尚書 / 太甲中
惟三祀十有二月朔,伊尹以冕服奉嗣王歸于亳,作書曰:「民非后,罔克胥匡以生;后非民,罔以辟四方。皇天眷佑有商,俾嗣王克終厥德,實萬世無疆之休。」王拜手稽首曰:「予小子不明于德,自厎不類。
新字:惟三祀十有二月朔,伊尹以冕服奉嗣王帰于亳,作書曰:「民非后,罔克胥匡以生;后非民,罔以辟四方。皇天眷佑有商,俾嗣王克終厥徳,実万世無疆之休。」王拝手稽首曰:「予小子不明于徳,自厎不類。
書き下し
惟れ三祀十有二月朔、伊尹冕服(べんぷく)を以て嗣王を奉じて亳に帰る。書を作りて曰く、「民后に非ずんば、克く胥(あひ)匡(ただ)して以て生くる罔(な)し。后民に非ずんば、以て四方に辟(きみ)たる罔し。皇天有商を眷佑(けんいう)し、嗣王をして克く厥(そ)の徳を終へしむ。実に万世無疆の休(よろこび)なり」と。王拝手稽首して曰く、「予小子徳に明らかならず、自ら不類を厎(いた)す。
現代語訳
(太甲の)三年十二月の一日、伊尹は冠と礼服を整えて嗣王(太甲)を迎え、亳に帰った。伊尹は書を作って言った。「民は君主がいなければ、互いに正し合って生きていくことができない。君主は民がいなければ、四方の君主となることができない。大いなる天は商(殷)を顧みて助け、嗣王にその徳を全うさせた。これはまことに万世にわたる限りない喜びである。」王は手を拝して額を地につけて言った。「私は徳に明るくなく、自ら不善を招いた。
解説
太甲中は、桐で三年を過ごして改心した太甲を、伊尹が礼服を整えて迎え、都の亳に帰す場面から始まる。伊尹は「民后に非ずんば胥匡して以て生くる罔く、后民に非ずんば以て四方に辟たる罔し」と述べ、君主と民は互いを必要とし合う関係だと改めて説く。そして天が太甲に徳を全うさせたことを喜ぶ。これに対し太甲は拝礼し、自分が徳に暗く不善を招いたことを率直に認める。過ちを犯した者が改心して戻るとき、迎える側が礼を尽くし、戻る側が自らの非を認めることで、信頼の関係が結び直される。その両方がそろったとき、人と組織はやり直すことができる。本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
関連する章句
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尚書・太甲中既往には師保の訓に背き、厥(そ)の初めに克(よ)くせず。尚(こひねが)はくは匡救(きやうきう)の徳に頼り、厥の終はりを図り惟(おも)はん」と。伊尹拝手稽首して曰く、「厥の身を修め、允徳(いんとく)下に協(かな)ふは、惟れ明后なり。先王困窮を子恵(しけい)し、民厥の命に服して、悦ばざる有る罔(な)し。並びに其の有邦の厥の鄰も、乃ち曰く、『我が后を徯(ま)つ、后来たらば罰無からん』と。王乃(なんぢ)の徳を懋(つと)め、乃の厥の祖を視て、時(こ)れ豫怠(よたい)すること無かれ。
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尚書・太甲上惟れ嗣王阿衡(あかう)に恵(したが)はず。伊尹書を作りて曰く、「先王天の明命を顧諟(こし)し、以て上下の神祇に承(つか)ふ。社稷宗廟、祗粛(ししゆく)ならざる罔し。天厥(そ)の徳を監(み)て、用(も)て大命を集め、万方を撫綏(ぶすい)せしむ。惟れ尹躬(みづか)ら克く厥の辟(きみ)を左右し、師に宅(を)らしむ。肆(ゆゑ)に嗣王丕(おほ)いに基緒を承く。惟れ尹躬ら先づ西邑の夏を見るに、周(まこと)有りて終はり有り、相(しやう)も亦惟れ終はり有り。其の後の嗣王克く終はり有る罔く、相も亦終はり罔し。嗣王戒めよや。爾(なんぢ)の厥の辟たるを祗(つつし)め。辟にして辟たらずんば、厥の祖を忝(はづかし)めん」と。王惟れ庸(つね)にして念ひ聞く罔し。伊尹乃ち言ひて曰く、「先王昧爽(まいさう)に丕(おほ)いに顕らかにし、坐して以て旦(あした)を待つ。旁(あまね)く俊彦(しゆんげん)を求め、後人を啓迪(けいてき)す。厥の命を越えて以て自ら覆ること無かれ。
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史記 殷本紀帝太甲既に立つこと三年、明ならず、暴虐にして、湯法に遵はず、徳を乱す、是に於て伊尹之を桐宮に放つ。帝太甲桐宮に居ること三年、過を悔い自ら責め、善に反る、是に於て伊尹乃ち帝太甲を迎へて之に政を授く。帝太甲徳を修め、諸侯咸殷に帰し、百姓以て寧し。
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尚書・太甲下伊尹申(かさ)ねて王に誥(つ)げて曰く、「嗚呼(ああ)、
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尚書・太甲中朕王の休を承けて斁(いと)ふ無からん」と。
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尚書・太甲上予順はざるに狎(な)れず、桐宮を営み、先王の其の訓に密邇(みつじ)して、世をして迷はしむること無からん」と。王桐宮に徂(ゆ)きて憂に居り、克く允徳(いんとく)を終ふ。
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