尚書 / 書序
周公恐王怠于政,作《無逸》。召公為保,周公為師,相成王為左右;召公不說,周公作《君奭》。蔡叔既沒,王命蔡仲踐諸侯位,作《蔡仲之命》。成王東伐淮夷,遂踐奄,作《成王政》。成王既踐奄,將遷其君於蒲姑,周公告召公,作《將蒲姑》。成王歸自奄,在宗周,誥庶邦,作《多方》。周公辅王,念桀之暴,言天乙之功,司百官以立邦,作《立政》。成王既黜殷命,滅淮夷,還歸在豐,作《周官》。成王既伐東夷,肅慎來賀。王俾榮伯作《賄肅慎之命》。周公在豐,將沒,欲葬成周。公薨,成王葬于畢,告周公,作《亳姑》。周公既沒,命君陳分正東郊成周,作《君陳》。成王將崩,命召公、畢公率諸侯相康王,作《顧命》。康王旣尸天子,遂誥諸侯,作《康王之誥》。康王命作《冊畢》,分居里,成周郊,作《畢命》。穆王命君牙,為周大司徒,作《君牙》。穆王命伯冏為周太僕正,作《冏命》。穆王訓夏贖刑,作《呂刑》。平王錫晉文侯秬鬯、圭瓚,作《文侯之命》。魯侯伯禽宅曲阜,徐夷並興,東郊不開。作《費誓》。秦穆公伐鄭,晉襄公帥師敗諸崤,還歸,作《秦誓》。
新字:周公恐王怠于政,作《無逸》。召公為保,周公為師,相成王為左右;召公不説,周公作《君奭》。蔡叔既没,王命蔡仲践諸侯位,作《蔡仲之命》。成王東伐淮夷,遂践奄,作《成王政》。成王既践奄,将遷其君於蒲姑,周公告召公,作《将蒲姑》。成王帰自奄,在宗周,誥庶邦,作《多方》。周公辅王,念桀之暴,言天乙之功,司百官以立邦,作《立政》。成王既黜殷命,滅淮夷,還帰在豊,作《周官》。成王既伐東夷,粛慎来賀。王俾栄伯作《賄粛慎之命》。周公在豊,将没,欲葬成周。公薨,成王葬于畢,告周公,作《亳姑》。周公既没,命君陳分正東郊成周,作《君陳》。成王将崩,命召公、畢公率諸侯相康王,作《顧命》。康王既尸天子,遂誥諸侯,作《康王之誥》。康王命作《冊畢》,分居里,成周郊,作《畢命》。穆王命君牙,為周大司徒,作《君牙》。穆王命伯冏為周太僕正,作《冏命》。穆王訓夏贖刑,作《呂刑》。平王錫晋文侯秬鬯、圭瓚,作《文侯之命》。魯侯伯禽宅曲阜,徐夷並興,東郊不開。作《費誓》。秦穆公伐鄭,晋襄公帥師敗諸崤,還帰,作《秦誓》。
書き下し
周公、王の政に怠らんことを恐れ、『無逸』を作る。召公保と為り、周公師と為り、成王に相として左右と為る。召公説(よろこ)ばず、周公『君奭(くんせき)』を作る。蔡叔既に没し、王、蔡仲に命じて諸侯の位を践(ふ)ましむ。『蔡仲之命』を作る。成王東のかた淮夷を伐ち、遂に奄(えん)を践む。『成王政』を作る。成王既に奄を践み、将に其の君を蒲姑に遷さんとし、周公召公に告ぐ。『将蒲姑』を作る。成王奄より帰り、宗周に在りて、庶邦に誥ぐ。『多方』を作る。周公王を輔け、桀の暴を念ひ、天乙の功を言ひ、百官を司りて以て邦を立つ。『立政』を作る。成王既に殷の命を黜け、淮夷を滅ぼし、還りて帰りて豊に在り。『周官』を作る。成王既に東夷を伐ち、粛慎来たり賀す。王、栄伯をして『賄粛慎之命』を作らしむ。周公豊に在り、将に没せんとして、成周に葬られんと欲す。公薨じ、成王畢に葬り、周公に告ぐ。『亳姑』を作る。周公既に没し、君陳に命じて東郊の成周を分正せしむ。『君陳』を作る。成王将に崩ぜんとし、召公・畢公に命じて諸侯を率ゐて康王に相たらしむ。『顧命』を作る。康王既に天子に尸(つかさど)り、遂に諸侯に誥ぐ。『康王之誥』を作る。康王、作冊畢に命じて、居里を分かち、成周の郊を成さしむ。『畢命』を作る。穆王、君牙に命じて周の大司徒と為す。『君牙』を作る。穆王、伯冏に命じて周の太僕正と為す。『冏命』を作る。穆王、夏の贖刑を訓ず。『呂刑』を作る。平王、晋の文侯に秬鬯(きよちやう)・圭瓚(けいさん)を錫ふ。『文侯之命』を作る。魯侯伯禽、曲阜に宅(を)り、徐夷並び興りて、東郊開かず。『費誓』を作る。秦の穆公鄭を伐ち、晋の襄公師を帥ゐて諸(これ)を崤(かう)に敗る。還り帰りて、『秦誓』を作る。
