尚書 / 秦誓
我心之憂,日月逾邁,若弗云來。惟古之謀人,則曰未就予忌;惟今之謀人,姑將以爲親。雖則云然,
新字:我心之憂,日月逾邁,若弗云来。惟古之謀人,則曰未就予忌;惟今之謀人,姑将以為親。雖則云然,
書き下し
我が心の憂ひは、日月逾み邁き、云に来たらざるが若し。惟れ古の謀人は、則ち予に就かずと曰ひて忌む。惟れ今の謀人は、姑く将に以て親しと為さんとす。然く云ふと雖も、
現代語訳
私の心の憂いは、月日が過ぎ去って、もう戻ってこないかのように思われることである。昔からの謀臣(蹇叔ら老臣)については、私に従わないと言って疎んじた。今の謀臣(若く新しい者)については、ひとまず親しい者としようとした。そのようにしてしまったけれども、
解説
穆公は、月日が過ぎ去って二度と戻らないように、過ちを取り返す時がもうないのではないかという憂いを語る。そして自らの失敗の原因を、昔からの老臣の意見を自分に従わないとして疎んじ、目先の新しい謀臣を親しんだことにあると振り返る。これは、老臣蹇叔が鄭への遠征に反対したのを退けて大敗を招いたことを指している。耳の痛い忠告をする経験豊かな者を遠ざけ、自分の意に沿う者を近づけたことを、君主自らが公の場で認めている点に、この篇の重みがある。成功や自信が続くと、反対意見を言う古参より、賛同してくれる新顔を重用したくなる。その危うさを率直に語った言葉である。
関連する章句
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尚書・秦誓公曰く、「嗟(ああ)!我が士よ。聴きて嘩しくすること無かれ。予誓ひて汝に群言の首を告ぐ。古人言へる有り、曰く、『民は自ら是くの若くするを訖せば、盤しむこと多し。
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尚書・秦誓番番たる良士は、旅力既に愆ぐるも、我尚はくは之を有たん。仡仡たる勇夫は、射御違はざるも、我尚はくは欲せず。惟れ截截として善く諞言し、君子をして辞を易へしむるもの、我皇ぞ多く之を有たんや。昧昧として我之を思ふ。
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史記 秦本紀鄭人に鄭を秦に売る者有りて曰く、「我其の城門を主る、鄭襲ふ可し」と。繆公蹇叔・百里傒に問ふ、対へて曰く、「数国を径て千里にして人を襲ふは、利を得る者希なり。且つ人鄭を売る、庸ぞ我が国人の我が情を以て鄭に告ぐる者有らざるを知らんや。不可なり」と。繆公曰く、「子知らざるなり、吾已に決せり」と。遂に兵を発す。晉の襄公秦兵を殽に遮り、之を撃ちて、大いに秦軍を破り、一人も脱するを得る者無し。
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史記 秦本紀繆公客礼を以て之を礼し、戎を伐つの形を問ふ。三十六年、繆公復た益孟明等を厚くし、兵を将ゐて晋を伐たしむ。河を渡りて船を焚き、大いに晋人を敗り、王官及び鄗を取り、以て殽の役に報ゆ。晋人皆城守して敢へて出でず。是に於て繆公乃ち茅津より河を渡り、殽中の尸を封じ、為に喪を発し、之を哭すること三日。乃ち軍に誓ひて曰く、「嗟士卒、聴きて譁しき無かれ、余誓ひて汝に告ぐ。古の人は謀るに黄髪番番たるに則れば、則ち過つ所無し」と。以て蹇叔・百里傒の謀を用ゐざりしを申思す。故に此の誓を作り、後世をして以て余が過ちを記さしむ。君子之を聞き、皆為に涕を垂れて、曰く、「嗟乎、秦の繆公の人に与すること周きや、卒に孟明の慶を得たり」と。三十七年、秦由余の謀を用ゐて戎王を伐ち、国を益すこと十二、地を開くこと千里、遂に西戎に霸たり。天子召公過をして繆公を賀するに金鼓を以てせしむ。
