尚武論 / 文に偏る害と、封建が武を興す理
如存如亡。天運已改。聖賢之力。不能爲之。則天下已苦喪亂。生民自陷塗炭。又俟別有王者起而救之耳。齊桓公雖未必純用王道乎。其力翼戴天子。一匡天下。則孔子已與其仁。蓋有所試也。孟子却卑之。時世之異也。管仲有三歸反坫之僭。而不害其爲仁也。若以其不純廢之。則孟子亦有不純者。宜在所廢也。我邦所用儒道。不究儒之本原。不知變通之道。唯爲文辭章句而已。以此爲聖人之道。而用之朝廷。則搢紳之士爲文人耳。搢紳之士。旣爲文人。則不失之軟弱者幾希。惡在爲孔孟之道。吁。朝廷以是至衰微不振。亦可悲哉。更至用佛法因果應報之說。蕩滌人心。以其邪說。推移之國神。以謂彼則祇侫媚者。於是賽神佞佛。寵僧崇巫。莫所不至。不務人事當務。國勢奚得不失乎。我邦上古太平非由儒與佛。別有所在也。我邦固爲武國。則有武而國昌。無武則國衰。國之興替唯在武事盛衰耳。執國柄者。宜用眞儒而輔武事可也。古人旣以文武比之車之兩輪鳥之兩翼。唯勿以文害武耳。夫武士之在國。猶水之在地中。師卦之象可見也。莫往非水也。莫攸至不武士而用其長。建諸侯。而治其國。則國自興。磐石堅固。所以爲武國也。我邦上古封建。中葉爲郡縣。而國勢衰弱。今復爲封建。則武道自盛。而適武國之名矣。可賀可悅也。上古封建。中葉郡縣。何以言之。白石先生曰。上世之制。猶三代封建之時也。中世以降。亦猶漢初兼有封建郡縣之制。迨 孝德世。天下盡變。爲嬴秦郡縣之制矣。昔在在上世五方之國。各有君長。散在山海間。大小强弱。不能相統一。 神武開國之初。封其有功。
新字:如存如亡。天運已改。聖賢之力。不能為之。則天下已苦喪乱。生民自陥塗炭。又俟別有王者起而救之耳。斉桓公雖未必純用王道乎。其力翼戴天子。一匡天下。則孔子已与其仁。蓋有所試也。孟子却卑之。時世之異也。管仲有三帰反坫之僭。而不害其為仁也。若以其不純廃之。則孟子亦有不純者。宜在所廃也。我邦所用儒道。不究儒之本原。不知変通之道。唯為文辞章句而已。以此為聖人之道。而用之朝廷。則搢紳之士為文人耳。搢紳之士。既為文人。則不失之軟弱者幾希。悪在為孔孟之道。吁。朝廷以是至衰微不振。亦可悲哉。更至用仏法因果応報之説。蕩滌人心。以其邪説。推移之国神。以謂彼則祇侫媚者。於是賽神佞仏。寵僧崇巫。莫所不至。不務人事当務。国勢奚得不失乎。我邦上古太平非由儒与仏。別有所在也。我邦固為武国。則有武而国昌。無武則国衰。国之興替唯在武事盛衰耳。執国柄者。宜用真儒而輔武事可也。古人既以文武比之車之両輪鳥之両翼。唯勿以文害武耳。夫武士之在国。猶水之在地中。師卦之象可見也。莫往非水也。莫攸至不武士而用其長。建諸侯。而治其国。則国自興。磐石堅固。所以為武国也。我邦上古封建。中葉為郡県。而国勢衰弱。今復為封建。則武道自盛。而適武国之名矣。可賀可悦也。上古封建。中葉郡県。何以言之。白石先生曰。上世之制。猶三代封建之時也。中世以降。亦猶漢初兼有封建郡県之制。迨 孝徳世。天下尽変。為嬴秦郡県之制矣。昔在在上世五方之国。各有君長。散在山海間。大小強弱。不能相統一。 神武開国之初。封其有功。
書き下し
