尚書 / 伊訓
嗚呼!先王肇修人紀,從諫弗咈,先民時若;
新字:嗚呼!先王肇修人紀,従諫弗咈,先民時若;
書き下し
嗚呼(ああ)、先王肇(はじ)めて人紀を修め、諫に従ひて咈(もと)らず、先民に時(こ)れ若(したが)ふ。
現代語訳
ああ、先王(湯)ははじめて人の世の綱紀を整え、諫めの言葉に従って逆らわず、昔の賢人の道に従った。
解説
伊尹が太甲に、祖父である湯の徳を具体的に語る一節である。湯ははじめて人倫の秩序を整え、臣下の諫めには逆らわずに従い、昔の賢人の教えに従ったという。このあと「上に居ては克く明らかに、下と為りては克く忠、人に備はるを求めず、身を検すること及ばざるが若し」と続き、湯の人柄がさらに描かれる。ここで伊尹が真っ先に挙げたのが「諫に従ひて咈らず」であることは注目に値する。君主にとって最も難しく、最も大切なのは、耳の痛い意見を受け入れることだと考えたからである。上に立つほど周りは本音を言わなくなる。反対意見を歓迎し、先人の知恵に謙虚に学ぶ姿勢が、組織の判断を誤らせない。本篇は東晋期に伝わった古文尚書に属し、後世の編纂とみる説が有力である。
関連する章句
-
尚書・伊訓惟れ元祀(げんし)十有二月乙丑、伊尹先王に祠(まつ)り、嗣王を奉じて祗(つつし)みて厥(そ)の祖に見(まみ)えしむ。侯甸(こうでん)の群后咸(みな)在り、百官己を総べて以て冢宰(ちようさい)に聴く。伊尹乃ち明らかに烈祖の成徳を言ひ、以て王を訓(をし)へて曰く、「嗚呼(ああ)、古(いにしへ)の有夏の先后、方(まさ)に厥の徳を懋(つと)め、天災有る罔(な)し。山川鬼神も亦寧(やす)からざる莫(な)く、鳥獣魚鼈(ぎよべつ)に暨(およ)ぶまで咸若(したが)ふ。其の子孫に于(お)いて率(したが)はず、皇天災を降し、手を我が命有るものに仮る。攻を造(はじ)むるは鳴条よりし、朕が哉(はじ)めは亳よりす。惟れ我が商王、聖武を布昭し、虐に代ふるに寛を以てし、兆民允(まこと)に懐く。今王厥の徳を嗣ぐは、初めに在らざる罔し。
-
尚書・伊訓臣下匡(ただ)さずんば、其の刑は墨、具(つぶさ)に蒙士に訓(をし)ふ。嗚呼(ああ)、嗣王厥(そ)の身を祗(つつし)み、念へや。聖謨洋洋として、嘉言孔(はなは)だ彰(あき)らかなり。惟れ上帝は常ならず、
-
尚書・伊訓以て万邦を有(たも)つに至る、茲(こ)れ惟れ艱(かた)いかな。敷(あまね)く哲人を求めて、爾(なんぢ)の後嗣を輔けしむ。官刑を制して、有位を儆(いまし)む。曰く、『敢へて恒に宮に舞ひ、室に酣歌(かんか)する有らば、時(こ)れを巫風と謂ふ。敢へて貨色に殉(したが)ひ、游畋(いうでん)に恒にする有らば、時れを淫風と謂ふ。敢へて聖言を侮り、忠直に逆らひ、耆徳(きとく)を遠ざけ、頑童に比(した)しむ有らば、時れを乱風と謂ふ』と。
-
尚書・太甲上惟れ嗣王阿衡(あかう)に恵(したが)はず。伊尹書を作りて曰く、「先王天の明命を顧諟(こし)し、以て上下の神祇に承(つか)ふ。社稷宗廟、祗粛(ししゆく)ならざる罔し。天厥(そ)の徳を監(み)て、用(も)て大命を集め、万方を撫綏(ぶすい)せしむ。惟れ尹躬(みづか)ら克く厥の辟(きみ)を左右し、師に宅(を)らしむ。肆(ゆゑ)に嗣王丕(おほ)いに基緒を承く。惟れ尹躬ら先づ西邑の夏を見るに、周(まこと)有りて終はり有り、相(しやう)も亦惟れ終はり有り。其の後の嗣王克く終はり有る罔く、相も亦終はり罔し。嗣王戒めよや。爾(なんぢ)の厥の辟たるを祗(つつし)め。辟にして辟たらずんば、厥の祖を忝(はづかし)めん」と。王惟れ庸(つね)にして念ひ聞く罔し。伊尹乃ち言ひて曰く、「先王昧爽(まいさう)に丕(おほ)いに顕らかにし、坐して以て旦(あした)を待つ。旁(あまね)く俊彦(しゆんげん)を求め、後人を啓迪(けいてき)す。厥の命を越えて以て自ら覆ること無かれ。
-
尚書・太甲上厥の止まるところを欽み、乃の祖の行ふ攸(ところ)に率(したが)はば、惟れ朕以て懌(よろこ)び、万世辞有らん」と。王未だ変ずること克はず。伊尹曰く、
-
尚書・太甲中既往には師保の訓に背き、厥(そ)の初めに克(よ)くせず。尚(こひねが)はくは匡救(きやうきう)の徳に頼り、厥の終はりを図り惟(おも)はん」と。伊尹拝手稽首して曰く、「厥の身を修め、允徳(いんとく)下に協(かな)ふは、惟れ明后なり。先王困窮を子恵(しけい)し、民厥の命に服して、悦ばざる有る罔(な)し。並びに其の有邦の厥の鄰も、乃ち曰く、『我が后を徯(ま)つ、后来たらば罰無からん』と。王乃(なんぢ)の徳を懋(つと)め、乃の厥の祖を視て、時(こ)れ豫怠(よたい)すること無かれ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る