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翁問答 / 下卷之末

嫂溺は非常の變にしてこれをすくふ禮法なければ、嫂溺援之以手者禮也といはずして權なりといへり、權は道の總名なれば、權即ち道、道即ち權なる故に、道也といはんために權也といへるなり、此章男女授受不親禮也、嫂溺援之以手者道也とならば反經合道の見あやまりあるまじ、權也といへるによつて、權の字になずみてうたがひあるなり、此章の主意、禮と權との辨をあかすにあらず、儒者の道は法におちずあとになづまず、上天時に律り下水土に襲て至善に止を本とすることを開示するものなり、淳于髡をのれが私心をもて孟子にうかゞひ、孟子は當時の諸侯の無禮をにくみつかへめされざるを見て、禮法になづみたる人なりと思ふによつて、嫂溺の事を寓言して孟子を諷したり、しかる故に孟子儒者の道は專權をもて主本として物に凝滯せず迹になづまず、活潑なることをしらしめて、その迷ひをとかんために道とはいはずして權也と論じめされたり。

新字:嫂溺は非常の変にしてこれをすくふ礼法なければ、嫂溺援之以手者礼也といはずして権なりといへり、権は道の総名なれば、権即ち道、道即ち権なる故に、道也といはんために権也といへるなり、此章男女授受不親礼也、嫂溺援之以手者道也とならば反経合道の見あやまりあるまじ、権也といへるによつて、権の字になずみてうたがひあるなり、此章の主意、礼と権との弁をあかすにあらず、儒者の道は法におちずあとになづまず、上天時に律り下水土に襲て至善に止を本とすることを開示するものなり、淳于髡をのれが私心をもて孟子にうかゞひ、孟子は当時の諸侯の無礼をにくみつかへめされざるを見て、礼法になづみたる人なりと思ふによつて、嫂溺の事を寓言して孟子を諷したり、しかる故に孟子儒者の道は専権をもて主本として物に凝滞せず迹になづまず、活溌なることをしらしめて、その迷ひをとかんために道とはいはずして権也と論じめされたり。

書き下し

嫂溺は非常の変にしてこれをすくふ礼法なければ、嫂溺るるときに之を援くるに手を以てするは礼なりといはずして権なりといへり、権は道の総名なれば、権即ち道、道即ち権なる故に、道也といはんために権也といへるなり、此章、男女授受するに親らせざるは礼なり、嫂溺るるときに之を援くるに手を以てするは道なりとならば、経に反して道に合ふの見あやまりあるまじ、権也といへるによつて、権の字になずみてうたがひあるなり、此章の主意、礼と権との弁をあかすにあらず、儒者の道は法におちずあとになづまず、上天時に律り下水土に襲て至善に止を本とすることを開示するものなり、淳于髡をのれが私心をもて孟子にうかゞひ、孟子は当時の諸侯の無礼をにくみつかへめされざるを見て、礼法になづみたる人なりと思ふによつて、嫂溺の事を寓言して孟子を諷したり、しかる故に孟子儒者の道は専権をもて主本として物に凝滞せず迹になづまず、活溌なることをしらしめて、その迷ひをとかんために道とはいはずして権也と論じめされたり。

現代語訳

兄嫁が溺れるのは非常の変であって、これを救う礼法がないから、「兄嫁が溺れて手で助けるのは礼である」とは言わずに「権である」と言ったのである。権は道の総名であるから、権がすなわち道、道がすなわち権である。それで「道である」と言う代わりに「権である」と言ったのである。もしこの章が「男女が手渡ししないのは礼であり、兄嫁が溺れて手で助けるのは道である」となっていれば、「経に反して道に合う」という見誤りは起こらなかったであろう。「権である」と言ったために、権の字にとらわれて疑いが生じたのである。この章の主意は、礼と権の区別を明らかにすることではない。儒者の道は法に陥らず跡にこだわらず、上は天の時に従い下は土地の風土に因って、至善にとどまることを本とすることを示したものである。淳于髡は自分の私心で孟子をうかがい、孟子が当時の諸侯の無礼を憎んで仕えないのを見て、礼法にこだわる人だと思ったので、兄嫁が溺れる事を例え話にして孟子をあてこすった。だから孟子は、儒者の道は権をもっぱら根本として、物に滞らず跡にこだわらず、生き生きとしたものであることを知らせて、その迷いを解くために、道とは言わずに「権である」と論じられたのである。

解説

藤樹は、孟子が「権」という語を使ったのは、礼法にこだわる人物だと誤解した淳于髡の迷いを解くためだったと読む。つまり権は「道」と言い換えてよい語であり、経と対立する特別な手段ではない。天の時に従い土地の事情に応じて至善にとどまるという『中庸』の言葉が、その道の姿として示される。言葉の表面にとらわれると、本来ひとつのものを二つに分けてしまう。議論で相手が使った語を字面どおりに受け取る前に、その語がどんな誤解に応えて発せられたのかを考えることが、真意をつかむ第一歩である。

この章句が説くこと

権道孟子中庸至善文脈

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