尚書 / 多方
天惟五年須暇之子孫,誕作民主,罔可念聽。天惟求爾多方,大動以威,開厥顧天。惟爾多方,罔堪顧之。惟我周王,靈承于旅,克堪用德,惟典神天。天惟式教我用休,簡畀殷命,尹爾多方。今我曷敢多誥?我惟大降爾四國民命。爾曷不忱裕之于爾多方?爾曷不夾介乂我周王,享天之命?今爾尚宅爾宅,畋爾田,爾曷不惠王熙天之命?爾乃迪屢不靜,爾心未愛;爾乃不大宅天命,爾乃屑播天命;爾乃自作不典,圖忱于正。我惟時其教告之,我惟時其戰要囚之,至于再,至于三。乃有不用我降爾命,我乃其大罰殛之。非我有周秉德不康寧,乃惟爾自速辜。』「王曰:『嗚呼!猷告爾有方多士,暨殷多士:今爾奔走臣我監五祀,越惟有胥伯小大多正,爾罔不克臬。自作不和,爾惟和哉!爾室不睦,爾惟和哉!爾邑克明,爾惟克勤乃事。爾尚不忌于凶德,亦則以穆穆在乃位,克閱于乃邑,謀介爾,乃自時洛邑,尚永力畋爾田;天惟畀矜爾。我有周惟其大介賚爾,迪簡在王庭,尚爾事,有服在大僚。』「王曰:『嗚呼!多士。爾不克勸忱我命,爾亦則惟不克享,凡民惟曰不享。爾乃惟逸惟頗,大遠王命;則惟爾多方探天之威,我則致天之罰,離逖爾土。』「王曰:『我不惟多誥,我惟祗告爾命。』又曰:『時惟爾初,不克敬于和,則無我怨。』」
新字:天惟五年須暇之子孫,誕作民主,罔可念聴。天惟求爾多方,大動以威,開厥顧天。惟爾多方,罔堪顧之。惟我周王,霊承于旅,克堪用徳,惟典神天。天惟式教我用休,簡畀殷命,尹爾多方。今我曷敢多誥?我惟大降爾四国民命。爾曷不忱裕之于爾多方?爾曷不夾介乂我周王,享天之命?今爾尚宅爾宅,畋爾田,爾曷不恵王熙天之命?爾乃迪屡不静,爾心未愛;爾乃不大宅天命,爾乃屑播天命;爾乃自作不典,図忱于正。我惟時其教告之,我惟時其戦要囚之,至于再,至于三。乃有不用我降爾命,我乃其大罰殛之。非我有周秉徳不康寧,乃惟爾自速辜。』「王曰:『嗚呼!猷告爾有方多士,暨殷多士:今爾奔走臣我監五祀,越惟有胥伯小大多正,爾罔不克臬。自作不和,爾惟和哉!爾室不睦,爾惟和哉!爾邑克明,爾惟克勤乃事。爾尚不忌于凶徳,亦則以穆穆在乃位,克閲于乃邑,謀介爾,乃自時洛邑,尚永力畋爾田;天惟畀矜爾。我有周惟其大介賚爾,迪簡在王庭,尚爾事,有服在大僚。』「王曰:『嗚呼!多士。爾不克勧忱我命,爾亦則惟不克享,凡民惟曰不享。爾乃惟逸惟頗,大遠王命;則惟爾多方探天之威,我則致天之罰,離逖爾土。』「王曰:『我不惟多誥,我惟祗告爾命。』又曰:『時惟爾初,不克敬于和,則無我怨。』」
書き下し
天惟れ五年、之の子孫を須暇(ま)ち、誕いに民主と作らしめんとするも、念聴すべき罔し。天惟れ爾多方に求め、大いに動かすに威を以てし、厥の天を顧みるを開かんとす。惟れ爾多方、之を顧みるに堪ふる罔し。惟れ我が周王、旅を霊承し、克く徳を用ふるに堪へ、惟れ神天を典る。天惟れ式て我に教ふるに休を用てし、殷の命を簡び畀へ、爾多方を尹(をさ)めしむ。今我曷ぞ敢へて多く誥げんや。我惟れ大いに爾四国の民の命を降す。爾曷ぞ爾多方に忱裕せざる。爾曷ぞ我が周王を夾介乂して、天の命を享けざる。今爾尚ほ爾の宅に宅し、爾の田を畋(たがや)す。爾曷ぞ王に恵ひて天の命を熙(ひろ)めざる。爾乃ち迪みて屢々静かならず、爾の心未だ愛せず。爾乃ち大いに天命に宅せず、爾乃ち屑かも天命を播(す)つ。爾乃ち自ら不典を作し、正に忱あらんことを図る。