を革められ、母に随いて安插さる。科官の未だ到らざるに、事は已に定まれり。〔馮述評〕国家の土司に於けるや、戎索を以て羈縻するのみ、原より内地と同じからず。彼は世々富貴を享く、故無くして叛を思うは、理として必ず然らず。皆な当事者の或いは濬削し、或いは慢残し、或いは処置を失当し、激して之を成すなり。反すら猶お原すべし、況んや未だ必ずしも反せざるをや。安国亨の一事の如きは、若し高中玄の力めて主持するに非ざれば、勢い必ず兵を用いん。即使い幸いにして捷を獲るも、数省の兵糧を竭くして、以て一の自ら相い仇殺する夷人に勝つは、甚だ無謂なり。嗚呼、前事忘れざるは後事の師なり。吾れ今日安んぞ中玄を思わざるを得んや。
-
孫子・始計篇故に之を経るに五事を以てし、之を校ぶるに七計を以てして、其の情を索む。
-
『初学訓』巻之三一人の身のわざ五あり。貌言、視聴思なり。貌とは、身のかたちのうごきをいふ。貌と、言と、視と、聴と、心に思ふと、すべて五のわざなり。思ふは其本なり。善を好み悪を嫌ひて、邪念を起さざるは、是思をつつしみて、意を誠にするなり。凡、此五事をつつしみて正しくすれば、身修まる。論語に、視と聴と言と動と、礼にかなへば、即ち仁なることを説き給へり。右にいへる五事と同じ。人の身のわざは、視、聴、言、動の四に過ぎず。四のわざに、皆天然の則ありて、行ふべき道理あり、是を礼といふ。此四のわざにつきて、為まじき事を為るは皆非礼なり。心と身との非礼を戒めて、非礼にして物を見、物をきき、物をいひ、非礼にしてかたちを動かすことなかれ。かくの如くすれば、事々皆礼にかなひて、人欲の私なく、天理行はれて、本心の徳闕けず。是即ち仁なり。仁とは、人の本心の徳なり。
-
孫子・行軍篇數々賞する者は、窘するなり。數々罰する者は、困しむなり。先に暴にして後に其の衆を畏るる者は、不精の至りなり。来たりて委謝する者は、休息を欲するなり。
-
尚書・洪範貌は恭と曰い、言は従と曰い、視は明と曰い、聴は聡と曰い、思は睿と曰う。