尚武論 / 義理と廉恥、そして備えの実際
不爲佛之流者幾希。今之儒者。滔々者皆佛之徒哉。僧義堂曰。儒者用我佛法七分。誠哉。學者若欲爲佛之流。則宜拾儒從佛也。僧日蓮在鎌倉。拘土牢中三年。而後有敕命。日蓮迎使者曰。我在一尺牢中。亦不關。我則心充天地間。三宅尚齋曰。其胸中之大。吾黨却無此氣象。余每曰。性理之弊爲佛法。古學者之弊爲文人。我邦學者。勿爲道學先生。恐其陷于佛也。勿事詞章。恐其流文人也。平日治武術。以識義理。養廉恥爲要。武云。武云。戈矛之云乎哉。而不知義理非武也。不辨廉恥非武也。又戈矛弓矢不備則非武也。米粟不多則非武也。如其米粟不多。則何謂瑞穗國。戈矛不備。則何謂細戈千足國。我國特立于東海中。不與諸邦接壤。米粟備。矛戟滿。士皆知義理辨廉恥。外賊不得窺其邊陲。弘安蒙古。北條時宗擊而殲之。應永明賊。足利義持討而却之。豈不亦壯哉。唐太宗將八十萬。擊朝鮮。朝鮮不服。而 神功皇后婦人而躬自擐甲征而平之。豐臣太閤。雖不收全功乎。彼國懾服。懲而慫之。可知我邦之武冠于諸國。近聞外賊有來伺者。今也封建之制。各皆處其地禦之。不必假多兵。如趙李牧防胡易易耳。若用遠兵。則兵勞國糜。後禍不貲也。李廣父子。將兵抵遠。不收其功者。李氏兵術。豈不及李牧乎哉。以封建郡縣有得失故也。今生浦安國。有封建之制。而漫憂邊陲。亦何心乎。或又措而不問。遂至不去驕奢。不備武術。遊佚日增。怠惰月生。我所憂在于此。而不在于戎也。余故曰。我邦之人。宜識武已。能識武則上安下平。逆臣不凌。外寇不入。四方無事。亦何羨堯舜之治乎哉。
新字:不為仏之流者幾希。今之儒者。滔々者皆仏之徒哉。僧義堂曰。儒者用我仏法七分。誠哉。学者若欲為仏之流。則宜拾儒従仏也。僧日蓮在鎌倉。拘土牢中三年。而後有勅命。日蓮迎使者曰。我在一尺牢中。亦不関。我則心充天地間。三宅尚斎曰。其胸中之大。吾党却無此気象。余毎曰。性理之弊為仏法。古学者之弊為文人。我邦学者。勿為道学先生。恐其陥于仏也。勿事詞章。恐其流文人也。平日治武術。以識義理。養廉恥為要。武云。武云。戈矛之云乎哉。而不知義理非武也。不弁廉恥非武也。又戈矛弓矢不備則非武也。米粟不多則非武也。如其米粟不多。則何謂瑞穂国。戈矛不備。則何謂細戈千足国。我国特立于東海中。不与諸邦接壤。米粟備。矛戟満。士皆知義理弁廉恥。外賊不得窺其辺陲。弘安蒙古。北条時宗撃而殲之。応永明賊。足利義持討而却之。豈不亦壮哉。唐太宗将八十万。撃朝鮮。朝鮮不服。而 神功皇后婦人而躬自擐甲征而平之。豊臣太閤。雖不収全功乎。彼国懾服。懲而慫之。可知我邦之武冠于諸国。近聞外賊有来伺者。今也封建之制。各皆処其地禦之。不必仮多兵。如趙李牧防胡易易耳。若用遠兵。則兵労国糜。後禍不貲也。李広父子。将兵抵遠。不収其功者。李氏兵術。豈不及李牧乎哉。以封建郡県有得失故也。今生浦安国。有封建之制。而漫憂辺陲。亦何心乎。或又措而不問。遂至不去驕奢。不備武術。遊佚日增。怠惰月生。我所憂在于此。而不在于戎也。余故曰。我邦之人。宜識武已。能識武則上安下平。逆臣不凌。外寇不入。四方無事。亦何羨堯舜之治乎哉。
書き下し
仏の流れと為らざる者幾ど希なり。今の儒者、滔々たる者は皆仏の徒なるかな。僧義堂曰く、儒者は我が仏法を用ふること七分、と。誠なるかな。学者若し仏の流れと為らんと欲せば、則ち宜しく儒を拾てて仏に従ふべきなり。僧日蓮、鎌倉に在りて、土牢の中に拘はるること三年、而る後に勅命有り。日蓮、使者を迎へて曰く、我、一尺の牢中に在るも、亦関せず、我が心は則ち天地の間に充つ、と。三宅尚斎曰く、其の胸中の大なる、吾が党に却つて此の気象無し、と。余毎に曰く、性理の弊は仏法と為り、古学者の弊は文人と為る。我が邦の学者は、道学先生と為ること勿かれ、其の仏に陥らんことを恐るればなり。詞章を事とすること勿かれ、其の文人に流れんことを恐るればなり。平日武術を治め、以て義理を識り、廉恥を養ふを要と為す。武と云ふ、武と云ふ、戈矛の云ならんや。義理を知らざれば武に非ざるなり。廉恥を弁へざれば武に非ざるなり。又戈矛弓矢備はざれば武に非ざるなり。米粟多からざれば武に非ざるなり。如し其れ米粟多からずんば、則ち何ぞ瑞穂国と謂はん。戈矛備はらずんば、則ち何ぞ細戈千足国と謂はん。我が国は特り東海の中に立ち、諸邦と壌を接せず。米粟備はり、矛戟満ち、士皆義理を知り廉恥を弁ふれば、外賊其の辺陲を窺ふを得ず。