呻吟語 / 内篇・修身・腳を放ちて行けば日日長進を見る
回著頭看,年年有過差;放開腳行,日日見長進。
新字:回著頭看,年年有過差;放開脚行,日日見長進。
書き下し
頭を回らせて看れば、年年過差有り。腳を放ちて行けば、日日長進を見る。
現代語訳
振り返って見れば、年ごとに過ちと行き違いがあります。足を踏み出して行けば、日ごとに進歩が見えます。
解説
後ろを見るのと前へ進むのを、二十字足らずで対にします。振り返れば過ちばかりが見え、歩き出せば進歩が見える。同じ人の同じ日々が、向きによって正反対に見えるという指摘です。反省を重んじるこの書の中で、前へ出ることの効き目を認めた一段として印象的です。落ち込んだ時に読む一句として置かれています。落ち込んだ時に読む一句として置かれた、明るい対句です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
反省前進向き進歩過ち
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