春秋繁露 / 『春秋繁露』楚莊王第一・制度を変えても道は変えない
若夫大綱、人倫道理、政治教化、習俗文義盡如故、亦何改哉!故王者有改制之名、無易道之實。孔子曰:『無為而治者、其舜乎!』言其王堯之道而已、此非不易之效與!
新字:若夫大綱、人倫道理、政治教化、習俗文義尽如故、亦何改哉!故王者有改制之名、無易道之実。孔子曰:『無為而治者、其舜乎!』言其王堯之道而已、此非不易之効与!
書き下し
夫の大綱、人倫の道理、政治教化、習俗文義の若きは、尽く故の如し。亦た何ぞ改めんや。故に王者に制を改むるの名有るも、道を易うるの実無し。孔子曰く、「為す無くして治まる者は、其れ舜か」と。其の堯の道を王とするを言うのみ。此れ易えざるの効に非ずや。
現代語訳
さて、大綱、人としての道理、政治と教化、習俗や文のあり方といったものは、すべて以前のままです。どうして改める必要があるでしょうか。ですから王者には制度を改めるという名目はあっても、道を変えるという実質はありません。孔子は「何もせずに治めた者は、舜であろうか」と言いました。これは舜が堯の道を受けて王となったことを言っただけです。道を変えなかったことの証ではないでしょうか。
解説
王者が代わると制度を改めるのはなぜか、という問いへの答えの一部です。暦や服の色といった形は改めても、人倫や政治教化といった根本の道は変えない、と董仲舒は述べます。名目と実質を分けて考える発想です。背景には、天命を受けて新しい王朝が立つとき、天に対して新しさを示すという当時の天人相応の考えがあります。現代の組織に置けば、新体制で看板や制度を刷新しても、守るべき理念や人を大切にする根は変えない、という整理になります。改革の際に変えるものと残すものを分けて説明できているかを、見直す視点になります。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
改制大綱人倫名と実舜堯
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