人物志 / 釋爭
若彼賢而處我前,則我德之未至也。
新字:若彼賢而処我前,則我徳之未至也。
書き下し
若し彼賢にして我が前に処らば、則ち我が徳の未だ至らざるなり。
現代語訳
もし相手が自分より賢く、自分より先んじた地位にあるならば、それは自分の徳がまだそこに至っていないからである。
解説
誰かに先を越されたとき、それを不公平や運のせいにするのではなく、自分の徳がまだそこに及んでいないからだと受け止め直す姿勢を劉劭は示す。昇進や評価で他人に先を越されると、つい環境や周囲の判断のせいにしたくなるが、その反応は自分を成長から遠ざけてしまう。相手を妬む代わりに自分の至らなさに目を向け直すことは、屈辱を認めるようでいて、実は次に進むための足場を自分の手元に取り戻す作業でもある。
この章句が説くこと
自省先を越される成長の姿勢
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