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五常訓 / 巻之四・義

一中庸曰、義者宜也、尊賢爲大。朱子章句云、宜者分別事理、各有所宜也。周子も、宜曰義。釋名曰、義者宜也、裁制事物、使合宜也。諸說皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、萬事萬物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相應するを云ふ。朱子は、義者心之制、事之宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善惡をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物來れば、刀を以てたてば二となる。善惡を決斷する事、かくの如し。是心の制なり。義の體とす。事之宜とは、諸事に相應して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善惡をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。

新字:一中庸曰、義者宜也、尊賢為大。朱子章句云、宜者分別事理、各有所宜也。周子も、宜曰義。釈名曰、義者宜也、裁制事物、使合宜也。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義者心之制、事之宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。

書き下し

一中庸曰く、義は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。朱子章句に云く、宜とは事理を分別して、各宜しき所有るなり。周子も、宜を義と曰ふ。釈名曰く、義は宜なり、事物を裁制して、宜しきに合はしむるなり。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義は心の制、事の宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。

現代語訳

『中庸』に「義とは宜しいことである。賢者を尊ぶことを大事とする」とあります。朱子の『中庸章句』には「宜しいとは、事の理を分別して、それぞれに宜しい所があることである」とあります。周子も「宜しいことを義という」といいます。『釈名』には「義とは宜しいことである。事物を裁き定めて、宜しいことに合わせるのである」とあります。諸説はみな、宜しいことをもって義としています。宜しいとは、あらゆる事や物の種類にしたがい、その理をわきまえて、ふさわしく応じることをいいます。朱子は「義とは心の制であり、事の宜である」といいました。制とは断ち分ける意味で、裁くことです。心の制とは、心の中に善悪を分ける理があることをいいます。義が心にあるのは、鋭い刀のようなものです。物が来れば、刀で断てば二つになります。善悪を決断することはこのようなものです。これが心の制です。義の本体とします。事の宜とは、もろもろの事にふさわしく応じて、その理の宜しさにしたがうことをいいます。これを義の働きとします。事の宜は、心の制があって、善悪を断ち分けた後のことです。人を愛するのは仁です。

解説

巻之四「義」の冒頭で、義の字義を『中庸』第二十章、朱子『中庸章句』、周敦頤『通書』、後漢の劉熙『釈名』から集め、義とは「宜」、つまり物事にふさわしく応じることだとまとめています。さらに朱子の『孟子集注』にある「義は心の制、事の宜」という定義を、心の中で善悪を刀のように断ち分けるのが体、実際の事にふさわしく対応するのが用だと説明します。判断の軸を心に持ち、それを場面に応じて適切に行うという義の考え方は、仕事の意思決定にも役立ちます。

この章句が説くこと

義宜中庸朱子判断

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