師導古典を学びたいすべての人に

尚書 / 書序

仲丁遷于囂,作《仲丁》。河亶甲居相,作《河亶甲》。祖乙圯于耿,作《祖乙》。盤庚五遷,將治亳殷,民咨胥怨。作《盤庚三篇》。高宗夢得說,使百工營求諸野,得諸傅巖,作《說命三篇》。高宗祭成湯,有飛雉升鼎耳而雊,祖己訓諸王,作《高宗肜日》、《高宗之訓》。殷始咎周,周人乘黎。祖伊恐,奔告于受,作《西伯戡黎》。殷旣錯天命,微子作《誥父師少師》。惟十有一年,武王伐殷。一月戊午,師渡孟津,作《泰誓三篇》。武王戎車三百兩,虎賁三百人,與受戰于牧野,作《牧誓》。武王伐殷,往伐,歸獸,識其政事,作《武成》。武王勝殷殺受,立武庚,以箕子歸。作《洪範》。武王既勝殷,邦諸侯,班宗彝,作《分器》。西旅獻獒,太保作《旅獒》。巢伯來朝,芮伯作《旅巢命》。武王有疾,周公作《金縢》。武王崩,三監及淮夷叛,周公相成王,將黜殷,作《大誥》。成王既黜殷命,殺武庚,命微子啟代殷後,作《微子之命》。唐叔得禾,異畝同穎,獻諸天子。王命唐叔歸周公于東,作《歸禾》。周公既得命禾,旅天子之命,作《嘉禾》。成王既伐管叔、蔡叔,以殷餘民封康叔,作《康誥》、《酒誥》、《梓材》。成王在豐,欲宅洛邑,使召公先相宅,作《召誥》。召公旣相宅,周公往營成周,使來告卜,作《洛誥》。成周既成,遷殷頑民,周公以王命告,作《多士》。

新字:仲丁遷于囂,作《仲丁》。河亶甲居相,作《河亶甲》。祖乙圯于耿,作《祖乙》。盤庚五遷,将治亳殷,民咨胥怨。作《盤庚三篇》。高宗夢得説,使百工営求諸野,得諸傅巖,作《説命三篇》。高宗祭成湯,有飛雉升鼎耳而雊,祖己訓諸王,作《高宗肜日》、《高宗之訓》。殷始咎周,周人乗黎。祖伊恐,奔告于受,作《西伯戡黎》。殷既錯天命,微子作《誥父師少師》。惟十有一年,武王伐殷。一月戊午,師渡孟津,作《泰誓三篇》。武王戎車三百両,虎賁三百人,与受戦于牧野,作《牧誓》。武王伐殷,往伐,帰獣,識其政事,作《武成》。武王勝殷殺受,立武庚,以箕子帰。作《洪範》。武王既勝殷,邦諸侯,班宗彝,作《分器》。西旅献獒,太保作《旅獒》。巣伯来朝,芮伯作《旅巣命》。武王有疾,周公作《金縢》。武王崩,三監及淮夷叛,周公相成王,将黜殷,作《大誥》。成王既黜殷命,殺武庚,命微子啓代殷後,作《微子之命》。唐叔得禾,異畝同穎,献諸天子。王命唐叔帰周公于東,作《帰禾》。周公既得命禾,旅天子之命,作《嘉禾》。成王既伐管叔、蔡叔,以殷余民封康叔,作《康誥》、《酒誥》、《梓材》。成王在豊,欲宅洛邑,使召公先相宅,作《召誥》。召公既相宅,周公往営成周,使来告卜,作《洛誥》。成周既成,遷殷頑民,周公以王命告,作《多士》。

書き下し

仲丁、囂(がう)に遷る。『仲丁』を作る。河亶甲(かたんかふ)、相に居る。『河亶甲』を作る。祖乙、耿(かう)に圯(やぶ)る。『祖乙』を作る。盤庚五たび遷り、将に亳殷を治めんとす。民咨(なげ)き胥(あひ)怨む。『盤庚三篇』を作る。高宗、夢に説(えつ)を得て、百工をして諸(これ)を野に営求せしめ、諸を傅巌(ふがん)に得たり。『説命三篇』を作る。高宗成湯を祭る。飛雉有りて鼎の耳に升りて雊(な)く。祖己、諸(これ)を王に訓(をし)ふ。『高宗肜日』『高宗之訓』を作る。殷始めて周を咎(とが)む。周人黎に乗(か)つ。祖伊恐れ、奔りて受に告ぐ。『西伯戡黎』を作る。殷既に天命を錯(うしな)ひ、微子『誥父師少師』を作る。惟れ十有一年、武王殷を伐つ。一月戊午、師孟津を渡る。『泰誓三篇』を作る。武王の戎車三百両、虎賁(こほん)三百人、受と牧野に戦ふ。『牧誓』を作る。武王殷を伐ち、往きて伐ち、帰りて獣(しう)し、其の政事を識(しる)す。『武成』を作る。武王殷に勝ちて受を殺し、武庚を立て、箕子を以て帰る。『洪範』を作る。武王既に殷に勝ち、諸侯を邦(ほう)じ、宗彝(そうい)を班(わか)つ。『分器』を作る。西旅、獒(がう)を献じ、太保『旅獒』を作る。巣伯来朝し、芮伯(ぜいはく)『旅巣命』を作る。武王疾有り、周公『金縢』を作る。武王崩じ、三監及び淮夷叛く。周公成王に相として、将に殷を黜けんとす。『大誥』を作る。成王既に殷の命を黜け、武庚を殺し、微子啓に命じて殷の後に代へしむ。『微子之命』を作る。唐叔、禾(か)の畝を異にして穎を同じくするを得て、諸(これ)を天子に献ず。王、唐叔に命じて周公に東に帰(おく)らしむ。『帰禾』を作る。周公既に命禾を得て、天子の命を旅(の)ぶ。『嘉禾』を作る。成王既に管叔・蔡叔を伐ち、殷の余民を以て康叔を封ず。『康誥』『酒誥』『梓材』を作る。成王豊に在りて、洛邑に宅(を)らんと欲し、召公をして先づ宅を相(み)しむ。『召誥』を作る。召公既に宅を相し、周公往きて成周を営み、来たりて卜を告げしむ。『洛誥』を作る。成周既に成り、殷の頑民を遷し、周公王命を以て告ぐ。『多士』を作る。