我惟れ時に其れ之を教告し、我惟れ時に其れ之を戦ひて要囚し、再に至り、三に至る。乃ち我が爾の命を降すを用ひざる有らば、我乃ち其れ大いに罰して之を殛(ころ)さん。我有周の徳を秉りて康寧ならざるに非ず、乃ち惟れ爾自ら辜を速くなり。』王曰く、『嗚呼(ああ)!猷、爾有方の多士、暨び殷の多士に告ぐ。今爾奔走して我が監に臣たること五祀、越び惟れ胥伯小大の多正有り、爾臬とする克はざる罔し。自ら不和を作す、爾惟れ和せよや。爾の室睦まじからず、爾惟れ和せよや。爾の邑克く明らかなれば、爾惟れ克く乃の事に勤めよ。爾尚はくは凶徳を忌まず、亦則ち穆穆として乃の位に在り、克く乃の邑を閲し、爾を謀介せよ。乃ち時の洛邑よりして、尚はくは永く力めて爾の田を畋せ。天惟れ爾を畀へ矜れまん。我有周惟れ其れ大いに爾に介賚し、迪めて簡びて王庭に在らしめ、尚はくは爾事へて、服有りて大僚に在らん。』王曰く、『嗚呼(ああ)!多士よ。爾克く我が命に勧め忱あらずんば、爾亦則ち惟れ享くる克はず、凡そ民惟れ享せずと曰はん。爾乃ち惟れ逸惟れ頗にして、大いに王命に遠ざからば、則ち惟れ爾多方天の威を探る、我則ち天の罰を致し、爾の土より離逖せしめん。』王曰く、『我惟れ多く誥げず、我惟れ祗みて爾に命を告ぐ。』又曰く、『時れ惟れ爾の初めなり、和に敬する克はずんば、則ち我を怨む無かれ。』」
現代語訳
天は五年の間、殷の子孫が改めるのを待ち、なお民の主とさせようとしたが、思い聴くべきことは何もなかった。天はそこで汝ら多くの方国に民の主を求め、大いに威をもって揺り動かし、天を顧みる者が現れるよう道を開こうとした。しかし汝ら多くの方国には、天の顧みに堪えうる者がいなかった。ただ我が周王だけが、民衆をよく受けとめ、徳を用いることに堪え、神々と天の祭りをつかさどることができた。天はそこで我に幸いをもって教え、殷の命を選んで与え、汝ら多くの方国を治めさせたのである。いま我がどうしてあえて多くを告げようか。我は大いに汝ら四国の民の命を赦した。汝らはどうして汝らの国々でまことをもって寛くしないのか。汝らはどうして我が周王を助け治めて、天命を享けないのか。いま汝らはなお自分の家に住み、自分の田を耕している。汝らはどうして王に従って天命を広めないのか。汝らはしばしば騒ぎを起こして落ち着かず、心はまだ周を慕っていない。汝らは大いに天命に安んじず、軽々しく天命を捨て去ろうとしている。汝らは自ら法に外れたことを行いながら、正しい者に信じられようと図っている。我はそこで汝らに教え告げ、また戦って捕らえ、二度にも三度にも及んだ。それでもなお我が汝らの命を赦したことに従わない者がいれば、我は大いに罰して殺すであろう。これは我が周が徳を守りながら安寧を好まないからではない。汝ら自身が罪を招き寄せるのである。』王は言った。『ああ、汝ら方国の多くの士と殷の多くの士に告げる。いま汝らが奔走して我が監(周が置いた監督官)に仕えて五年になる。胥伯(小さな官長)や大小の多くの官長がいるが、汝らは法を守らない者はない。自ら不和を起こしているならば、汝らは和合せよ。家の中が睦まじくなければ、汝らは和合せよ。汝らの邑がよく明らかに治まっていれば、汝らは自分の仕事に勤めよ。どうか凶悪な行いに近づくことなく、穏やかにその位にあって、汝らの邑をよく見て回り、互いにはかりごとを助けあえ。