春秋繁露 / 『春秋繁露』王道第六・権と差を失えば位は保てぬ
故明王視於冥冥、聽於無聲、天覆地載、天下萬國莫敢不悉靖其職、受命者不示臣下以知之至也、故道同則不能相先、情同則不能相使、此其教也。由此觀之、未有去人君之權、能制其勢者也;未有貴賤無差、能全其位者也;故君子慎之。
新字:故明王視於冥冥、聴於無声、天覆地載、天下万国莫敢不悉靖其職、受命者不示臣下以知之至也、故道同則不能相先、情同則不能相使、此其教也。由此観之、未有去人君之権、能制其勢者也;未有貴賤無差、能全其位者也;故君子慎之。
書き下し
故に明王は冥冥に視、無声に聴く。天は覆い地は載せ、天下万国敢えて悉く其の職を靖んぜざる莫し。命を受くる者は、臣下に示すに知の至りを以てせざるなり。故に道同じければ則ち相い先んずる能わず、情同じければ則ち相い使う能わず。此れ其の教えなり。此に由りて之を観れば、人君の権を去りて、能く其の勢を制する者有らざるなり。貴賤に差無くして、能く其の位を全うする者有らざるなり。故に君子は之を慎む。
現代語訳
それゆえ明王は、暗がりの中でも見通し、音のないところでも聴き分けます。天が覆い地が載せるように、天下の万国は、みなその職をつつしんで務めないものはありません。命を受けた者は、臣下に自分の知の極みを示さないのです。ですから、道が同じなら互いに先んじることができず、情が同じなら互いに使うことができません。これがその教えです。これによって見れば、人君が権を手放して、その勢いを制した者はなく、貴賤に差をなくして、その位を全うした者もいないのです。だから君子はこれを慎みます。
解説
明君は暗がりの中を見、音のない所を聞く、と始まり、臣下に自分の知の限りを示さないことで、天下が職を慎むのだ、と述べます。道が同じなら先んじられず、情が同じなら使えない、とも言います。結びは、人君の権を手放して勢いを制した者はなく、貴賤の差をなくして位を全うした者はない、です。君臣の差を保つ重要性を述べる当時の官僚的な統治観が表れる箇所です。現代に引き寄せれば、上に立つ者は権限と役割の区別を曖昧にしてはいけない、という点です。権限を委ねつつ、責任と判断の最終権は自ら保っているかを確かめる手がかりになります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
明王権勢貴賤の差職分君臣
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