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呂氏春秋・悔過②昔秦の繆公、師を興して以て鄭を襲わんとす。蹇叔諫めて曰く、「不可なり。臣之を聞く、國邑を襲うには、車を以て百里を過ぎず、人を以て三十里を過ぎず、と。皆其の氣の趫なると力の盛なるとを以て至ればなり。是を以て敵を犯せば能く滅ぼし、之を去れば能く速やかなり。今數千里を行き、又諸侯の地を絶ちて以て國を襲う。臣其の可なるを知らざるなり。君其れ重ねて之を圖れ。」繆公聽かず。蹇叔、師を門外に送りて哭して曰く、「師や、其の出づるを見るも、其の入るを見ざらん。」蹇叔に子有り、申と視と曰う。師と偕に行く。蹇叔、其の子に謂いて曰く、「晉若し師を遏めば必ず殽に於いてせん。女死するや南方の阜に於いてせず、必ず北方の阜に於いてせよ。吾女を尸することの易きが為なり。」繆公之を聞き、人をして蹇叔を讓めしめて曰く、「寡人、師を興す、未だ何如なるかを知らず。今哭して之を送る、是れ吾が師を哭するなり。」蹇叔對えて曰く、「臣敢て師を哭せざるなり。臣老いたり、子二人有り。皆師と與に行く。其の反る比、彼死するに非ざれば、則ち臣必ずや死せん。是の故に哭す。」師行きて周を過ぐ。王孫滿、門を要じて之を窺い、曰く、「嗚呼。是の師必ず疵つくこと有らん。若し疵つくこと無ければ、吾復た道を言わず。夫れ秦は他に非ず、周室の國を建つるなり。天子の城を過ぐるや、宜しく甲を橐にし兵を束ね、左右皆下り、以て天子の為に禮すべし。今袀服回建し、左の軾せずして、右の超乘する者五百乘。力は則ち多し、然れども禮寡し。安くんぞ疵つくこと無きを得ん。」師、周を過ぎて東す。鄭の賈人弦高・奚施將に西のかた周に市せんとし、道に秦の師に遇う、曰く、「嘻、師の從りて來たる所の者遠し。此れ必ず鄭を襲わん。」遽かに奚施をして歸り告げしめ、乃ち鄭伯の命を矯りて以て之を勞らい、曰く、「寡君固より大國の將に至らんとするを聞くこと久し。大國至らず、寡君、士卒と竊かに大國の為に憂え、日に與る所無し。惟だ士卒の罷弊すると、糗糧の匱乏するとを恐る。何ぞ其れ久しきや。人臣をして犒勞するに璧を以てし、膳するに十二牛を以てす。」秦の三帥對えて曰く、「寡君の使うもの無きや、其の三臣、丙や術や視をして東邊に於いて㬐の道を候わしむ。是を過ぐるに以て迷惑し、大國の地に陷入す。敢て固辭せず。再拜稽首して之を受けん」。三帥乃ち懼れて謀りて曰く、「我數千里を行き、數々諸侯の地を絶ぎ、以て人を襲わんとす。未だ至らずして、人已に先づ之を知る。此れ其の備え必ずや已に盛ならん。」師を還して之を去る。是の時に當りて、晉の文公適々薨じ、未だ葬らず。先軫、襄公に言いて曰く、「秦の師、撃たざる可からず。臣請う、之を撃たん。」襄公曰く、「先君薨じ、尸は堂に在り。秦の師を見て、利として因りて之を撃つは、乃ち人の子為るの道に非ざること無からんか。」先軫曰く、「吾が喪に弔せず、吾が哀に憂えず。是れ吾が君を死せりとして其の孤を弱とするなり。是くの若くして撃たば、大いに彊つ可し。臣請う之を撃たん。」襄公已むを得ずして之を許す。先軫、秦の師を殽に遏めて之を撃ち、大いに之を敗り、其の三帥を獲て以て歸る。繆公之を聞き、素服して廟臨し、以て衆に説きて曰く、「天は秦國の為にせず。寡人をして蹇叔の諫を用いず、以て此の患いに至らしむ。」此れ繆公は殽に敗るるを欲するに非ざるなり。智至らざるなり。智至らざれば則ち信ぜず。言の信ぜられざると、師の反らざるとは、此れ從り生ず。故に至らざるの害為るや大なり。
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尚書・秦誓啻に其の口より出づるが如きのみならず、是れ能く之を容る。以て我が子孫黎民を保つ、亦職に利有らんかな。人の技有るを、冒疾して以て之を悪み、人の彦聖なるを、之に違ひて達せざらしむ、是れ容るる能はず。以て我が子孫黎民を保つ能はず、亦殆ふしと曰はんかな。
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