現代語訳
【無逸】周公は王が政治を怠ることを恐れて、『無逸』を作った。【君奭】召公が太保となり、周公が太師となって、成王の左右で補佐した。召公が喜ばなかったので、周公は『君奭』を作った。【蔡仲之命】蔡叔(さいしゅく、周公の弟で反乱に加わった)が亡くなったのち、王はその子の蔡仲に命じて諸侯の位を継がせた。そこで『蔡仲之命』が作られた。【成王政】成王は東方の淮夷を討ち、ついに奄(えん、殷の旧同盟国)を平定した。そこで『成王政』が作られた。【将蒲姑】成王は奄を平定したのち、その君を蒲姑(ほこ、今の山東の地)へ移そうとし、周公がそのことを召公に告げた。そこで『将蒲姑』が作られた。【多方】成王は奄から帰り、宗周(周の本拠の都)にいて、諸国に告げた。そこで『多方』が作られた。【立政】周公は王を補佐し、桀の暴政を思い起こし、天乙(湯王)の功績を語り、百官を統べて国の基を立てた。そこで『立政』が作られた。【周官】成王は殷の天命を退け、淮夷を滅ぼし、帰還して豊の都にいた。そこで『周官』が作られた。【賄粛慎之命】成王が東夷を討つと、粛慎(しゅくしん、東北方の民族)が祝賀に来た。王は栄伯に命じて『賄粛慎之命』を作らせた。【亳姑】周公は豊にいて、死の間際に成周に葬られたいと願った。周公が亡くなると、成王は彼を畢(ひつ、文王・武王の墓所の地)に葬り、その霊に告げた。そこで『亳姑』が作られた。【君陳】周公が亡くなったのち、君陳(くんちん、周の臣)に命じて東郊の成周を分けて治めさせた。そこで『君陳』が作られた。【顧命】成王は崩御しようとするとき、召公と畢公に命じて、諸侯を率いて康王を補佐させた。そこで『顧命』が作られた。【康王之誥】康王は天子の位に就くと、諸侯に告げた。そこで『康王之誥』が作られた。【畢命】康王は作冊(記録官)の畢公に命じて、住民の居住区を分け、成周の郊外を整えさせた。そこで『畢命』が作られた。【君牙】穆王(ぼくおう、周の第五代の王)は君牙(くんが)を周の大司徒(民政の長官)に任じた。そこで『君牙』が作られた。【冏命】穆王は伯冏(はくけい)を周の太僕正(王の側近の長)に任じた。そこで『冏命』が作られた。【呂刑】穆王は夏の贖刑(財物で刑をあがなう制度)を説き示した。そこで『呂刑』が作られた。【文侯之命】平王(へいおう、東周の初代の王)は晋の文侯に、祭祀用の香り酒と玉の柄杓を賜った。そこで『文侯之命』が作られた。【費誓】魯侯伯禽(はくきん、周公の子)が曲阜に都を置くと、徐の国と東夷が一斉に起こり、東の郊外の門が開けられなくなった。そこで『費誓』が作られた。【秦誓】秦の穆公(ぼくこう)が鄭を討ったが、晋の襄公(じょうこう)が軍を率いてこれを崤(こう)の山中で破った。穆公は帰還して、『秦誓』を作った。
解説
関連する章句
-