弘安の蒙古は、北条時宗撃ちて之を殲し、応永の明賊は、足利義持討ちて之を却く。豈に亦壮ならずや。唐の太宗は八十万を将ゐて朝鮮を撃つも、朝鮮服せず。而るに神功皇后は婦人にして躬自ら甲を擐き、征して之を平らぐ。豊臣太閤は全功を収めずと雖も、彼の国懾服し、懲りて之を慫す。我が邦の武の諸国に冠たるを知るべし。近く聞く、外賊の来たりて伺ふ者有りと。今や封建の制、各々皆其の地に処りて之を禦ぐ。必ずしも多兵を仮らず、趙の李牧の胡を防ぐが如く易易たるのみ。若し遠兵を用ふれば、則ち兵労れ国糜え、後禍貲らず。李広父子、兵を将ゐて遠きに抵り、其の功を収めざるは、李氏の兵術、豈に李牧に及ばざらんや。封建郡県に得失有るを以ての故なり。今、浦安国に生まれ、封建の制有りて、漫りに辺陲を憂ふ。亦何の心ぞや。或ひは又措きて問はず、遂に驕奢を去らず、武術を備へず、遊佚日に増し、怠惰月に生ずるに至る。我が憂ひは此に在りて、戎に在らず。余故に曰く、我が邦の人は、宜しく武を識るべきのみ。能く武を識れば、則ち上安く下平らかに、逆臣凌がず、外寇入らず、四方事無し。亦何ぞ堯舜の治を羨まんや。
現代語訳
仏の流れに陥らない者はほとんどいません。今の儒者の、勢いよく流れている者は、みな仏の徒ではありませんか。僧の義堂は「儒者は我が仏法を七分用いている」と言いました。まことにそのとおりです。学者がもし仏の流れになりたいのなら、儒を捨てて仏に従うのがよいのです。僧の日蓮は鎌倉にいて、土牢に三年間拘束され、その後に勅命がありました。日蓮は使者を迎えて言いました。「私は一尺の牢の中にいても、関わりはない。私の心は天地の間に満ちている」と。三宅尚斎は「その胸中の大きさ、我が党にはかえってこの気象がない」と言いました。私はいつも言います。性理の弊害は仏法になり、古学者の弊害は文人になります。我が国の学者は、道学先生になってはいけません。仏に陥ることを恐れるからです。詞章を事としてはいけません。文人に流れることを恐れるからです。平日に武術を修め、それによって義理を知り、廉恥を養うことが肝要です。武と言い、武と言いますが、戈や矛のことでしょうか。義理を知らなければ武ではありません。廉恥をわきまえなければ武ではありません。また戈・矛・弓矢が備わっていなければ武ではありません。米や粟が多くなければ武ではありません。もし米や粟が多くなければ、どうして瑞穂国と言えるでしょうか。戈や矛が備わっていなければ、どうして細戈千足国と言えるでしょうか。我が国は東海の中に独り立ち、諸国と土地を接していません。米や粟が備わり、矛や戟が満ち、士がみな義理を知り廉恥をわきまえれば、外敵はその辺境をうかがうことができません。弘安の蒙古は北条時宗が撃って殲滅し、応永の明の賊は足利義持が討って退けました。何と壮んなことではありませんか。唐の太宗は八十万を率いて朝鮮を撃ちましたが、朝鮮は服しませんでした。ところが神功皇后は婦人でありながら、自ら甲を着けて征し、これを平らげました。豊臣太閤は全功を収められませんでしたが、あちらの国は恐れ服し、懲りて恐れました。我が国の武が諸国に冠たることが分かります。近ごろ、外敵がやって来てうかがう者があると聞きます。今は封建の制度で、それぞれみなその土地にいてこれを防ぎます。必ずしも多くの兵を借りなくても、趙の李牧が胡を防いだように、たやすいことです。もし遠方の兵を用いれば、兵は疲れ国は費え、後の禍は計り知れません。李広父子が兵を率いて遠くへ行き、その功を収めなかったのは、李氏の兵術が李牧に及ばなかったからでしょうか。封建と郡県に得失があるためです。今、浦安国に生まれ、封建の制度があるのに、みだりに辺境を憂えるのは、どういう心でしょうか。あるいはまた打ち捨てて問わず、ついには驕りや奢りを去らず、武術を備えず、遊びが日に増し、怠惰が月ごとに生じるに至ります。私の憂えるのはここにあり、外敵にはありません。だから私は言います。我が国の人は、武を識るべきです。よく武を識れば、上は安らかに下は平らかで、逆臣も凌がず、外敵も入らず、四方に事なく、堯舜の治をどうして羨む必要があるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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