弁名 / 心志意
志者心之所之。此說文之訓也。是以字偏傍爲說。字學家之言耳。仁齋先生曰。心之所存主也。得之。醫書腎藏精與志。亦可見已。意者謂起念也。人之不可無者也。雖聖人亦爾。如子絕四毋意。本以孔子行禮言之。孔子之心。與禮一矣。故當其行禮。若全不經意然。是形容其動容周旋中禮者爾。後儒不識語意所在。或謂無私意。或謂聖人盛德之至自無往來計較之心也。皆泥矣。如大學誠意。乃以好惡言之。意之誠。格物之功效也。朱註以來。皆不解文意。
新字:志者心之所之。此説文之訓也。是以字偏傍為説。字学家之言耳。仁斎先生曰。心之所存主也。得之。医書腎蔵精与志。亦可見已。意者謂起念也。人之不可無者也。雖聖人亦爾。如子絶四毋意。本以孔子行礼言之。孔子之心。与礼一矣。故当其行礼。若全不経意然。是形容其動容周旋中礼者爾。後儒不識語意所在。或謂無私意。或謂聖人盛徳之至自無往来計較之心也。皆泥矣。如大学誠意。乃以好悪言之。意之誠。格物之功効也。朱註以来。皆不解文意。
書き下し
志は心の之く所。此れ説文の訓なり。是れ字の偏傍を以て説を為す、字学家の言のみ。仁斎先生曰く、「心の存主する所なり」と。之を得たり。医書に腎は精と志とを蔵すといふも、亦た見るべきのみ。意は念を起こすを謂ふなり。人の無かるべからざる者なり。聖人と雖も亦た爾り。子四を絶つ、意毋しの如きは、本と孔子の礼を行ふを以て之を言ふ。孔子の心は、礼と一なり。故に其の礼を行ふに当たりて、全く意を経ざるが若く然り。是れ其の動容周旋礼に中る者を形容するのみ。後儒語意の在る所を識らず、或いは私意無しと謂ひ、或いは聖人盛徳の至り、自ら往来計較の心無しと謂ふ。皆泥めり。大学の誠意の如きは、乃ち好悪を以て之を言ふ。意の誠は、格物の功効なり。朱註以来、皆文意を解せず。
現代語訳
「志とは心の行くところ」というのは『説文解字』の訓である。これは字の偏と旁から説明したもので、文字学者の言い方にすぎない。仁斎先生は「心がとどまり主とするところ」と言った。これは当たっている。医書に「腎は精と志を蔵す」とあるのからもわかる。意とは、念を起こすことを言う。人になくてはならないもので、聖人も同じである。「孔子は四つのことを絶った、意がなかった」というのは、もともと孔子が礼を行うことについて言ったものである。孔子の心は礼と一つになっていた。だから礼を行うとき、まったく意を経ないかのようであった。これは、立ち居振る舞いがおのずと礼にかなっているさまを形容したものにすぎない。後の儒者は言葉の意図がどこにあるかを知らず、ある者は「私意がない」と言い、ある者は「聖人の徳が極まって、おのずとあれこれ計算する心がない」と言う。みな言葉にこだわりすぎである。『大学』の「誠意」は、好悪について言ったもので、意が誠になるのは格物の効果である。朱子の注以来、みな文の意味を理解していない。
解説
この章句が説くこと
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『洗心洞箚記』卷上・第九十一條学者は心性の理に明らかにし、天人の義を知ると云ふと雖も、然れども儀礼の喪服、及び卜氏の伝に精通せずんば、則ち人倫の差等の微妙なる処に於て、分暁明白なる能はず。如し分暁明白ならずんば、則ち其の行事は未だ妄行恣睢、空と俗とに陥るを免れざるなり。是れ聖教に背くを知らずして自ら之に背くなり。故に礼は講究せざるべからざるなり。然れども徒らに講究して経伝に精通すと雖も、心性の理に明らかならず、天人の義を知らずんば、則ち是れ乃ち源無きの学にして、章句訓詁の陋に終る。是れ亦先聖の教に非ざるなり。要するに一に偏るは不可なり。吁、聖教は円にして方、方にして円なり。志無くんば則ち担当し難し、亦宜ならずや。
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史記 晋世家恵公の七年、重耳を畏れ、乃ち宦者履鞮をして壮士と重耳を殺さんと欲せしむ。重耳之を聞き、乃ち趙衰等に謀りて曰く、「始め吾狄に奔るは、以て用ふべしと為すに非ず。近くして以て通じ易きを以て、故に且く足を休む。足を休むること久し。固より大国に徙らんことを願ふ。夫れ斉の桓公は善を好み、志は覇王に在り、諸侯を収恤す。今聞く、管仲・隰朋死すと。此れ亦た賢佐を得んと欲す。盍ぞ往かざる」と。是に於て遂に行く。重耳其の妻に謂ひて曰く、「我を待つこと二十五年にして来たらずんば、乃ち嫁げ」と。其の妻笑ひて曰く、「二十五年に犁(およ)ばば、吾が冢上の柏大ならん。然りと雖も、妾子を待たん」と。重耳狄に居ること凡そ十二年にして去る。衛を過ぐ。衛の文公礼せず。去りて五鹿を過ぐ。饑ゑて野人に従ひて食を乞ふ。野人土を器中に盛りて之を進む。重耳怒る。趙衰曰く、「土は、土を有つなり。君其れ拝して之を受けよ」と。斉に至る。斉の桓公厚く礼し、而して宗女を以て之に妻し、馬二十乗有り。重耳之に安んず。重耳斉に至りて二歳にして桓公卒す。会々豎刀等内乱を為し、斉の孝公の立つや、諸侯の兵数々至る。斉に留まること凡そ五歳。重耳斉の女を愛し、去る心毋し。趙衰・咎犯乃ち桑下に於て行かんことを謀る。斉の女の侍者桑上に在りて之を聞き、以て其の主に告ぐ。其の主乃ち侍者を殺し、重耳に趣やかに行かんことを勧む。重耳曰く、「人生安楽なり。孰か其の他を知らん。必ず此に死せん。去ること能はず」と。斉の女曰く、「子は一国の公子なり。窮して此に来たる。数士は子を以て命と為す。子疾く国に反りて、労臣に報いずして、女の徳を懐ふ。窃かに子の為に之を羞づ。且つ求めずんば、何れの時にか功を得ん」と。乃ち趙衰等と謀り、重耳を酔はしめ、載せて以て行く。行くこと遠くして覚む。重耳大いに怒り、戈を引きて咎犯を殺さんと欲す。咎犯曰く、「臣を殺して子を成すは、偃の願ひなり」と。重耳曰く、「事成らずんば、我舅氏の肉を食らはん」と。咎犯曰く、「事成らずんば、犯の肉は腥臊なり。何ぞ食らふに足らん」と。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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