尚書・書序仲丁、囂(がう)に遷る。『仲丁』を作る。河亶甲(かたんかふ)、相に居る。『河亶甲』を作る。祖乙、耿(かう)に圯(やぶ)る。『祖乙』を作る。盤庚五たび遷り、将に亳殷を治めんとす。民咨(なげ)き胥(あひ)怨む。『盤庚三篇』を作る。高宗、夢に説(えつ)を得て、百工をして諸(これ)を野に営求せしめ、諸を傅巌(ふがん)に得たり。『説命三篇』を作る。高宗成湯を祭る。飛雉有りて鼎の耳に升りて雊(な)く。祖己、諸(これ)を王に訓(をし)ふ。『高宗肜日』『高宗之訓』を作る。殷始めて周を咎(とが)む。周人黎に乗(か)つ。祖伊恐れ、奔りて受に告ぐ。『西伯戡黎』を作る。殷既に天命を錯(うしな)ひ、微子『誥父師少師』を作る。惟れ十有一年、武王殷を伐つ。一月戊午、師孟津を渡る。『泰誓三篇』を作る。武王の戎車三百両、虎賁(こほん)三百人、受と牧野に戦ふ。『牧誓』を作る。武王殷を伐ち、往きて伐ち、帰りて獣(しう)し、其の政事を識(しる)す。『武成』を作る。武王殷に勝ちて受を殺し、武庚を立て、箕子を以て帰る。『洪範』を作る。武王既に殷に勝ち、諸侯を邦(ほう)じ、宗彝(そうい)を班(わか)つ。『分器』を作る。西旅、獒(がう)を献じ、太保『旅獒』を作る。巣伯来朝し、芮伯(ぜいはく)『旅巣命』を作る。武王疾有り、周公『金縢』を作る。武王崩じ、三監及び淮夷叛く。周公成王に相として、将に殷を黜けんとす。『大誥』を作る。成王既に殷の命を黜け、武庚を殺し、微子啓に命じて殷の後に代へしむ。『微子之命』を作る。唐叔、禾(か)の畝を異にして穎を同じくするを得て、諸(これ)を天子に献ず。王、唐叔に命じて周公に東に帰(おく)らしむ。『帰禾』を作る。周公既に命禾を得て、天子の命を旅(の)ぶ。『嘉禾』を作る。成王既に管叔・蔡叔を伐ち、殷の余民を以て康叔を封ず。『康誥』『酒誥』『梓材』を作る。成王豊に在りて、洛邑に宅(を)らんと欲し、召公をして先づ宅を相(み)しむ。『召誥』を作る。召公既に宅を相し、周公往きて成周を営み、来たりて卜を告げしむ。『洛誥』を作る。成周既に成り、殷の頑民を遷し、周公王命を以て告ぐ。『多士』を作る。
-
尚書・書序昔在(むかし)帝堯、聡明文思にして、光(あまね)く天下に宅(を)り、将に位を遜(ゆづ)らんとして、虞舜に譲る。『堯典』を作る。虞舜は側微なり。堯其の聡明なるを聞き、将に位を嗣がしめんとして、歴(あまね)く諸(これ)を難きに試む。『舜典』を作る。帝、下土の方を釐(をさ)め、居を方に設け、生を別ち類を分かつ。『汨作(こつさく)』『九共九篇』『稾飫(かうよ)』を作る。皐陶(かうえう)厥(そ)の謨(はかりごと)を矢(つら)ね、禹厥の功を成し、帝舜之を申(かさ)ぬ。『大禹』『皐陶謨』『益稷』を作る。禹九州を別ち、山に随ひて川を濬(ふか)くし、土に任じて『貢』を作る。啓、有扈(いうこ)と甘の野に戦ふ。『甘誓』を作る。太康邦を失ひ、昆弟五人、洛汭(らくぜい)に須(ま)つ。『五子之歌』を作る。羲和湎淫(めんいん)し、時を廃し日を乱る。胤往きて之を征す。『胤征』を作る。契より成湯に至るまで八たび遷る。湯始めて亳(はく)に居り、先王の居に従ふ。『帝告』『釐沃(りよく)』を作る。湯諸侯を征す。葛伯祀らず、湯始めて之を征す。『湯征』を作る。伊尹亳を去りて夏に適(ゆ)き、既に有夏を醜(にく)み、復た亳に帰る。北門より入り、乃ち汝鳩・汝方に遇ふ。『汝鳩』『汝方』を作る。伊尹湯に相として桀を伐ち、陑(じ)より升り、遂に桀と鳴条の野に戦ふ。『湯誓』を作る。湯既に夏に勝ち、其の社を遷さんと欲すれども、可ならず。『夏社』『疑至』『臣扈』を作る。夏の師敗績し、湯遂に之に従ひ、遂に三朡(さんそう)を伐ち、厥の宝玉を俘(と)る。誼伯・仲伯『典宝』を作る。湯夏より帰りて、大坰(たいけい)に至る。仲虺『誥』を作る。湯既に夏の命を黜(しりぞ)け、復た亳に帰る。『湯誥』を作る。咎単(きうぜん)『明居』を作る。成湯既に没し、太甲の元年、伊尹『伊訓』『肆命』『徂后』を作る。太甲既に立ちて、明ならず。伊尹諸(これ)を桐に放つ。三年にして復た亳に帰り、庸(つね)を思ふ。伊尹『太甲三篇』を作る。伊尹『咸有一徳』を作る。沃丁既に伊尹を亳に葬り、咎単遂に伊尹の事を訓(と)く。『沃丁』を作る。伊陟(いちよく)大戊に相たり。亳に祥(あやし)き桑穀共に朝に生ずること有り。伊陟巫咸に賛(つ)ぐ。『咸乂四篇』を作る。太戊伊陟に賛ぐ。『伊陟』『原命』を作る。
