尚書 / 洪範
貌曰恭,言曰從,視曰明,聽曰聰,思曰睿
新字:貌曰恭,言曰従,視曰明,聴曰聰,思曰睿
書き下し
貌は恭と曰い、言は従と曰い、視は明と曰い、聴は聡と曰い、思は睿と曰う。
現代語訳
姿かたちは恭しくあるべきであり、言葉は道理に従うものであるべきであり、見ることは明らかであるべきであり、聞くことは聡くあるべきであり、考えることは深く澄んでいるべきである。
解説
自分の姿かたち、話す言葉、物の見方、人の話の聞き方、そして考える深さという五つの側面から、自分自身を点検する枠組みを示した句である。特別な能力ではなく、日々の振る舞いの中にこそ人としての質が表れるという発想であり、忙しい一日の終わりに、この五つを一つずつ思い返してみるだけでも、自分の状態が見えてくる。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
五事貌言視聴思自己点検
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孫子・始計篇凡そ此の五者は、将は聞かざるは莫きも、之を知る者は勝ち、知らざる者は勝たず。
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『智囊』通簡・高拱乃ち開くに五事を以てす。一に国亨に責めて撥置の人犯を献出せしめ、一に夷俗に照らして安信らの人命を賠償せしめ、一に地を分けて疏窮の母子を安插せしめ、一に宣慰の職銜を削奪して伊の男に権に替わらしめ、一に重きに従いて罰し以て其の悪を懲らしむ。而るに国亨は安智の省中に居るを見て益々疑い畏れ、軍門の誘いて之を殺さんことを恐れ、兵を擁すること故の如く、終に勘に赴かず、上疏して冤を弁ず。阮は浮議に狃れ、復た上疏して剿を請う。拱は剿せば則ち計に非ず、剿せざれば則ち威を損なうと念い、乃ち意を兵部に授け、題覆して請を得、吏科給事賈三近を以て往きて勘せしむ。国亨は科官の命を奉じて来り勘すと聞き、喜びて曰く、「吾は聴勘の人に係る、軍門は必ず敢えて我を殺さじ、我は乃ち以て自ら明らかにすべし」と。是に於いて群奸を出だして省に赴き審を聴き、五事は皆命の如くし、銀三万五千両を罰して以て自ら贖わんことを願う。安智は猶お従わざりしが、阮は其の事を用い撥置せし人を治め、始めて伏す。智も亦た管事を革められ、母に随いて安插さる。科官の未だ到らざるに、事は已に定まれり。〔馮述評〕国家の土司に於けるや、戎索を以て羈縻するのみ、原より内地と同じからず。彼は世々富貴を享く、故無くして叛を思うは、理として必ず然らず。皆な当事者の或いは濬削し、或いは慢残し、或いは処置を失当し、激して之を成すなり。反すら猶お原すべし、況んや未だ必ずしも反せざるをや。安国亨の一事の如きは、若し高中玄の力めて主持するに非ざれば、勢い必ず兵を用いん。即使い幸いにして捷を獲るも、数省の兵糧を竭くして、以て一の自ら相い仇殺する夷人に勝つは、甚だ無謂なり。嗚呼、前事忘れざるは後事の師なり。吾れ今日安んぞ中玄を思わざるを得んや。
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孫子・始計篇故に之を経るに五事を以てし、之を校ぶるに七計を以てして、其の情を索む。
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『初学訓』巻之三一人の身のわざ五あり。貌言、視聴思なり。貌とは、身のかたちのうごきをいふ。貌と、言と、視と、聴と、心に思ふと、すべて五のわざなり。思ふは其本なり。善を好み悪を嫌ひて、邪念を起さざるは、是思をつつしみて、意を誠にするなり。凡、此五事をつつしみて正しくすれば、身修まる。論語に、視と聴と言と動と、礼にかなへば、即ち仁なることを説き給へり。右にいへる五事と同じ。人の身のわざは、視、聴、言、動の四に過ぎず。四のわざに、皆天然の則ありて、行ふべき道理あり、是を礼といふ。此四のわざにつきて、為まじき事を為るは皆非礼なり。心と身との非礼を戒めて、非礼にして物を見、物をきき、物をいひ、非礼にしてかたちを動かすことなかれ。かくの如くすれば、事々皆礼にかなひて、人欲の私なく、天理行はれて、本心の徳闕けず。是即ち仁なり。仁とは、人の本心の徳なり。
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孫子・行軍篇數々賞する者は、窘するなり。數々罰する者は、困しむなり。先に暴にして後に其の衆を畏るる者は、不精の至りなり。来たりて委謝する者は、休息を欲するなり。
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