尚書 / 多方
惟聖罔念作狂,惟狂克念作聖
書き下し
惟れ聖も念う罔ければ狂と作り、惟れ狂も克く念えば聖と作る。
現代語訳
聖人であっても正しく思うことを失えば愚か者となり、愚か者であってもよく思いを正せば聖人となる。
解説
人の賢さや愚かさは生まれつき固定されたものではなく、日々どれだけ思いを正しく保てるかにかかっている、と説く一句である。優れた人だと評判の人でも、慢心し考えることを怠れば判断を誤り、逆に失敗続きだった人でも、思いを立て直し続ければ見違えるように変わっていく。誰かを一度の評価で決めつけたり、自分を一度の失敗で見限ったりする必要はない。人は常に、今この瞬間の心の持ちようによって作り直されていく存在である。
この章句が説くこと
可変性心構え成長
関連する章句
-
老子・第50章生に出でて死に入る。生の徒は十に三有り、死の徒は十に三有り、人の生きて之を死地に動かすも亦た十に三有り。夫れ何の故ぞ。其の生を生とすることの厚きを以てなり。蓋し聞く、善く生を摂する者は、陸行して兕虎に遇わず、軍に入りて甲兵を被らず。兕は其の角を投ずる所無く、虎は其の爪を措く所無く、兵は其の刃を容るる所無し。夫れ何の故ぞ。其の死地無きを以てなり。
-
論語・子罕篇子曰く、苗にして秀でざる者有るかな。秀でて実らざる者有るかな。
-
論語・為政篇子曰く、吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順(したが)い、七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず。
-
説苑・善說趙簡子成摶に問いて曰く、「吾聞く夫の羊殖なる者は賢大夫なりと、是の行い奚如。」對えて曰く、「臣摶知らざるなり。」簡子曰く、「吾之を聞くに子友として親しむと。子にして知らざるは何ぞや。」摶曰く、「其の人と爲りや數々變ず。其の十五なるや、廉にして以て其の過ちを匿さず。其の二十なるや、仁にして以て義を喜ぶ。其の三十なるや、晉の中軍尉と爲り、勇にして以て仁を喜ぶ。其の年五十なるや、邊城の將と爲り、遠き者復た親しむ。今臣見ざること五年なり。其の變ぜんことを恐る、是を以て敢えて知らざるなり。」簡子曰く、「果たして賢大夫なり、變ずる每に上を益す。」
-
葉隠・聞書第十一人のたけは、九分十分(くぶじゅうぶ)と申し候えども、何段(なんだん)ほどこれあるものに候や、無量(むりょう)のものなり。これ迄(まで)と思い一つ所に滞(とどこお)り自慢などする事、なかなか卑(いや)しき位(くらい)なり。歌に、いずくにも心とまらば住みかえよ ながらえば又もとの古里(ふるさと)、かくの如くに、又住みかえ住みかえせずしては、人並にもなるまじく候。我がたけ少し上り候時ならでは、無量事(むりょうごと)は存ぜぬものなりと。
-
論語・為政篇子曰く、「故きを温めて新しきを知らば、以て師と為るべし。」