存するが如く亡きが如し。天運已に改まり、聖賢の力も之を為す能はず。則ち天下已に喪乱に苦しみ、生民自づから塗炭に陥る。又別に王者の起こりて之を救ふ有るを俟つのみ。斉の桓公、未だ必ずしも純ら王道を用ひずと雖も、其の力、天子を翼戴し、天下を一匡す。則ち孔子已に其の仁を与す。蓋し試みる所有ればなり。孟子は却つて之を卑しむ。時世の異なればなり。管仲は三帰反坫の僭有れども、其の仁たるを害せず。若し其の純ならざるを以て之を廃せば、則ち孟子にも亦純ならざる者有り、宜しく廃する所に在るべし。我が邦の用ふる所の儒道は、儒の本原を究めず、変通の道を知らず、唯だ文辞章句を為すのみ。此れを以て聖人の道と為して之を朝廷に用ふれば、則ち搢紳の士は文人たるのみ。搢紳の士既に文人たれば、則ち軟弱に失はざる者幾ど希なり。悪くんぞ孔孟の道たらんや。吁、朝廷是を以て衰微不振に至る、亦悲しむべきかな。更に仏法因果応報の説を用ひて人心を蕩滌するに至り、其の邪説を以て国神を推移し、以て彼は則ち祇侫媚者なりと謂ふ。是に於いて神に賽し仏に佞し、僧を寵し巫を崇め、至らざる所無し。人事の当に務むべきを務めず、国勢奚ぞ失はざるを得んや。我が邦の上古の太平は儒と仏とに由るに非ず、別に所在有るなり。我が邦は固より武国たり、則ち武有りて国昌え、武無ければ則ち国衰ふ。国の興替は唯だ武事の盛衰に在るのみ。国柄を執る者は、宜しく真儒を用ひて武事を輔くべきのみ。古人既に文武を以て之を車の両輪、鳥の両翼に比す。唯だ文を以て武を害すること勿かれのみ。夫れ武士の国に在るは、猶ほ水の地中に在るがごとし。師の卦の象見るべし。往くとして水に非ざる莫く、至る攸として武士にして其の長を用ひざる莫し。諸侯を建てて其の国を治めしむれば、則ち国自づから興り、磐石堅固なり。武国たる所以なり。我が邦、上古は封建、中葉は郡県と為りて、国勢衰弱す。今復た封建と為れば、則ち武道自づから盛んにして、武国の名に適ふ。賀すべく悦ぶべきなり。上古は封建、中葉は郡県とは、何を以て之を言ふ。白石先生曰く、上世の制は、猶ほ三代封建の時のごとし。中世以降は、亦猶ほ漢の初め、兼ねて封建郡県の制を有つがごとし。孝徳の世に迨びて、天下尽く変じ、嬴秦郡県の制と為れり、と。昔、上世に在りて五方の国、各々君長有り、山海の間に散在し、大小強弱、相統一する能はず。神武開国の初め、其の功有るを封ず。
現代語訳
存在しているのかいないのか分からないほどでした。天命はすでに改まり、聖賢の力でもどうにもできません。天下はすでに喪乱に苦しみ、人々は自然と塗炭の苦しみに陥っていて、別に王者が起こって救うのを待つほかありませんでした。斉の桓公は、必ずしも純粋に王道を用いたわけではありませんが、その力で天子を助け戴き、天下を一つに正しました。それで孔子はすでにその仁を認めています。思うに試みたところがあったからでしょう。孟子はかえってこれを卑しめました。時世の違いによるものです。管仲には三帰や反坫といった身分不相応な振る舞いがありましたが、その仁を損なうものではありません。もしその純粋でないことをもって捨てるなら、孟子にも純粋でないところがあり、捨てられるべきことになってしまいます。我が国で用いている儒道は、儒の本源を究めず、変通の道を知らず、ただ文辞章句をなすだけです。これを聖人の道として朝廷に用いれば、搢紳の士は文人になるだけです。搢紳の士がすでに文人であれば、軟弱に失わない者はほとんどいません。どうして孔孟の道と言えるでしょうか。ああ、朝廷がこのために衰微して振るわなくなったのは、悲しむべきことです。さらには仏法の因果応報の説を用いて人心を洗い流し、その邪説で国の神々を動かし、あちらはただへつらい媚びる者だと言いました。こうして神に祈り仏に媚び、僧を寵愛し巫を崇めることは、至らぬところがありません。人事の務めるべきことを務めず、国勢が失われないはずがありません。我が国の上古の太平は儒や仏によるのではなく、別のところにあったのです。我が国はもとより武の国であり、武があれば国は栄え、武がなければ国は衰えます。