春秋繁露 / 『春秋繁露』陰陽義第四十九・喜怒を天の四季に合わせる
春、喜氣也、故生;秋、怒氣也、故殺;夏、樂氣也、故養;冬、哀氣也、故藏;四者、天人同有之、有其理而一用之、與天同者大治、與天異者大亂、故為人主之道、莫明於在身之與天同者而用之、使喜怒必當義而出、如寒暑之必當其時乃發也、使德之厚於刑也、如陽之多於陰也。
新字:春、喜気也、故生;秋、怒気也、故殺;夏、楽気也、故養;冬、哀気也、故蔵;四者、天人同有之、有其理而一用之、与天同者大治、与天異者大乱、故為人主之道、莫明於在身之与天同者而用之、使喜怒必当義而出、如寒暑之必当其時乃発也、使徳之厚於刑也、如陽之多於陰也。
書き下し
春は喜気なり、故に生ず。秋は怒気なり、故に殺す。夏は楽気なり、故に養う。冬は哀気なり、故に蔵す。四つの者は、天人同じく有す。其の理有りて一に之を用う。天と同じき者は大いに治まり、天と異なる者は大いに乱る。故に人主為るの道は、身に在りて天と同じき者を明らかにして之を用うるより明らかなるは莫し。喜怒をして必ず義に当たりて出でしむること、寒暑の必ず其の時に当たりて乃ち発するが如くし、徳の刑より厚きをして、陽の陰より多きが如くならしむ。
現代語訳
春は喜びの気なので物を生み、秋は怒りの気なので物を殺し、夏は楽しみの気なので物を養い、冬は哀しみの気なので物を蔵します。この四つは天にも人にも同じようにあり、その理にしたがって一つに用います。天と同じように用いる者は大いに治まり、天と異なる者は大いに乱れます。だから君主の道は、自分の身にあって天と同じものを明らかにして用いるのが何より確かです。喜びと怒りを必ず義にかなった形で出すこと、寒さと暑さが必ず時に合って起こるようにし、徳を刑より厚くすること、陽が陰より多いようにすることです。
解説

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