甲陽軍鑑 / 品第十六
其ごとく大將にてこそなく共、加藤駿河はわが旗本の武者奉行を申付れば、侍大將よりも武道のくらゐはましなり、其理は侍大將には樣により若き者もあれども、武者奉行には武と忠と功と年比と分別工案ありて、信玄にも指引をいたし諫むるほどの者をゑらびて仕る故、侍大將にも憶意の氣味はましたりとはここをもつてなり、箇樣にゑらばれて旗本の武者奉行をいたす駿河守が子が、いかに末子たりといふとも、おのれが武道に自慢して世間の者を目八分にみる樣なる者と見および、
新字:其ごとく大将にてこそなく共、加藤駿河はわが旗本の武者奉行を申付れば、侍大将よりも武道のくらゐはましなり、其理は侍大将には様により若き者もあれども、武者奉行には武と忠と功と年比と分別工案ありて、信玄にも指引をいたし諫むるほどの者をゑらびて仕る故、侍大将にも憶意の気味はましたりとはここをもつてなり、箇様にゑらばれて旗本の武者奉行をいたす駿河守が子が、いかに末子たりといふとも、おのれが武道に自慢して世間の者を目八分にみる様なる者と見および、
書き下し
其ごとく大将にてこそなく共、加藤駿河はわが旗本の武者奉行を申付れば、侍大将よりも武道のくらゐはましなり、其理は侍大将には様により若き者もあれども、武者奉行には武と忠と功と年比と分別工案ありて、信玄にも指引をいたし諫むるほどの者をゑらびて仕る故、侍大将にも憶意の気味はましたりとはここをもつてなり、箇様にゑらばれて旗本の武者奉行をいたす駿河守が子が、いかに末子たりといふとも、おのれが武道に自慢して世間の者を目八分にみる様なる者と見および、
現代語訳
そのように大将でこそなくても、加藤駿河は我が旗本の武者奉行を申し付けているので、侍大将よりも武道の位は上である。その理は、侍大将には様子によって若い者もあるけれども、武者奉行には武と忠と功と年齢と分別工夫があって、信玄にも差し引きをして諫めるほどの者を選んで任じるゆえである。侍大将よりも思うところが上だというのは、ここをもってである。このように選ばれて旗本の武者奉行をつとめる駿河守の子が、いかに末子であるといっても、自分の武道に自慢して世間の者を目八分に見るような者だと見及んで。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』初見秦第一然り而して兵甲頓れ、士民病み、蓄積索き、田疇荒れ、囷倉虚しく、四隣の諸侯服せず、霸王の名成らず。此れ異なる故無し、其の謀臣皆な其の忠を尽くさざればなり。
-
貞観政要・忠義貞観十一年、太宗侍臣に謂いて曰く、「狄人、衛の懿公を殺し、尽く其の肉を食らい、独り其の肝を留む。懿公の臣弘演、天を呼びて大いに哭し、自ら其の肝を出して、懿公の肝を其の腹中に内(い)る。今、此の人を覓(もと)むるも、恐らくは得べからず」と。特進魏徴対えて曰く、「昔、豫譲は智伯の為に讎に報いんとし、趙襄子を刺さんと欲す。襄子執えて之を獲、之に謂いて曰く、『子は昔、范・中行氏に事えしか。智伯は尽く之を滅ぼす。子は乃ち質を智伯に委ね、為に讎に報いず。今、即ち智伯の為に讎に報ゆ。何ぞや』と。譲答えて曰く、『臣は昔、范・中行に事う。范・中行は衆人を以て我に遇す。我は衆人を以て之に報ゆ。智伯は国士を以て我に遇す。我は国士を以て之に報ゆ』と。君の之を礼するに在るのみ。亦た何ぞ人無しと謂わんや」と。
-
葉隠・聞書第一主人に諫言(かんげん)をするに色々あるべし。志(こころざし)の諫言は、脇(わき)に知れぬ様にするなり。御気(おんき)にさからわぬ様にして御癖(おんくせ)を直し申すものなり。細川頼之(ほそかわよりゆき)が忠義などなり。昔、御道中にて、御年寄(おとしより)何某(なにがし)承り、「某(それがし)、一命を捨てて申し上ぐべく候。段々御延引(ごえんいん)の上に脇寄(わきよ)りなど遊ばされ候節(せつ)、以ての外(ほか)然(しか)るべからず候。」と、諸人(しょにん)に向かい、「御暇乞(おいとまごい)仕り候。」と詞(ことば)を渡し、行水(ぎょうずい)、白帷子(しろかたびら)下着(したぎ)にて御前(ごぜん)へ罷出(まかりい)でられ、追付(おっつけ)退出、また諸人に向かい、「拙者(せっしゃ)申し上げ候儀、聞召(きこしめ)し分けられ本望至極(ほんもうしごく)、皆様へ一度御目に懸(かか)り候儀、不思議の仕合(しあわ)せ。」など広言(こうげん)申され候。これ皆、主人の非を顕(あらわ)し、我が忠を揚げ、威勢(いせい)を立つる仕事なり。多分、他国者(たこくもの)にこれあるなり。
-
荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
-
葉隠・聞書第一御縁組(ごえんぐみ)の時、何某(なにがし)一分(いちぶん)を申し達し候。この事、若き衆(しゅう)よく心得(こころえ)置くべき事なり。その身(み)気味(きみ)よく思うて、云(い)ふべき事を云うて腹切(はらき)りても本望(ほんもう)と思ふべし。よくよく了簡(りょうけん)候へ、何の益(えき)にも立たぬ事なり。我(われ)かやうの事を云うて腹切りても本望と思ふは、なるほど聞(きこ)えたり。曲者(くせもの)などと思ふは以(もっ)ての外(ほか)なる取違(とりちが)ひなり。まづ申し出でたる事その詮(せん)なく、我が身は引き取り、御養育(ごよういく)も仕(つかまつ)らず、追付(おっつ)け御死去(ごしきょ)なされ候に、御看病(ごかんびょう)も仕らず、残念千万(ざんねんせんばん)なり。気過(きす)ぎなる人は多分(たぶん)誤(あやま)る所なり。総(そう)じてその位(くらい)に至らずして諫言(かんげん)するは却(かえ)つて不忠(ふちゅう)なり。誠(まこと)の者ならば、我が存(ぞん)じ寄りたる事を似合(にあ)ひたる人に潜(ひそ)かに内談(ないだん)して、その人の思ひ寄りにさせて云へば、その事調(ととの)はるなり。これ忠節(ちゅうせつ)なり。もし、内談にてその人請(う)け合はずば、また外(ほか)の人にも内談し、とかく色々心遣(こころづか)ひをして、その事さへ調はるる様にすれば、大忠節(だいちゅうせつ)も知れぬ様にして居るものなり。幾人(いくにん)に内談しても、埒(らち)明かざる時は力に及ばず、その分(ぶん)にて打ち過ぎ、または起こし立て起こし立てすれば、多分叶(かな)ふものなり。我こそ曲者と云はるる名聞(みょうもん)ばかりにて、我が手柄(てがら)にするゆゑ調はざるなり。申し出でたる事益には立たず、人に難(なん)ぜられ、我が身を崩(くず)したる人数多(あまた)これあるなり。畢竟(ひっきょう)真(しん)の志(こころざし)なきゆゑなり。我が身を一向(いっこう)に捨て捨てて、主君の上(うえ)どうなりとも好き様にとさへ思へば、紛(まぎ)るる事はこれなく候なり。
-
葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。