国の興替はただ武事の盛衰にあります。国の柄を執る者は、真の儒者を用いて武事を輔けさせるのがよいのです。古人はすでに文武を車の両輪、鳥の両翼にたとえました。ただ文によって武を損なってはなりません。武士が国にあるのは、水が地中にあるようなものです。師の卦の象に見ることができます。水のないところはなく、至るところで武士がその長所を用いない所はありません。諸侯を建ててその国を治めさせれば、国はおのずから興り、磐石のように堅固になります。これが武の国である理由です。我が国は上古は封建、中葉には郡県となって国勢が衰えました。今ふたたび封建となったので、武道はおのずから盛んになり、武国の名にふさわしくなるでしょう。祝うべく喜ぶべきことです。上古が封建で、中葉が郡県だというのはなぜか。白石先生は言いました。「上世の制度は、三代の封建の時のようであった。中世以降は、漢の初めに封建と郡県の制を併せ持っていたのに似ている。孝徳天皇の世に及んで、天下はすべて変わり、秦の郡県の制になった」と。昔、上世には五方の国にそれぞれ君長がいて、山海の間に散在し、大小強弱があって統一できませんでした。神武天皇が国を開いた初めに、功のある者を封じました。
解説
この章句が説くこと
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『学論抄録』・時代で変わる文武の重みと武家の成り立ち孔子豈に独り未だ之を学ばざらんや。将た必ず其の再三問うて措かざるを待ちて後、以て応ずる有るなり。亦た臣の君に対するの礼なり。具眼の儒先の成説已に此くの如し。末学復た何ぞ之れ贅せん。夫れ礼楽は、先王の妙術にして、治道は此に由らざる莫し。軍は是れ五礼の一にして、吉凶賓嘉の四つは、是れ治日の礼、軍は以て乱を戢む。其の軽んずべからざること知るべし。子の慎む所は斎・戦・疾、苟くも慎むこと無くして可ならんや。而して治まれば則ち武衰へ、乱るれば則ち文荒る。理勢の緩急、必ず然らざるを得ざるなり。故に文武の二つは素より軽重無しと雖も、然れども時を済ふの挙は、自ら抑揚有り。此れ政教の異同無きこと能はざる所以なり。按ずるに古に大道・常道の目有り。所謂大とは、小数に対して言ふ。蓋し時王の行ふ所、時俗風を成し、対立する者無きの謂なり。所謂常とは不経に対して言ふ。蓋し先王の建つる所、万世之に依りて易ふべからざるの謂のみ。原ぬるに夫れ我が国上世、細戈千足国と称す。武備の盛んなる、亦た以て知るべし。爾来国人風を成すなり。中葉以降、天下の権、人臣に移り、其の権を握る者、或いは文を以て自ら処り、或いは武を以て自ら処る。蓋し澆季の世、術古に及ばず、所謂文武も亦た先王の旧に非ざるなり。故に文を以て自ら処る者は、早く外患有るを忘れ、淫靡の風従ひて起こる。是を以て永く社稷を保つこと能はず。平相国の如き是れなり。武を以て自ら処る者は、剛烈にして風を損ひ、礼制過朴の弊無きこと能はず。然れども常に戒慎恐懼の意有りて、反って先王の遺旨を存す。是を以て遽かに滅亡の憂ひに至らず。鎌倉氏の如き是れなり。前蹤昭々として見るべし。神祖の運を開くに追び、遠く国初の芳躅を追ひ、近く前代の覆轍を鑑み、武を以て表と為し、文を以て裏と為す。而して玉科金条、標題して武家と曰ふ。恭しく惟みるに皇帝の封冊に曰く、征夷大将軍云々と。所以に、当路の士大夫皆武を以て自ら処り、傍らに儒者を置きて以て顧問に備ふ。官儒と雖も其の始め皆円頂にして僧官に属し、
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