そうしてこの洛邑から、長く力を尽くして汝らの田を耕せ。そうすれば天は汝らに与え、憐れむであろう。我が周も大いに汝らを助け与え、選んで王の朝廷に進ませ、汝らの仕事ぶり次第で、職を得て大官に列することもできよう。』王は言った。『ああ、多くの士よ。汝らが我が命に励みまことを尽くすことができなければ、汝らもまた福を享けることはできず、民はみな上を敬っていないと言うであろう。汝らが安逸にふけり邪にかたより、大いに王命から遠ざかるならば、それは汝ら多くの方国が天の威を試すことになる。我は天の罰を下し、汝らを土地から遠く離れさせるであろう。』王は言った。『我は多くを告げるのではない。我はただ謹んで汝らに命を告げるのである。』またこうも言った。『今こそ汝らの新しい始まりである。和合に努めることができなければ、我を恨むな。』」
解説
関連する章句
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尚書・多方惟れ五月丁亥、王奄より来たり、宗周に至る。周公曰く、「王若(かく)のごとく曰く、『猷(ああ)、爾四国の多方、惟れ爾殷の侯尹民に告ぐ。我惟れ大いに爾の命を降す、爾知らざる罔し。洪いに惟れ天の命を図り、永く祀を寅念せず。惟れ帝格を夏に降すに、有夏誕いに厥の逸をなし、民に慼言するを肯ぜず。乃ち大いに淫昏し、終日帝の迪に勧む克はず、乃ち爾の聞く攸なり。厥れ帝の命を図り、民の麗るところを開く克はず、乃ち大いに罰を降し、有夏を崇乱す。因りて内乱に甲(はじ)まる。旅を霊承する克はず、丕いに惟れ進むるの恭罔く、洪いに民を舒(そこな)ふ。亦惟れ有夏の民、叨懫日に欽(さか)んにして、夏邑を劓割す。天惟れ時に民主を求め、乃ち大いに顕休の命を成湯に降し、有夏を刑殄せしむ。惟れ天の純を畀へざるは、乃ち惟れ爾多方の義民を以て、永く多享する克はざればなり。惟れ夏の恭する多士、大いに明らかに享を民に保つ克はず、乃ち胥惟れ民を虐す。百為に至るまで、大いに開く克はず。乃ち惟れ成湯、克く爾多方を以て簡ばれて夏に代はりて民主と作る。厥の麗を慎み、乃ち勧む。厥の民刑せらるるも、用て勧む。以て帝乙に至るまで、徳を明らかにし罰を慎まざる罔く、亦克く用て勧む。囚を要し、多罪を殄戮するも、亦克く用て勧む。無辜を開釈するも、亦克く用て勧む。今爾の辟に至りて、爾多方を以て天の命を享くる克はず。』嗚呼(ああ)!王若のごとく曰く、『爾多方に誥告す。天の庸て有夏を釈つるに非ず、天の庸て有殷を釈つるに非ず。乃ち惟れ爾の辟、爾多方を以て大いに淫して天の命を図り、屑(いささ)かも辞有り。乃ち惟れ有夏、厥の政を図り、享に集まらず。天時の喪を降し、有邦之に間(かは)る。乃ち惟れ爾商の後王、厥の逸を逸とし、厥の政を図り、蠲烝ならず、天惟れ時の喪を降す。
