春秋繁露 / 『春秋繁露』玉杯第二・礼は形より志を重んじる
緣此以論禮、禮之所重者、在其志、志敬而節具、則君子予之知禮;志和而音雅、則君子予之知樂;志哀而居約、則君子予之知喪。故曰非虛加之、重志之謂也。志為質、物為文、文著於質、質不居文、文安施質;質文兩備、然後其禮成;
新字:縁此以論礼、礼之所重者、在其志、志敬而節具、則君子予之知礼;志和而音雅、則君子予之知楽;志哀而居約、則君子予之知喪。故曰非虚加之、重志之謂也。志為質、物為文、文著於質、質不居文、文安施質;質文両備、然後其礼成;
書き下し
此に縁りて以て礼を論ずれば、礼の重んずる所は、其の志に在り。志敬にして節具わらば、則ち君子は之に礼を知ると予す。志和にして音雅なれば、則ち君子は之に楽を知ると予す。志哀にして居約なれば、則ち君子は之に喪を知ると予す。故に曰く、虚しく加うるに非ず、志を重んずるの謂なり、と。志は質為り、物は文為り。文は質に著れ、質は文に居らざれば、文は安くにか質に施さん。質文両つながら備わりて、然る後に其の礼成る。
現代語訳
これによって礼を論じれば、礼が重んじるところは、その志にあります。志が敬いに満ち、作法も整っていれば、君子はその人を礼を知る者と認めます。志が和やかで音も雅であれば、楽を知る者と認めます。志が哀しみに満ち、暮らしも質素であれば、喪を知る者と認めます。ですから「いたずらに与えるのではなく、志を重んじるからだ」と言うのです。志は質であり、物は文です。文は質に現れるもので、質が文に宿らなければ、文は何に施せばよいのでしょうか。質と文の両方が備わって、はじめてその礼が成り立ちます。
解説
礼の本質は形ではなく志にある、と述べる箇所です。敬う心があって作法が整えば礼を知る人、和する心があって音が雅なら楽を知る人、悲しむ心があって質素に過ごせば喪を知る人だと認められます。志を質、形式を文と呼び、両方が備わって礼が成るとします。『春秋』が文公の喪中の婚礼を咎める論の中で出てくる議論です。現代の職場でも、挨拶や報告の作法といった形式は、相手への敬意という中身があってこそ生きます。形だけ整えて中身が空なら、制度や研修も同じ運命をたどります。自分の組織の形式に志が通っているかを点検する材料になります。

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礼志質と文敬喪形式
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