尚書 / 多方
惟聖罔念作狂,惟狂克念作聖
書き下し
惟れ聖も念う罔ければ狂と作り、惟れ狂も克く念えば聖と作る。
現代語訳
聖人であっても正しく思うことを失えば愚か者となり、愚か者であってもよく思いを正せば聖人となる。
解説
人の賢さや愚かさは生まれつき固定されたものではなく、日々どれだけ思いを正しく保てるかにかかっている、と説く一句である。優れた人だと評判の人でも、慢心し考えることを怠れば判断を誤り、逆に失敗続きだった人でも、思いを立て直し続ければ見違えるように変わっていく。誰かを一度の評価で決めつけたり、自分を一度の失敗で見限ったりする必要はない。人は常に、今この瞬間の心の持ちようによって作り直されていく存在である。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
可変性心構え成長
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