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尚書・多士惟れ三月、周公初めて新邑の洛に于(お)いて、用て商王の士に告ぐ。王若(かく)のごとく曰く、「爾殷の遺れる多士よ。弔(あは)れまれず、旻天大いに喪を殷に降す。我有周は命を佑け、天の明威を将ひ、王の罰を致し、殷の命を勑(ただ)して帝に終へしむ。肆(ゆゑ)に爾多士よ、我が小国の敢へて殷の命を弋(と)るに非ず。惟れ天畀(あた)へず、允(まこと)に乱を固くする罔からしめ、我を弼く。我其れ敢へて位を求めんや。惟れ帝畀へず、惟れ我が下民の秉り為すところは、惟れ天の明畏なり。我聞く、曰く、上帝は逸を引く、と。有夏は逸に適はず、則ち惟れ帝格を降し、時の夏に嚮ふ。帝を庸(もち)ふる克はず、大いに淫泆し、辞有り。惟れ時に天念聞する罔く、厥れ惟れ元命を廃し、罰を降致す。乃ち爾の先祖成湯に命じて夏を革め、俊民をして四方を甸(をさ)めしむ。成湯より帝乙に至るまで、徳を明らかにし祀を卹(うれ)へざる罔し。亦惟れ天丕いに建て、有殷を保乂す。殷王も亦敢へて帝を失ふ罔く、天に配して其の沢あらざる罔し。今の後嗣の王に在りては、誕いに天に顕らかなる罔し。矧(いは)んや曰く其れ先王の家に勤めしを聴念する有らんや。誕いに厥の泆に淫し、天の顕らかなると民の祗(つつし)むとを顧みる罔し。惟れ時に上帝保たず、茲の若き大喪を降す。惟れ天は其の徳を明らかにせざるに畀へず。凡そ四方の小大の邦の喪ぶるは、罰に辞有らざる罔し。」王若のごとく曰く、「爾殷の多士よ。今惟れ我が周王は丕いに霊しく帝の事を承け、命有りて曰く『殷を割(た)て』と、帝に告勑す。惟れ我が事は貳適せず、惟れ爾の王家は我に適す。予其れ曰く、『惟れ爾洪いに度無し。我は爾を動かさず、乃の邑よりす』と。予も亦念ふ、天は殷に即いて大いに戾(つみ)し、肆に正さず。」王曰く、「猷(ああ)、爾多士に告ぐ。予惟れ時れ其れ爾を西に遷居せしむ。我一人の徳を奉じて康寧ならざるに非ず、時れ惟れ天命なり、違ふ無かれ。朕敢へて後(おく)るること有らず、我を怨む無かれ。惟れ爾知る、
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尚書・多士殷の夏の命を革めしを。今爾又曰く、『夏は迪(すす)み簡ばれて王庭に在り、服有りて百僚に在り』と。予一人は惟れ徳を聴用す、肆に予敢へて爾を天邑商に求む。予惟れ率ゐて肆に爾を矜(あは)れむ。予の罪に非ず、時れ惟れ天命なり。」王曰く、「多士よ。昔朕、奄より来たり、予大いに爾四国の民の命を降す。我乃ち明らかに天罰を致し、爾を遐逖に移し、事を比(した)しみて我が宗に臣たらしむ、遜ること多かれ。」王曰く、「爾殷の多士に告ぐ。今予惟れ爾を殺さず、予惟れ時の命を申ぬる有り。今朕大邑を茲の洛に作る、予惟れ四方の賓する攸罔きを以てなり。亦惟れ爾多士の服する攸、奔走して我に臣たり、遜ること多かれ。爾乃ち尚ほ爾の土有らん、爾乃ち尚ほ寧く幹止せん。爾克く敬すれば、天惟れ爾を畀へ矜れまん。爾敬する克はずんば、爾啻に爾の土を有たざるのみならず、予も亦天の罰を爾の躬に致さん。今爾惟れ時に爾の邑に宅し、爾の居を継ぎ、爾厥れ茲の洛に幹有り年有らば、爾の小子乃ち興り、爾の遷るに従はん。」王曰く、「又曰く、時れ予乃ち或いは誨言す、爾の居る攸なり。」
