弁名 / 經權
權。漢儒以經對言。程子非之。是矣。仁齋先生據孟子而謂當以禮對權。亦是矣。是漢儒解經爲常。故誤耳。經者國家立制度大綱領。夫經而可反。豈可以爲經乎。禮節目甚繁。故至其末節。則變而從宜已。仁齋先生乃曰。禮可隨時損益。殊不知孔子所謂損益者。聖人制禮時之事也。且所謂權。禮亦有之。喪服四制曰。喪有四制。變而從宜。取之四時也。有恩有理有節有權。取之人情也。後世儒者汨沒四書。故有種種贅言耳。
新字:権。漢儒以経対言。程子非之。是矣。仁斎先生拠孟子而謂当以礼対権。亦是矣。是漢儒解経為常。故誤耳。経者国家立制度大綱領。夫経而可反。豈可以為経乎。礼節目甚繁。故至其末節。則変而従宜已。仁斎先生乃曰。礼可随時損益。殊不知孔子所謂損益者。聖人制礼時之事也。且所謂権。礼亦有之。喪服四制曰。喪有四制。変而従宜。取之四時也。有恩有理有節有権。取之人情也。後世儒者汨没四書。故有種種贅言耳。
書き下し
権。漢儒は経を以て対して言ふ。程子之を非とす、是なり。仁斎先生は孟子に拠りて当に礼を以て権に対すべしと謂ふ、亦た是なり。是れ漢儒は経を解して常と為す、故に誤るのみ。経とは国家の制度を立つる大綱領なり。夫れ経にして反すべくんば、豈に以て経と為すべけんや。礼は節目甚だ繁し、故に其の末節に至りては、則ち変じて宜しきに従ふのみ。仁斎先生乃ち曰く、「礼は時に随ひて損益すべし」と。殊に知らず、孔子の所謂損益とは、聖人礼を制する時の事なるを。且つ所謂権は、礼にも亦た之有り。喪服四制に曰く、「喪に四制有り、変じて宜しきに従ふは、之を四時に取るなり。恩有り理有り節有り権有るは、之を人情に取るなり」と。後世の儒者は四書に汨没す、故に種種の贅言有るのみ。
現代語訳
権(はかり、臨機の判断)について。漢の儒者は経と対にして言った。程子はこれを非としたが、正しい。仁斎先生は『孟子』に基づいて、権は礼と対にすべきだと言った。これも正しい。漢の儒者は経を「常」と解したから誤ったのである。経とは国家が制度を立てる大綱領である。経でありながら反してよいのなら、どうして経と言えようか。礼は細目がたいへん多いので、その末節に至っては、変えて状況に適うようにするだけである。ところが仁斎先生は「礼は時に応じて増減してよい」と言う。孔子のいう損益(増減)とは、聖人が礼を制定した時のことであると、まったく分かっていない。それに権というものは、礼の中にもある。『礼記』喪服四制に「喪には四つの決まりがある。変えて適切にするのは四季にのっとる。恩・理・節・権があるのは人情にのっとる」とある。後世の儒者は四書に溺れているから、さまざまな無駄口があるのである。
解説
この章句が説くこと
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『講孟余話』告子下 首章然れども本文立言の意は、礼と云ふは歯決なきを問はず、尽心上、「放飯流歠して、歯決なきを問ふ、是れを之れ務めを知らずと謂ふ」。又曲礼に「濡肉は歯決し、乾肉は歯決せず」純の倹に従ふ、論語子罕、「麻冕は礼なり。今や純は倹なり、吾は衆に従はん」の類なること固よりなり。唯語病あるのみ。但し親迎の義に至りては追考を要すべし。礼中にも軽重あり、食色皆各軽重あり、物皆然り。是を以て一本の義を喩るべし。滕文公上末章、「天の物を生ずるや、之をして一本ならしむ、而るに夷子は二本なる故なり」。君臣父子の五倫も、遇ふ所随ふ所に依りて軽重あり。此れの軽き者を以て彼の重き者に比せば、彼固より重し。彼の軽き者を以て此れの重き者に比せば、此れ固より重し。故に軽き者常に軽きことなし、時有りて重し。重き者常に重きことなし、時有りて軽し。是れ亦権の義、時中の義なり。合せ考ふべし。
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『翁問答』下卷之末孝経に曰く、夫れ孝は天の経なり、地の義なり、民の行なり、天地の経にして民是れに則る、とあれば経と権とおなじく道の総名なれば、経と権と弁ありと云は不可なり礼法と権とすこし弁ありといはんは可なり、しかれ共、礼法は本権道の節文なるによつて、時中にかなひて用れば、礼法即ち権也、時中にたがひて用ゆれば、権にそむきて非礼の礼となれば、畢竟礼の外に権なし、権の外に礼なし、礼と権と名義はすこし弁あれども、実は一理なり、よくよく玩味あるべし。
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『講孟余話』盡心上 第二十六章権の一字是れ中を執るの法にして、全章の帰宿なり。余常に謂へらく、聖人の道は人倫を明らかにするにあり、明らかにするの工夫は是れ権の功なり。君臣・父子・夫婦・長幼・朋友の五つの物、親・義・別・序・信の五つの事、是れ人倫なれば、後漢の趙苞の如く、三国の徐庶の如く、不幸にして人倫の変に遇ひたる時は、軽重を衡り、或いは仕を辞して親に随ひ、或いは国に殉じて家を顧みざる、皆時と勢とに因りて義を生ずる、是れ権なり。故に徒らに忠孝の道を学びて、権の字に心付かざれば、不忠不孝に陥ること多し。余常に是れを憂ふ。故に古今人倫の変に遇ひて、或いは善く権して其の義を全うし、或いは権すること能はずして其の義を闕く類の事蹟を類輯して一書となし、略論断を加へて、自ら観省に備へんと欲す、未だ及ぶに暇あらず。然れども已に変と云へば千差万別、始めより定体なし、又一言の尽くす所に非ず。且つ往古の死例を以て、将来の万変を制せんとするは迂闊拘泥の至りならずや。云く、「故きを温ねて新しきを知る」は孔門の学則なり。死例を活用すれば、思ひを広め智を発するの一助ともなるべし。其の要に至りては、欒共子の所謂(小学内篇通論引)「之の在る所は則ち死を致す」の意に原づきて是れを思はば、権の義に於て思ひ已に半ばに過ぎん。第二十七章。
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