-
史記 周本紀成王将に崩ぜんとし、太子釗の任へざるを懼れ、乃ち召公・畢公に命じて諸侯を率ゐて以て太子を相けて之を立てしむ。成王既に崩じ、二公諸侯を率ゐ、太子釗を以て先王の廟に見えしめ、申ねて告ぐるに文王・武王の王業を為すの易からざる所以を以てし、務めは節倹に在り、多欲毋く、篤信を以て之に臨めと、顧命を作る。太子釗遂に立つ。是を康王と為す。康王即位し、遍く諸侯に告げ、宣告するに文武の業を以て之を申ね、康誥を作る。故に成康の際、天下安寧にして、刑錯きて四十余年用ゐず。康王命じて策を作らしめ、畢公をして居里を分かち、成周の郊とせしめ、畢命を作る。康王卒し、子昭王瑕立つ。昭王の時、王道微缺す。昭王南に巡狩して返らず、江上に卒す。其の卒を赴告せず、之を諱むなり。昭王の子満を立つ。是を穆王と為す。穆王即位し、春秋已に五十なり。王道衰微す。穆王文武の道の缺くるを閔み、乃ち伯臩に命じて申ねて太僕国の政を誡めしめ、臩命を作る。復た寧し。穆王将に犬戎を征せんとす。祭公謀父諫めて曰く、「不可なり。先王は徳を燿かして兵を観さず。夫れ兵は戢めて時に動く、動けば則ち威あり。観せば則ち玩ばれ、玩ばるれば則ち震ふこと無し。是の故に周文公の頌に曰く、『載ち干戈を戢め、載ち弓矢を櫜にす。我懿徳を求め、時の夏に肆ぶ。允に王之を保たん』と。先王の民に於けるや、其の徳を茂正して其の性を厚くし、其の財求を阜かにして其の器用を利し、利害の郷を明らかにし、文を以て之を修め、之をして利を務めて害を辟け、徳を懐ひて威を畏れしむ。故に能く世を保ちて以て滋大なり。昔我が先王世后稷として以て虞・夏に服事す。夏の衰ふるに及びてや、稷を棄てて務めず、我が先王不窋用て其の官を失ひて、自ら戎狄の間に竄る。
-
史記 魯周公世家管・蔡・武庚等、果して淮夷を率ゐて反す。周公乃ち成王の命を奉じ、師を興して東伐し、大誥を作る。遂に管叔を誅し、武庚を殺し、蔡叔を放つ。殷の余民を収め、以て康叔を衛に封じ、微子を宋に封じて、以て殷の祀を奉ぜしむ。淮夷・東土を寧んじ、二年にして畢く定まる。諸侯咸な宗周に服す。天、祉福を降し、唐叔、禾を得たり。畝を異にして穎を同じくす。之を成王に献ず。成王、唐叔に命じて以て周公に東土に餽らしめ、餽禾を作る。周公既に命禾を受け、天子の命を嘉して、嘉禾を作る。東土以て集まり、周公帰りて成王に報じ、乃ち詩を為りて王に貽り、之を命じて鴟鴞と曰ふ。王も亦未だ敢て周公を訓めず。成王の七年二月乙未、王、朝に周より歩みて豊に至り、太保召公をして先づ雒に之きて土を相せしむ。其の三月、周公往きて成周の雒邑を営み、居を卜するに、吉と曰ふ。遂に之に国す。成王長じ、能く政を聴く。是に於て周公乃ち政を成王に還し、成王朝に臨む。周公の成王に代りて治むるや、南面して依を倍にして以て諸侯を朝せしむ。七年の後に及び、政を成王に還し、北面して臣の位に就き、匔匔として畏るるが如く然り。初め、成王少き時、病む。周公乃ち自ら其の蚤を揃りて之を河に沈め、以て神に祝して曰く、「王少くして未だ識有らず。神の命を奸す者は乃ち旦なり」と。亦其の策を府に蔵す。成王の病瘳ゆる有り。成王の事を用ふるに及び、人或いは周公を譖す。周公、楚に奔る。成王、府を発きて、周公の禱書を見、乃ち泣き、周公を反す。周公帰り、成王の壮にして、治むるに淫佚する所有らんことを恐れ、乃ち多士を作り、毋逸を作る。毋逸に称す、「人の父母と為りては、業を為すこと長久に至る。子孫驕奢にして之を忘れ、以て其の家を亡ぼす。人の子と為りて慎まざる可けんや。故に昔、殷の王中宗に在りては、厳恭にして天命を敬畏し、自ら度りて民を治め、震懼して敢て荒寧せず。故に中宗、国を饗くること七十五年。