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尚書・大誥王若(かく)のごとく曰く、「猷(ああ)、大いに爾多邦と越(およ)び爾御事に誥ぐ。弔(あはれ)まれず、天割(わざはひ)を我が家に降し、少しも延(ゆる)めず。洪(おほ)いに惟れ我が幼沖人、無疆の大歴服を嗣ぐ。哲を造(な)して、民を康きに迪(みちび)かず、矧んや曰く其れ能く天命を格知すること有らんや。已(や)んぬるかな、予惟れ小子、淵水を渉るが若し、予惟れ往きて朕が済る攸を求む。賁(おほい)なるを敷き、前人の受けし命を敷き、茲に大功を忘れず、予敢て天の降せる威を閉ぢず。寧王の我に遺せる大宝亀を用て、天明を紹(つ)ぎ、即ち命じて曰く、『大いなる艱西土に有り、西土の人も亦静かならず、越に茲の蠢たる殷の小腆、誕(おほ)いに敢て其の敘を紀(をさ)めんとす。天威を降し、我が国に疵有りて、民康からざるを知る。曰く、予復せんと。反りて我が周邦を鄙しむ。今蠢き今翼日、民の献(けん)十夫有り、予翼(たす)けて以て于(ゆ)きて寧武の図功を敉(しづ)めん。我大事有り、休ならんか、朕が卜并びに吉なるか』と。肆(ゆゑ)に予我が友邦の君と越に尹氏・庶士・御事に告げて曰く、『予吉卜を得たり、予惟れ爾庶邦を以て于きて殷の逋播の臣を伐たん』と。爾庶邦の君と越に庶士・御事、反りて曰はざる罔し、『艱大にして、民静かならず、亦惟れ王宮・邦君の室に在り、越に予小子考(おも)ふに、翼(つつし)みて征すべからず、王害(なん)ぞ卜に違はざる』と。肆に予沖人永く艱を思ふ。曰く、嗚呼(ああ)、允に蠢かば鰥寡、哀しいかな。予天の役を造(な)し、大いなるを遺し艱を朕が身に投ず、越に予沖人、卬(われ)自ら恤(うれ)へず。義として爾邦君と越に爾多士・尹氏・御事、予を綏んじて曰ふべし、『恤に毖(つか)るること無かれ、乃の寧考の図功を成さざるべからず』と。已んぬるかな、予惟れ小子、敢て上帝の命を替(す)てず。天寧王に休(よみ)し、我が小邦周を興す。寧王惟れ卜を用ひ、克く綏んじて茲の命を受く。今天其れ民を相く、矧んや亦惟れ卜を用ふるをや。嗚呼(ああ)、天明畏、我が丕丕なる基を弼(たす)けよ。」王曰く、「爾惟れ旧人、爾丕いに克く遠く省み、爾寧王の勤むること若(かく)のごときを知る。天閟(とざ)し毖(つつし)みて我が成功の所を労す、予敢て寧王の図事を極め卒へざらんや。
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尚書・君奭周公若(かく)のごとく曰く、「君奭よ。弔(あは)れまれず、天喪を殷に降す。殷既に厥の命を墜し、我有周既に受く。我敢へて知りて厥の基永く休に孚あらんとは曰はず。若し天忱(まこと)を棐(たす)くとも、我亦敢へて知りて其の終に不祥に出でんとは曰はず。嗚呼(ああ)!君已に曰く時(こ)れ我なりと。我亦敢へて上帝の命に寧んぜず、永遠に天威と我が民とを念はざるなし。尤違罔きは惟れ人に在り。我が後嗣の子孫、大いに上下に恭する克はず、前人の光を家に遏佚し、天命の易からず、天の諶とし難きを知らずんば、乃ち其れ命を墜し、前人の恭明の徳を経歴し嗣ぐ克はざらん。今予小子旦に在りては、克く正すこと有るに非ず、迪(みち)びくは惟れ前人の光にして、我が沖子に施す。」又曰く、「天は信ずべからず。我が道は惟れ寧王の徳にして、天の文王の受けし命を庸ひて釈(す)てざるを延ばさん。」公曰く、「君奭よ。我聞く、在昔、成湯既に命を受くるや、時れ則ち伊尹の若き有り、皇天に格る。太甲に在りては、時れ則ち保衡の若き有り。太戊に在りては、時れ則ち伊陟・臣扈の若き有り、上帝に格る。巫咸王家を乂む。