慎思録 / 巻之一
平心和氣。是養身養德之工夫。養氣而無暴之工夫。在溫恭和順從容不迫。而不動聲色。養氣如此。可以不失其樂。温恭之二字。經傳多言之。是爲善之初。苟不如是。則不能爲善。接人之道。當如是。
新字:平心和気。是養身養徳之工夫。養気而無暴之工夫。在温恭和順従容不迫。而不動声色。養気如此。可以不失其楽。温恭之二字。経伝多言之。是為善之初。苟不如是。則不能為善。接人之道。当如是。
書き下し
心を平らかにし気を和らぐるは、是れ身を養ひ徳を養ふの工夫なり。気を養ひて暴ふこと無きの工夫は、温恭和順、従容として迫らず、声色を動かさざるに在り。気を養ふこと此くの如くなれば、以て其の楽しみを失はざるべし。温恭の二字、経伝多く之を言ふ。是れ善を為すの初めなり。苟も是くの如くならざれば、則ち善を為すこと能はず。人に接するの道、当に是くの如くなるべし。
現代語訳
心を平らかにし気を和らげることは、身体を養い徳を養う工夫です。気を養って乱暴にしない工夫は、温かく慎み深く、和やかで素直で、ゆったりとして急がず、声や顔色を荒立てないことにあります。このように気を養えば、その楽しみを失わずにいられます。温恭の二字は経書や注釈がしばしば語るところで、善を行うことの初めです。こうでなければ善を行うことはできません。人と接する道はこうあるべきです。
解説
前条の養気論を短い言葉で三つに言い直した条です。心を平らかにすることが身体の養生と徳の修養を兼ねるという考えは、のちに『養生訓』を著す益軒ならではのものです。「声色を動かさず」は、感情を声や顔に出さないという意味で、怒りを我慢するのではなく、そもそも荒立たない心身の状態を目指しています。温恭を善の入口とするのは本巻に繰り返し現れる主題です。忙しい日々に、穏やかに話すこと自体が自分と相手の両方を守る工夫になると気づかされます。
この章句が説くこと
和気温恭養生心
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