-
史記 周本紀武王已に殷に克ち、後二年、箕子に殷の亡びし所以を問ふ。箕子殷の悪を言ふに忍びず、存亡の国の宜しきを以て告ぐ。武王も亦醜ぢ、故に問ふに天道を以てす。武王病む。天下未だ集まらず、群公懼れ、穆卜す。周公乃ち祓斎し、自ら質と為り、武王に代はらんと欲す。武王瘳ゆる有り。後にして崩じ、太子誦代はりて立つ。是を成王と為す。成王少く、周初めて天下を定む。周公諸侯の周に畔かんことを恐れ、公乃ち摂行して政し国に当たる。管叔・蔡叔の群弟周公を疑ひ、武庚と乱を作し、周に畔く。周公成王の命を奉じ、武庚・管叔を伐ちて誅し、蔡叔を放つ。微子開を以て殷の後に代へ、宋に国せしむ。頗る殷の余民を収め、以て武王の少弟封を封じて衛の康叔と為す。晋の唐叔嘉穀を得、之を成王に献ず。成王以て周公に兵所に帰る。周公禾を東土に受け、天子の命を魯ぶ。初め、管・蔡周に畔き、周公之を討ち、三年にして畢く定む。故に初めに大誥を作り、次に微子之命を作り、次に帰禾、次に嘉禾、次に康誥・酒誥・梓材を作る。其の事は周公の篇に在り。周公政を行ふこと七年、成王長じ、周公政を成王に反し、北面して群臣の位に就く。成王豊に在り、召公をして復た洛邑を営ましむ、武王の意の如し。周公復た卜して申ねて視、卒に営築し、九鼎を居く。曰く、「此れ天下の中にして、四方の入貢の道里均し」と。召誥・洛誥を作る。成王既に殷の遺民を遷し、周公王命を以て告げ、多士・無佚を作る。召公保と為り、周公師と為り、東のかた淮夷を伐ち、奄を残し、其の君を薄泵に遷す。成王奄より帰り、宗周に在りて、多方を作る。既に殷の命を絀け、淮夷を襲ひ、帰りて豊に在り、周官を作る。礼楽を興正し、度制是に於て改まり、而して民和睦し、頌声興る。成王既に東夷を伐ち、息慎来たりて賀す。王栄伯に賜ひて賄息慎之命を作らしむ。
-
史記 魯周公世家其の高宗に在りては、久しく外に労し、小人と与に為る。其の即位するを作すや、乃ち亮闇有り、三年言はず。言へば乃ち讙ぶ。敢て荒寧せず、殷国を密靖し、小大に至るまで怨無し。故に高宗、国を饗くること五十五年。其の祖甲に在りては、王たるを不義とし、久しく外に小人為り、小人の依を知り、能く小民を保施し、寡を侮らず。故に祖甲、国を饗くること三十三年」と。多士に称して曰く、「湯より帝乙に至るまで、祀を率ひ徳を明らかにせざる無く、帝の天に配せざる者無し。今の後嗣の王紂に在りては、誕に厥の佚に淫し、天及び民の従ふ所を顧みず。其の民皆誅す可し」と。「文王は日中昃くまで食するに暇あらず、国を饗くること五十年」と。此を作りて以て成王を誡む。成王豊に在り、天下已に安し。周の官政未だ次序あらず。是に於て周公、周官を作り、官ごとに其の宜しきを別ち、立政を作りて、以て百姓を便にす。百姓説ぶ。周公豊に在りて、病みて将に没せんとして、曰く、「必ず我を成周に葬り、以て吾の敢て成王を離れざるを明らかにせよ」と。周公既に卒し、成王も亦譲り、周公を畢に葬り、文王に従はしめ、以て予小子の敢て周公を臣とせざるを明らかにす。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る