現代語訳

【仲丁】仲丁(ちゅうてい、殷の王)は都を囂(ごう)に移した。そこで『仲丁』が作られた。【河亶甲】河亶甲(かたんこう)は相(しょう)の地に住んだ。そこで『河亶甲』が作られた。【祖乙】祖乙(そいつ)の都は耿(こう)で水害に壊された。そこで『祖乙』が作られた。【盤庚】盤庚(ばんこう)は都を五度移し、亳殷を治めようとしたが、民は嘆き、互いに怨んだ。そこで『盤庚』三篇が作られた。【説命】高宗(こうそう、殷の武丁)は夢に傅説(ふえつ)という賢者を見て、役人たちに野を探し求めさせ、傅巌(ふがん)の地で彼を得た。そこで『説命』三篇が作られた。【高宗肜日・高宗之訓】高宗が成湯を祭ったとき、飛んできた雉が鼎の耳にとまって鳴いた。祖己(そき、殷の賢臣)はこれについて王を戒めた。そこで『高宗肜日』『高宗之訓』が作られた。【西伯戡黎】殷がはじめて周をとがめ、周の人々は黎(れい)の国に勝った。祖伊(そい、殷の臣)は恐れ、走って受(じゅ、殷の紂王)に告げた。そこで『西伯戡黎』が作られた。【微子】殷はすでに天命を失い、微子(びし、紂王の庶兄)が『父師・少師に誥ぐ』を作った。【泰誓】(文王の受命から)十一年、武王は殷を討った。一月戊午の日、軍は孟津(もうしん、黄河の渡し場)を渡った。そこで『泰誓』三篇が作られた。【牧誓】武王は兵車三百両、勇士三百人を率いて、受と牧野で戦った。そこで『牧誓』が作られた。【武成】武王は殷を討ち、出征して戦い、帰って狩りの礼を行い、その政事を記した。そこで『武成』が作られた。【洪範】武王は殷に勝って受を殺し、武庚(ぶこう、紂の子)を立て、箕子(きし、紂の叔父)を連れて帰った。そこで『洪範』が作られた。【分器】武王は殷に勝ったのち、諸侯を封じ、祖先を祀る祭器を分け与えた。そこで『分器』が作られた。【旅獒】西方の旅の国が大きな犬を献上し、太保(召公)が『旅獒』を作った。【旅巣命】巣伯(巣の国の君)が来朝し、芮伯(ぜいはく)が『旅巣命』を作った。【金縢】武王が病気になり、周公が『金縢』を作った。【大誥】武王が亡くなり、三監(殷の遺民を見張らせた管叔・蔡叔・霍叔)と淮夷(わいい、淮水流域の異民族)が背いた。周公は成王を補佐して殷を退けようとした。そこで『大誥』が作られた。【微子之命】成王は殷の天命を退け、武庚を殺し、微子啓に命じて殷の子孫の家を継がせた。そこで『微子之命』が作られた。【帰禾】唐叔(とうしゅく、成王の弟)が、別々の畝から生えて一つの穂になった稲を得て、天子に献上した。王は唐叔に命じて、それを東方にいる周公に届けさせた。そこで『帰禾』が作られた。【嘉禾】周公はその稲と命を受け取り、天子の命をたたえ述べた。そこで『嘉禾』が作られた。【康誥・酒誥・梓材】成王は管叔と蔡叔を討ったのち、殷の遺民を康叔(こうしゅく、武王の弟)に与えて封じた。そこで『康誥』『酒誥』『梓材』が作られた。【召誥】成王は豊(ほう)の都にいて、洛邑に都を置こうと望み、召公(しょうこう)にまず土地を見させた。そこで『召誥』が作られた。【洛誥】召公が土地を見終えると、周公が出向いて成周の造営にあたり、使いをよこして占いの結果を告げさせた。そこで『洛誥』が作られた。【多士】成周が完成すると、殷の頑なな民を移住させ、周公が王命として彼らに告げた。そこで『多士』が作られた。

解説

書序の中ほどで、殷の中期から周の成王の初めまでを扱う。遷都を繰り返した殷の王たち、夢で賢者を得た高宗、雉の怪異を戒めとした祖己、そして殷周交代の戦いと、その後の周公による東方の平定と洛邑造営が、篇ごとに一行で語られる。書序は孔子の作と伝えられるが、漢代以降に整えられた部分を含むとみられ、帰禾・嘉禾・分器のように本文の伝わらない篇も多い。ここで目を引くのは、武力で殷を倒した周が、殷の子孫を祀らせ、遺民に言葉を尽くして告げていることである。勝った側がどう後始末をし、負けた側をどう迎え入れるかに一篇ずつ費やされている。組織の合併や再編でも、決着のあとの説明と処遇こそが、その後の結束を左右する。

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る