尚書 / 太甲上
予弗狎于弗順,營于桐宮,密邇先王其訓,無俾世迷。王徂桐宮居憂,克終允德。」
新字:予弗狎于弗順,営于桐宮,密邇先王其訓,無俾世迷。王徂桐宮居憂,克終允徳。」
書き下し
予順はざるに狎(な)れず、桐宮を営み、先王の其の訓に密邇(みつじ)して、世をして迷はしむること無からん」と。王桐宮に徂(ゆ)きて憂に居り、克く允徳(いんとく)を終ふ。
現代語訳
私は、道に従わない者に馴れ親しむことはしない。桐の地に宮殿を造り、(王を)先王(湯)の墓の近くに置いてその教えに親しませ、一生迷わせないようにしよう。」王は桐の宮殿に移って喪に服し、ついにまことの徳を身につけることができた。
解説
伊尹がついに太甲を桐の宮殿に移す決断を語り、太甲が改心するまでを記す部分である。直前で伊尹は、太甲の不義は習慣が性質となったものだと述べていた。そこで、道に背く者に馴れ合わないと宣言し、湯の墓所に近い桐に宮殿を造って王を住まわせ、祖父の教えに身近に触れさせて迷いを断とうとした。太甲は桐で喪に服すうちに、ついにまことの徳を身につけた。臣下が君主を退けるという異例の措置は、後世「伊尹の志あれば可なり」と論じられ、私心なく国を思う場合に限り許されるとされた。人を立ち直らせるには、叱責よりも、本来の手本に身近に触れる場を用意することが力になる。本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
関連する章句
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尚書・太甲中既往には師保の訓に背き、厥(そ)の初めに克(よ)くせず。尚(こひねが)はくは匡救(きやうきう)の徳に頼り、厥の終はりを図り惟(おも)はん」と。伊尹拝手稽首して曰く、「厥の身を修め、允徳(いんとく)下に協(かな)ふは、惟れ明后なり。先王困窮を子恵(しけい)し、民厥の命に服して、悦ばざる有る罔(な)し。並びに其の有邦の厥の鄰も、乃ち曰く、『我が后を徯(ま)つ、后来たらば罰無からん』と。王乃(なんぢ)の徳を懋(つと)め、乃の厥の祖を視て、時(こ)れ豫怠(よたい)すること無かれ。
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尚書・太甲上惟れ嗣王阿衡(あかう)に恵(したが)はず。伊尹書を作りて曰く、「先王天の明命を顧諟(こし)し、以て上下の神祇に承(つか)ふ。社稷宗廟、祗粛(ししゆく)ならざる罔し。天厥(そ)の徳を監(み)て、用(も)て大命を集め、万方を撫綏(ぶすい)せしむ。惟れ尹躬(みづか)ら克く厥の辟(きみ)を左右し、師に宅(を)らしむ。肆(ゆゑ)に嗣王丕(おほ)いに基緒を承く。惟れ尹躬ら先づ西邑の夏を見るに、周(まこと)有りて終はり有り、相(しやう)も亦惟れ終はり有り。其の後の嗣王克く終はり有る罔く、相も亦終はり罔し。嗣王戒めよや。爾(なんぢ)の厥の辟たるを祗(つつし)め。辟にして辟たらずんば、厥の祖を忝(はづかし)めん」と。王惟れ庸(つね)にして念ひ聞く罔し。伊尹乃ち言ひて曰く、「先王昧爽(まいさう)に丕(おほ)いに顕らかにし、坐して以て旦(あした)を待つ。旁(あまね)く俊彦(しゆんげん)を求め、後人を啓迪(けいてき)す。厥の命を越えて以て自ら覆ること無かれ。
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尚書・太甲上厥の止まるところを欽み、乃の祖の行ふ攸(ところ)に率(したが)はば、惟れ朕以て懌(よろこ)び、万世辞有らん」と。王未だ変ずること克はず。伊尹曰く、
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史記 殷本紀帝太甲既に立つこと三年、明ならず、暴虐にして、湯法に遵はず、徳を乱す、是に於て伊尹之を桐宮に放つ。帝太甲桐宮に居ること三年、過を悔い自ら責め、善に反る、是に於て伊尹乃ち帝太甲を迎へて之に政を授く。帝太甲徳を修め、諸侯咸殷に帰し、百姓以て寧し。
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尚書・太甲中朕王の休を承けて斁(いと)ふ無からん」と。
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尚書・太甲下一人元(おほ)いに良ければ、万邦以て貞(ただ)し。君は弁言を以て旧政を乱すこと罔(な)かれ。臣は寵利を以て成功に居ること罔かれ。邦其れ永く休(よ)きに孚(まこと)あらん」と。
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