祖乙に在りては、時れ則ち巫賢の若き有り。武丁に在りては、時れ則ち甘盤の若き有り。率ね惟れ茲に陳ぶる有りて、有殷を保乂す。故に殷の礼は陟りて天に配し、多く年所を歴たり。天惟れ純ら命を佑け、則ち商は実に百姓・王人、徳を秉り恤を明らかにせざる罔し。小臣・屏侯甸、矧んや咸く奔走す。惟れ茲れ惟れ徳もて称げられ、用て厥の辟を乂む。故に一人四方に事有るや、卜筮の若く、是れ孚とせざる罔し。」公曰く、「君奭よ。天は平格を寿へしめ、有殷を保乂す。有殷の嗣、天威もて滅ぶ。今汝永く念はば、則ち固き命有り、厥れ乱めて我が新造の邦を明らかにせん。」公曰く、「君奭よ。在昔、上帝割(すなは)ち寧王の徳を申勧し、其れ大命を厥の躬に集む。惟れ文王尚ほ克く我が有夏を修和せしは、亦惟れ虢叔の若き有り、閎夭の若き有り、散宜生の若き有り、泰顛の若き有り、南宮括の若き有ればなり。
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尚書・武成惟れ一月壬辰、旁死魄、越(ここ)に翼日癸巳、王朝に周より歩み、于(ゆ)きて商を征伐す。厥の四月哉生明、王商より来り豊に至る。乃ち武を偃(ふ)せて文を修む。馬を華山の陽に帰し、牛を桃林の野に放ち、天下に服せざるを示す。丁未、周廟に祀る、邦甸・侯・衛、駿(すみや)かに奔走し、豆籩を執る。越に三日庚戌、柴望して大いに武の成るを告ぐ。既生魄、庶邦の冢君、百工と暨に、命を周に受く。王若(かく)のごとく曰く、「嗚呼(ああ)、群后よ、惟れ先王邦を建て土を啓く。公劉克く前烈を篤くし、大王に至りて、肇めて王跡を基し、王季其れ王家に勤む。我が文考文王、克く厥の勛を成し、誕いに天命を膺(う)け、以て方夏を撫す。大邦は其の力を畏れ、小邦は其の徳を懐く。惟れ九年、大統未だ集(な)らず。予小子其れ厥の志を承く。商の罪を厎(いた)し、皇天后土、過ぐる所の名山大川に告げて、曰く、『惟れ有道の曾孫周王発、将に大いに商を正すこと有らんとす』と。今商王受無道にして、天物を暴殄し、烝民を害虐し、天下逋逃の主と為り、淵藪に萃(あつ)まる。予小子既に仁人を獲たり、敢て祇みて上帝を承け、以て乱略を遏(とど)めん。華夏蛮貊、率ひ俾(したが)はざる罔く、天の成命を恭しむ。肆に予東征して、厥の士女を綏んず。惟れ其の士女、厥の玄黄を篚(ひ)にして、我が周王を昭らかにす。天休震動し、用て我が大邑周に附く。惟れ爾神有り、尚はくは克く予を相け、以て兆民を済ひ、神の羞を作すこと無かれ。」既に戊午、師孟津を逾え、癸亥、商の郊に陳し、天の休命を俟つ。甲子昧爽、受其の旅を率ゐること林の若く、牧野に会す。我が師に敵する有る罔く、前徒戈を倒にし、後を攻めて以て北(に)ぐ、血流れて杵を漂はす。一たび戎衣して、天下大いに定まる。乃ち商の政を反し、政旧に由る。箕子の囚を釈き、比干の墓に封し、商容の閭に式す。鹿台の財を散じ、鉅橋の粟を発す。大いに四海に賚(たま)ひて、万姓悦服す。爵を列ぬること惟れ五、土を分かつこと惟れ三。官を建つること惟れ賢、事に位すること惟れ能。民の五教を重んじ、惟れ食・喪・祭。信を惇くし義を明らかにし、徳を崇び功に報い、垂拱して天下治まる。
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